いや、前のエントリーの予告通り、二輪館に行ってタイヤチューブとリムバンドを買って来たんだけれども、驚いたことがたくさんあるわけです。
まず一つは、本日の気温でありますが、車載の少しいい加減な温度計とはいえ未だ午前中なのに既に36度でずぜぃ!!!
これは正真正銘暑いわけでして、自分の体温とほぼ一緒ですから・・・まっ、風呂に入っていると思えば良い感じですかね?
で、次に驚いたのが車の多さでありまして、そこかしこの交差点で渋滞であります。
まっ、勝手知ったる道ばかりなので余所者が通らない道を駆使して行きは30分で着きましたけれども、帰りは運転下手の日曜ドライバーが起こす糞詰まり渋滞に引っかかり40分も掛かっちまいました・・・いや、本日が旗日であることを忘れて出掛けちまったのが敗因でありましょう。
それにしても、巷では災害があればボランティアで人助けが盛んだし、それに付随する募金などもすぐに動くわけでありまして、世の中は人の善意と思いやりに溢れているのか、と錯覚しがちでありますが、それはどーなんでしょうか?
私が人の思いやりに疑問を持つ理由は車の運転であります。
例えば、二車線あっても右寄りは右折車線になって直進不可なんて場合、自分は交差点まで多少距離があっても右折を知らせる合図を出して待つんですがこれをやらない人が本当〜に多いわけです。
それと知らずに直進車が列に入っちまったら出るに出られずずっと待たなくてはならないわけであります。
車の電気代はほぼ無料なのに、となると後続への意識なんてのは無い・・・あんたらの思いやりなんてのはその程度なんだよ、と罵声を浴びせたい心境で周囲を慮らない車を見るのであります。
そもそも、方向指示器は30メートルて前から点灯という法律があるんですから、最低でもそこを守るべきなのに交差点の先頭でも信号が赤の間は無表示で待つんですから嫌になっちまいます。
これ、オートマ車でアクセルを踏んだら走って、止めるってなったら軽くブレーキを踏むだけと言う運転が容易な車ばかりになったことと無関係では無いと思うんであります。
いや、少し大きなトラックに乗ったことのある人ならわかりますが大きな車は周囲に与える影響を考えながら走っていまして、常に前後左右に気を配っているわけであります。
なのでいい加減な運転をする人の大半は普通車サイズでありまして、なんでも自動で少しボケて居ても動かせてしまう現代の車が生む弊害というのは間違いでありましょうか?
と、いうことで・・・方向指示器は自分の安全のためでもありますから、しっかりと法規通りに出して欲しいと切に願うものであります。
で、一番驚いたのはタイヤチューブの値段であります。
時間とガソリン代を掛けて店頭まで出向いて買い求めた物はアマゾンの通販の運賃込みの価格よりも2割ほど高かったのであります。
いや、魂消ましたぁ・・・世の中変わったなと切に思うとともに、店舗の持つ意味がますます厳しい状況になるなと、人様の商売ですが心配になった次第であります。
なんと申しましようか、店舗を設けて維持する費用に人を配置しての人件費と、店に置く在庫などの投資を考えれば、写真一枚をネットに載せ、注文を受けたら仕入れて発送という大きな投資のいらないネット販売が店舗販売に勝るのは百も承知二百も合点ですけれども・・・まっ、私ごときがどーこー語っても栓無いことであります。
まっ、受注発注のアマゾンや楽天だと10日も掛かる場合があるわけで、配達が盆明けです、となって居たので買いに行ったわけですから納得して買ったわけでありまして異存は無いんですけどね。
で、先ほど昼飯を食べながら見て居たニュースで甲子園で一試合だけ戦う球児の宣誓をやって居たんですが、私は子供が言うこの手の言葉が嫌いなんであります。
たかが高校生のガキに「夢や感動を与えて欲しくなんか無ぇぞ」と私ゃ思うんであります。
「与える」は使い方が難しい言葉だと思うのですが、意味合いには上から目線があるわけで、高校生のガキに安っぽい感動など与えられたくは無い、と片意地張ってしまうのであります。
さらに、大概の子供がインタビューを受けると、定型文として希望・勇気・感動を与えたがるから尚更嫌になっちまうのであります・・・と、まぁ、これは言葉に鈍感な人には無関係と言いますか・・・わかるかなぁ〜わかんねぇだろうなぁ〜、と思いますが。