週末、汐留パナソニック美術館にフランクロイドライト展を見に出かけました。美術館入り口に到着すると・・・何と入場制限。2時間近くの待ち時間があったので、少しシオサイト(旧国鉄の操車場跡地を20年ほど前に大規模開発してできたまちです)を見学してみました。まずはパナソニックビルの隣の街区にある旧電通ビル。築地市場の跡地が良く見えます。今更ながらですが、すべて壊してしまったんですね。まさに兵どもが夢のあと。もったいないですが、これからどうなるのか、期待するしかありません。
少し足を延ばしてお隣の「イタリア街」と呼ばれているエリアにも行ってみました。あいにく休日なので、ほとんど人通りがありません。あまりイタリアらしいとは思えないというのが私の印象ですが、きっとお店などが開いていると、歩道にテーブルなどが出て、イタリアらしくなるのでしょう。ただ、人がいないときにも、愉しく歩ける雰囲気が欲しいものです。イタリアといってもローマのEUR(第二次世界大戦前から建設された新都市です)にいるようで、巨大建築の足元をさみしく歩いている趣きです。ただ、EURの巨大建築はモダニズムで古典建築にも負けない荘厳さを追求した建築家たちの気迫が伝わってきて、見ていても飽きることはありませんが・・・。
イタリア街からの帰りは、海側(浜離宮側)の道を選択しました。下のようなみち。人間のスケールを超えています。あまり快適に歩かせようということでつくられてはいないようです。ちょっと辛いですね。
正直なところ、シオサイトの中の移動空間は歩いていて疲れます。下のような「経路」を歩かされます。人が大勢でも、また一人でも心地よく歩けるという配慮が必要でしょう。「経路」ではなく、人の居場所(細長いですが)として、公共空間を作っていただけたら有難いものです。
たまたま休日だったので、あまり人がいないということだとは思います。ただ、下のような写真の「広場」に誰かが一人で座っているとすると、逆にさらにさみしく見えてしまうように思えます。「広場」を設計するときには、大勢の人を想定することはもちろん必要ですが、同時に一人でも居心地が良いようにするところから出発し、その集積として広いスペースを創りだしていくという意識も不可欠なのではないでしょうか。
次の日、出張で東京駅を利用しました。新幹線を利用するときにいつも思うことがあります。下のような待合コーナーのことです。待っている人が一人います。何かいかにも置き去りにされたようなさみしさを感じます。仕事の出張にせよ、旅の前には少しの期待にも似た昂揚感を誰しもいだくのではないでしょうか。そういう思いで電車を待つのに、とてもふさわし空間とは思えません。旅する人の尊厳に敬意を払って「待合室」はつくられるべきです。それが公共的な空間をデザインするうえで、設計者が常に考えるべきことのような気がします。・・・私自身がそうできているかどうかは別ですが・・・・。
SHIOSAITO, a large urban redevelopment area in Tokyo, is a failure from an urban design point of view. I don't like to stay in the public spaces there.
No sence of place!
高谷時彦
建築・都市デザイン
Tokihiko TAKATANI
architecture/urban design
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