ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

大石邦子「夢のポストカプセル」を読んで

2024-02-20 04:39:21 | エッセイ

2025年大阪万博が開催、万博での思い出は若い友人のご主人が1985年つくば万博へ修学旅行の引率でいった。

そこには21世紀の夜明けに届けられる夢の郵便「ポストカプセル」なるものがあった。

彼には4歳2才の女の子と妻のお腹にまだ見ぬ赤ちゃんがいた。

16年後2001年の元日、長女は大学受験生、次女は高2、長男は中3になり、お父さんからの手紙だと大騒ぎに、まぎれもない夫の文字だった。

万博から帰って4年後進行性のがんで亡くなり、娘は9才、7才、長男は4才だった。

専業主婦が生きるために臨時の教員になった。定年まで1年契約継続で勤め、現在は美術店に勤めている。

3人の子は母となり、父となっていた。

彼女は何時も夫と一緒で、夫の33回忌を終えた。

電話の彼女は「もう私のしなければならないことほぼ終えたかなと思うの・・・」

彼女の子育ての頑張りに絶賛。写真は隣の家の紅梅2/13撮影。

がんは本当に嫌ですね。親子の別れより、夫婦の別れが辛いという。

何かのきっかけで思い出し涙ぐむことがある。しかし、別れは世の常である。

 


大石邦子「よいお年を」を読んで

2024-01-07 05:22:23 | エッセイ

落葉木から日差しを招き、裸木の向こうには冬の空が広がり、私の何よりの慰めである。写真は磐梯山。

不思議と食事の後に眠くなり、若いときにはなかったことで、老化現象であろう。

こんな時、テレビのニュースから「四季の国、日本も二季となる兆しなのでしょうかね」

気象庁がデータ分析を始めてから126年になるという。今年は最高の暑さで、冬は最高の寒さにならないことを祈るしかない。

年々、時の経つのが早くなった。

猪苗代のレストランでは、足の悪い女性から「会いたかった・・・」と、涙をこぼされた。御主人からは背をさすって頂いた。また、どこの方が知らないままに、声をかけられた方が沢山いた。

大阪や千葉の方から「エッセイを読んでいます」と微笑まれる。福島の母が毎月送付しているという。

読者の皆さん、本当にお世話になりました。

呉々もお元気で、良いお年をお迎えください。ご健康とご多幸を心からお祈り致しております。

孤独を強く感じ、大石さんは思い出を咀嚼していますね。そろそろ引退を考え出したのかな?


赤から青の大谷二刀流

2023-12-17 08:27:57 | エッセイ

米大リーグドジャースへエンゼルスから移籍した大谷翔平選手の17の入ったドジャースのユニホーム姿で入団会見、

「ここでプレーしたいという自分の気持ちに素直に従った。勝つことが僕にとって一番大事なこと。

常に挑戦したい」と新天地に懸ける思いを語った。16日福島民報より。

9月にオペを受けた右ひじは順調に回復し、打者に専念する7年目には開幕に十分間に合うと思う。

6年間はプレーオフとは無縁だったが、エンゼルスへの感謝の気持ちを表し、

「ドジャースのオーナーがWSに3度駒を進めたがこの10年間を全く成功だとはおもっていない」と言ったことに感銘を受けたという。それだけ勝ちたい意思が強いんだなということが心に残ったと。

大谷選手は野球の父、バドミントンの母、兄も野球選手と恵まれた環境で育ち、

優勝とかプレーオフに出るということのもとは「勝つこと」で、この一言で、素直に自分の気持ちを当たり障りなく表現することに感銘を受けた。ありがとう。

 


イチゴパワーでみんなを笑顔に

2023-12-17 04:59:51 | エッセイ

二本松マルナカファーム農場長佐々木澄江さんはイチゴ農家を営む家に育つが、工場に就職。

親が高齢になり家業を手伝うことになった。

土建業マルナカ会社が農業部門を立ち上げるからと、会社から父が誘いを受け続きで入社、

実家のイチゴ栽培も廃業、事務の仕事をやっていたが、子どもが幼稚園に入園を機にイチゴ作りの手伝いを、

今では農場長として,女性スタッフが子育てのお互いをカバーしあいながらの対応をした。

収穫までの一次産業、商品化の二次、販売の三次、トータルで6次産業迄やっており、

6棟のハウスで、ゆうやけベリーなどオリジナル品種の他に20種、

イチゴ狩り、地ビール、アイスなど製造、親の後継ぎの不安もあったが、コロナ過で大変だったけど、

定期的にイベントも開催、笑顔で帰る姿を見て、イチゴパワーの凄さを感じた。

来年3月にはカフエをオープンする予定、イチゴを食べながら農業体験ができ、

イチゴ作りをやりたくなる人を増やせるカフエにしたい。ハイ!みんぽう12月号より。

素晴らしい女性パワーを頂き感謝しております。


大石邦子「29人の中学生」を読んで

2023-12-12 04:42:45 | エッセイ

高校生の頃、同級生とともに歩いたところで、美しい村として心に刻まれている「熱塩加納村」がある。

心に残る雪の飯豊山と、水の入った田んぼに映る遥かな白い雲の流れだった。

そこの中学校から35年ぐらい前に、講演の依頼があった。

当時のPTA会長三浦とは、それがご縁で今でも交流が続いている。

中学生が田んぼの管理を全て行っており、その三浦さんから、先日、稲刈りに連れて行ってもらった。

可愛い生徒たちで、田植えから米になるまですべての作業に参加、どこも同じ教室みたいなものと言う。

生徒たちは、稲を刈り、しっかりと束に結び稲掛けに下げて乾燥、ここに至るまで、肥料撒き、田植え、稗等の除草してやがて実りの秋となり稲刈りをする。

1ヵ月ほど乾かし、いよいよ脱穀、精米、12月にはみんなで餅をついて収穫祭を祝うという。

一人の女生徒が傍らに来て、トイレ大丈夫ですかと小声で言った。外出時の私の不安を察してくれる。私は手を合わせた。

唯一寂しいのはこの会北中学校が2年後に無くなってしまうという。現在29人の在校生だった。

時代の流れとは言え。でも大丈夫。誰にも遥かな未来がある。

私も、このエッセイから、飯豊山登山やその麓の風景などの思い出、写真は2003年8月の飯豊山頂でガスが懸かっています。