ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

大石邦子「じもと食堂」を読んで

2023-11-22 04:38:18 | エッセイ

以前「VERY」という雑誌に、4頁にわたって見覚えのある若い女性の記事が載っていた。

私の友人敬子ちゃんの若い時の写真にそっくりである。親子ってこんなにも似るものだろうか。

娘の真子ちゃんは「母はいつも誰かのために頑張っていた人。その姿が今の私の活動の原点かも知れません」

会津の高校卒業後、東京へ、犬の散歩で知り合った方と結婚。

仕事でいろいろな人に出会い、「頑張っている親子の小さなケアになりたい」

2016年彼女は公的な支援を受けず、ボランテイアで「恵比寿じもと食堂」を開いた。子ども食堂とはあえてしなかった。

この食堂に、一時癒されに来るのに理由はいらない。自分自身がワンオペ育児だったからかもしれない。

素敵な子ども食堂を始めた方の記事を読み、始めた食堂であり、辛い時もあるだろう。自分の人生のためにと。

子どもからおじいちゃんたち迄、月2回、毎回35食の枠は抽選予約でいっぱい。

1食500円を頂くのは、次回も楽しみになるような、ほっとする居場所作りや、親子の応援が目的である。

今日も会いたい人に会い、楽しい食事にときめく人で賑わっているだろう。

物価高騰の時に、本当に頼もしい食堂である。真のボランテイアを教えられた。感謝!

 


乗馬クラブインストラクター

2023-11-13 04:20:55 | エッセイ

南相馬市の乗馬クラブインストラクター相山由香さんは、コロナ過で会社を失職。

転職を余儀なくされ、乗馬クラブを続けていた身から、ならば好きな動物の仕事へと探していると、

南相馬市に新しくできる乗馬クラブがスタッフを募集、未経験者歓迎で応募採用された。

白河市出身で、南相馬市は初めて、野馬追の地だということぐらいの知識、不安より仕事への期待感が大きかった。

乗馬には、ウエスタンスタイルと障害馬術のブリテッシュスタイルがあり、どちらのクラブも対応している。

馬場と馬場との間にキャンプ場を併設、家族でも楽しめる。

インストラクターの他に、馬5頭、犬、ヤギ、ウッコッケイの世話をしており、お客が馬にけられないよう目を配っている。

やはり乗馬の魅力は、馬には言葉は通じませんが気持ちは伝わり、馬との信頼関係を築くことが大事、イライラして乗れば、馬も怒った態度をとりますし、一緒に頑張ろうと乗馬すれば、答えてくれます。ハイ!みんぽう11月号より。

また、バリ島でホーストレッキングツアーを開催したり、

趣味から始めた乗馬が、教える立場になり、会員の皆さんが日々レベルアップしてく姿からやりがいを感じます。

自分も日々努力して負けないよう技術を磨き、一人一人に合わせた指導をしてきたいと思います。

いや!すばらしい相山さんです。好きなことを仕事に持つ、こんな恵まれた環境はない。大切なことは、目に見えない信頼関係が馬の心に触れることが出来るということですね。ありがとう!


「孤独のすすめ」を再読して

2023-10-29 04:55:35 | エッセイ

私の大好きな作家の五木さんは人生の後半の生き方で、愁いがくっきり見える高齢者に、

人は年をとると、孤独という自由を手に入れる。

だから、何かを求めて右往左往してみる。

人生は青春、朱夏、白秋、玄冬の4つの季節が巡るのが自然の摂理で、玄冬なのに青春の生き方は出来ない。

また、嫌老社会を超えてとして「老いの才覚」の曽野綾子さんも人生の本当の幸せは、自律した生活の中で、自立することであると、お二人は言う。そして曽野さんは毎日の生活を人任せにしない。自分で料理などをするということ。

人に迷惑をかけない体、間食はしない。腹八分目に頂く。そしてしてもらったら必ず代価を支払う。

健康に暮らすには、目標、目的を持ち、趣味を生かす人生でありたいと。

同じ道でも登山の時との景色とは違う人生の下山の景色を眺め、

思い出を咀嚼し、回想は誰にも迷惑はかけず、お金もかからない孤独の楽しみでもある。

その思い出の中に,つきせぬ喜びを発見する時間でもあるのです。

このお二人の他の世界に目を向けてみると、

カモメのジョナサンのように自分流海面すれすれに飛ぶ練習を一羽で、飛び方の追求をするカモメ。

兼好のように存命の喜びを日々楽しみ、身を辞した時より世との縁を断ち切り、己の心一つに生きる。

そして、鴨長明は世から離れて、山奥で方丈の家で一人生活をする。自然に任せる。

我が家の裏の雷神の裾に、死を悟った方が、小さな穴に身を置き世を去った墓石がある。

吐く息でさまざまに調整する呼吸法の気を重んじた生き方東洋医学の気もある。

体の血液の70%が下半身にあり、その血液の流れを毎日ふくらはぎを5分もみ生きた人など数多くに試みて生きている。

 


大石邦子「愛し子よ」を読んで

2023-10-22 04:59:46 | エッセイ

お盆が過ぎても、灼熱の日々は収まる気配もなく、室内の温度計は30度。

伊達市梁川町では遂に40度に、そして大雨、台風の被害が各地に。

我が街は天候の被害は逃れている。そんなところへ突然の吉報が飛び込んできた。

今は亡き妹の娘一家が4年ぶり、明日会津に来るという。

仙台の施設にいる姉が会いたがっている子供たちを合わせ、その帰りに寄るらしい。

2泊して、クーちゃんは何もしなくて、全て自分たちでやるから、姪は付け加えた。

4人は仙台に1泊し、翌日、小1の新と3年生朱莉ちゃん、姪夫婦だった。

慣れてくると、抱き着いてきて、人に抱き着かれる経験のない私は、言葉に絶句する可愛さで涙が零れそうだった。

新は、何かを見つけたように、恥ずかしいわしの二の腕のぶよぶよに頬を当てているのだ。

お姉ちゃん迄が、私にもやらせてと叫ぶ。いや~と新が叫ぶ、ママと喧嘩が始まり、仲直りも実に見事で驚いた。母親の魔術だった。

この子らの姿を、私の妹は見ることが出来なかった。朱莉が生まれたのは、妹が亡くなって半年後であった。

私は机の向こうにある妹の遺影に向かって、芳子見えるか、お前の2人の孫だよ。

大石さんのエッセイから人生の孤独感はどこにも見当たらない。素晴らしい人生である。

この子らが去ったあと、孤独感に陥り、アンチエイジングや死の道を選びたがる人もいるが、その気配すら感じない。

頼もしい限りである。孤独という自由から病気による諦めや人生の下山の衰えすら感じさせない。感謝、感謝!


大石邦子「頑張れ友よ」を読んで

2023-09-16 04:55:42 | エッセイ

何という暑さだろう。昨年もそうだった。夏の間中、体がふらついていた。何処へも出られなかった。

今年も、36度だの、40度近しだの、ニュースで聴く度に日本もこのような激しい国になったのかと、不安になる。

救急車の音を聴く度に、熱中症か、心臓発作と推察する。

年を取ると喉が乾かない。乾いても後で済ますなど言ってはおれない。

今はとにかく水を飲む、夜トイレが嫌だなど言ってはおれない。いのちが懸かっている。

そんな折、30年来の友が訪ねてきた。ひと月前にも来て行ったのに、どこか違う、髪が少し薄くなっていた。

それでもいつものように、明るく私を笑わせ、ふと顔を見上げると,真顔になった彼が言った。「がんになった・・・」

一瞬氷のように冷たいものが全身を走った。頭の中がぐるぐる回り、手が震え、どうしたら彼を元気づけられるか、

そう簡単には受け入れられないだろう。

「抗がん剤をを打っている、痛いんだそれが」彼は私より15歳ぐらい若かった。

私は少し冗談ぽく、「あんな手術をした私が未だ、こんなに生きている。髪など直ぐ生えてくる。私も坊主だったよね」

私ががんの全摘出を受け坊主頭の頃、彼は奥さんと一緒に見舞ってくれた。

こんな時は奥さんにあまえ、悲しいときは男だって大声を出して泣いたっていい。

泣いて諦めがつくこともある。悲しみに打ち砕かれた絶望がドミノ返しのように生きる力となったことを思い返している。

頑張れ友よ!大切な友よ!

勇気づける手立て大変参考になります。病になった人でなければ出ない言葉である。ありがとう。