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北斎肉筆画(隅田川両岸景色図巻)100年ぶりに発見

2015-03-06 09:28:27 | エッセイ
版本彫りの生業を捨てた鉄蔵は勝川春草の門下生に、20才勝川春朗の名で役者絵や挿絵本などでデビューした。

派に合わなかったのか破門されたのかは定かでないが、勝川派を去った春朗は宗理様式へ雅号も俵屋として再デビュー、この琳派から独立してからは、以後終生他派に属さず、万物を唯一の師と仰ぎ、1798年39才で北斎辰政と名乗って、初めて北斎が誕生した。

1802年十辺舎一九「東海道中膝栗毛」などから、北斎43才で読本挿絵や肉筆画として森羅万象こそ唯一の師であると宣言した。この隅田川両岸景色は1805年の制作で、明治から100年の間所在不明であったが、2008年ロンドンで競売にかけられ判明、このほど、墨田区が買い求めて公開への運びとなったという。両国橋付近の写真は昨日の福島民報より、この他に、吾妻橋付近、三囲神社付近、最終場面吉原室内遊女など3枚も載っており、北斎肉筆画6メートルもある絵巻大作であると。

自然をテーマとした絵本「富嶽三十六景」版画シリーズ、駿府江尻、山下白雨、凱風快晴そして、人々に多大の影響を与えた「神奈川沖浪裏」の舟と遠くの富士、覆いかぶさる大きな波の風景画は誰もが目にしていると思う。

葛飾北斎(1760~1849)は1805年から、お伊勢参りなど旅ブームから東海道の名所等の読本挿絵で一気に花が開き、絵手本や錦絵を経て、75才からは肉筆の壮年期の時代へと入ったと思われる。大胆な風景の構図に対して、より写実的な広重の東海道五十三次等では雨や雪、霧等自然の表情や旅人の姿まで表現している。

資料は、過去に開かれた北斎展(いわき市美術館)で購入した水田生慈監修「葛飾北斎の生涯と作品」、学研の日本美術全集「江戸庶民の絵画」、読売新聞「歌川広重東海道五十三次」による。


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