福島市土湯温泉町の照南湖で、鳩の大きさの水鳥カイツブリが小魚を捕まえた親鳥を追いかけるひなの写真が18日の福島民報に載っていた。
ヨシなどの間に葉や茎などを利用して浮巣を作り子育てをする。
潜水して小魚や水生昆虫などを捕まえてひなに与えるが、警戒心が強く、私もこの光景は見たことがない。
写真では大きなアヒルのように思われるが、小魚を捕らえた親鳥で25㎝位の大きさである。
ヨシなどの間に葉や茎などを利用して浮巣を作り子育てをする。
潜水して小魚や水生昆虫などを捕まえてひなに与えるが、警戒心が強く、私もこの光景は見たことがない。
写真では大きなアヒルのように思われるが、小魚を捕らえた親鳥で25㎝位の大きさである。
物置同様に押し込まれた部屋から、肖像画や絵画を見ていると、街風景が見つかった。
3.11震災で避難した裏山雷神様の上り口から眺めた、震災前の海側の街風景であった。
屋根など大分変っているが、当時を思い出し、14:46立って居れない揺れに近くのラックにつかまり、妻を呼び寄せ抱きかかえた。
ようやく揺れが収まり、台所の冷蔵庫のドアや引き出しが開いて音が鳴り、閉めると音が止み、ブレーカーを下げて表に出た。
向かいの駐車場に避難した家族がしゃがんで俯いていた。
また、家に戻り、玄関はガラス戸が割れて入れないので、勝手口から入り、コートを羽織って、貴重品や携帯を以って、表に出ると、津波を心配して、駐車場にいた皆を誘って裏山に避難した。
15:15頃一本の津波が東山地区を襲い、見る見るうちに海水で屋根だけ見えるところに、自動車が北に流されていく。
我が家の前の道路は津波の海水で川になり、我が家はダメだと思った。
津波が引けて、ようやく正気になり、15:34携帯で海岸のようすを撮影1枚だけであった。
雨が降ってきたので、社に避難、区長が下りて避難高校へ通路を見に行って、海水で行けないと報告を受けた。
大分時間が過ぎて、我が家に戻り、毛布などもって、避難所へ、途中交差点で消防団員がまた津波が来るぞと叫んだので、また山に避難。
結果、津波は来なかったので、高校の体育館へ避難、何時も取り寄せているソバ屋から炊き出しの結びの差し入れがあった。
食べ始めると、生きていることを実感した。
ストーブで館内は暖かく、親戚の方が、食べ物の買い出しを少し頂き、隣ではいびきをかき始めた。
向きを変えて毛布にくるまり、眠ろうとしたが、なかなか眠れない・・・
いつの間にか、朝になっていた。風景画を見て思い出した一言である。
3.11震災で避難した裏山雷神様の上り口から眺めた、震災前の海側の街風景であった。
屋根など大分変っているが、当時を思い出し、14:46立って居れない揺れに近くのラックにつかまり、妻を呼び寄せ抱きかかえた。
ようやく揺れが収まり、台所の冷蔵庫のドアや引き出しが開いて音が鳴り、閉めると音が止み、ブレーカーを下げて表に出た。
向かいの駐車場に避難した家族がしゃがんで俯いていた。
また、家に戻り、玄関はガラス戸が割れて入れないので、勝手口から入り、コートを羽織って、貴重品や携帯を以って、表に出ると、津波を心配して、駐車場にいた皆を誘って裏山に避難した。
15:15頃一本の津波が東山地区を襲い、見る見るうちに海水で屋根だけ見えるところに、自動車が北に流されていく。
我が家の前の道路は津波の海水で川になり、我が家はダメだと思った。
津波が引けて、ようやく正気になり、15:34携帯で海岸のようすを撮影1枚だけであった。
雨が降ってきたので、社に避難、区長が下りて避難高校へ通路を見に行って、海水で行けないと報告を受けた。
大分時間が過ぎて、我が家に戻り、毛布などもって、避難所へ、途中交差点で消防団員がまた津波が来るぞと叫んだので、また山に避難。
結果、津波は来なかったので、高校の体育館へ避難、何時も取り寄せているソバ屋から炊き出しの結びの差し入れがあった。
食べ始めると、生きていることを実感した。
ストーブで館内は暖かく、親戚の方が、食べ物の買い出しを少し頂き、隣ではいびきをかき始めた。
向きを変えて毛布にくるまり、眠ろうとしたが、なかなか眠れない・・・
いつの間にか、朝になっていた。風景画を見て思い出した一言である。
我が家の庭に咲くゼラニューム、アオイ属の多年草、寒さに弱い。葉は互生し模様がある。花は赤白ピンクといろいろである。
この花も散りまた別に咲き出す。
母の日に、娘からカーネーションと夏のシャツなど頂いた。私達にも母がいた。その母にも母がいた。すべての母に感謝。
こんなことから、我妻は方丈記を思い出し気が楽になったと。
この世に生があれば必ず滅する。これは世の習いである。
また、親鸞は生きとし生きるものを頂き生かされている悪人であると。
長明は「方丈記」の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
水の泡は生まれては消え、消えてはまた生まれる。存在するもの何一つとして同じ状態でいることはない。
自然も人も万物も、必ず変化して流転してゆき、朝に死に、夕に生まるるならひ、無常即ち常なるものなしという宿命である。
すると、妻はいままで怖かったけれど、いつ死んでも当たり前と思えると、気が楽になったという。
追記、参考文献は、五木寛之著「歎異抄の謎」、中野孝次著「方丈記」「徒然草」などです。
この花も散りまた別に咲き出す。
母の日に、娘からカーネーションと夏のシャツなど頂いた。私達にも母がいた。その母にも母がいた。すべての母に感謝。
こんなことから、我妻は方丈記を思い出し気が楽になったと。
この世に生があれば必ず滅する。これは世の習いである。
また、親鸞は生きとし生きるものを頂き生かされている悪人であると。
長明は「方丈記」の冒頭に、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
水の泡は生まれては消え、消えてはまた生まれる。存在するもの何一つとして同じ状態でいることはない。
自然も人も万物も、必ず変化して流転してゆき、朝に死に、夕に生まるるならひ、無常即ち常なるものなしという宿命である。
すると、妻はいままで怖かったけれど、いつ死んでも当たり前と思えると、気が楽になったという。
追記、参考文献は、五木寛之著「歎異抄の謎」、中野孝次著「方丈記」「徒然草」などです。
今我が家の庭に咲くシランが満開である。
ラン科の多年草、主に西日本の草原に自生、多くは各地で栽培、地下茎は白で葉は30㎝の長さで、花は紅紫である。
漢方藥で、止血切り傷、または糊料に用いる。フジバカマの異称。
ラン科の多年草、主に西日本の草原に自生、多くは各地で栽培、地下茎は白で葉は30㎝の長さで、花は紅紫である。
漢方藥で、止血切り傷、または糊料に用いる。フジバカマの異称。