オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鮎姿寿司

2019-06-07 | Weblog

6/7(金) 昨夜帰宅すると、田舎の妹から鮎が届いていた。朝の弁当作りと、朝食を終えてから今年初の「鮎寿司」を作ることにした。

田舎の川は小さいので鮎も小さい、小さながらも味は良いとの評判であるが・・・。漁が解禁されて間もなく、鮎も未だ若い。その分、身は柔らかい。

届いた鮎は、思いのほか形が大きい。大きな奴を選んで送ってくれたのであろう。半解凍の鮎を開き、中骨を取り除いて塩を振り生酢に暫し漬ける。そして胸の小骨取ってから柚子酢に暫し浸した。ご飯は、てまいら酢(柚子酢の加工品)と柚子酢でまぜる。刻み生姜&大葉&胡麻しか入れない。

          

こうして出来上がると、酢の塩梅がよくない。足りなかったようだ。

朝からこんなことをして遊んでいるが、鮎の前には弁当作りで遊んだ。遊びしかすることがない素浪人さ!。

今朝の弁当は鶏がメインだった。鶏と野菜のソテー、小松菜の煮浸し、スクランブルエッグを弁当に詰めた。鶏の唐揚げも作ったが、これは夕食用である。

         

吉祥寺でTUGAWA&HNAOKAさんと会い、軽く飲む予定だ。昨夜のように、帰宅が零時を過ぎることはなかろう・・・。昨夜は、田町の海岸通りの店「シェアパークカフェ&レストラン」で橋本葉子さんと、島敏光さんのライブを楽しんだ後、人形町に顔を出した。

              

人形町では「ちょっぷく」で不動産屋のマッチャンと飲み。そこから「セイジュ」へ。HOYA兄いとローカーボ仲間のERIちゃんが居り、そこにYAMAKAGE店長とオカマにゲイが加わって大騒ぎだった。帰りに「ちょっぷく」に舞い戻り(店長が帰してくれないんだ)、すっかり酔っ払いの店長を相手にした。お陰で、零時過ぎの帰宅となった。

 

今夜は大人しく過ごす予定だが、吉祥寺からの帰へりは渋谷で乗り換える。ここで奈加野に寄るとどうなることか?である。

 

 

 

 

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スキ焼風煮&思い出酒場⑤

2019-06-06 | Weblog

6/6(木) 今朝の弁当は「スキ焼風煮」をメインにして、ウインナーのソテー、万願寺と薄揚げ煮、サラダである。ご飯は、残り飯を卵だけを使ってシンプルな焼き飯にした。以上である。

            

詰め終えた弁当と家人を送り出すと、唯我独尊の我が世の春ならぬ初夏。今日の予定は夕方までないのだ。

 

残った菜で一人の朝食となるが、加えて昨夜の夕食だった掻揚と刺身(イカ・タコ・ホタテ)に味噌汁(なめこ&蕪)まで残っていた。これらをテーブルに並べると・・・。これだけの摘みが揃えばビールが欲しくなる。

ビールが俺を呼んでいる?否、俺の体がビールを呼んでいる!。と云うことで、今日も朝から一本頂く羽目になった。暇なのだ。

並んだ料理から、どれだけを食したかは想像にお任せするが、過食であったことは間違いない・・・。素浪人ながらも、飯だけは人並みに(以上か?)喰らうのである。

               

 さて、冒頭で夕方まで予定なしと記したが、その予定とは・・・。「思いで酒場」に繋がる我が歌姫、橋本葉子さんが田町の「シェアパークカフェ&ダイニング」なる店でライブをやるとの案内を貰い、久々に義理を果たそうという次第である。

この店には毎月のように出演しているようだが、これまで一度も顔を出してない。今日は、葉子さんのご主人で故・東郷好彦さんとも親しくゴルフプレーに興じた友人のOKAZAKI氏を同伴する。

  — 思い出酒場⑤ ピアノ ラウンジ 禅 —

 二十代の半ば過ぎ、赤坂・東急ホテルの14階にあったBAR「マルコポーロ」に友人の案内で飲みに行った。そこで、ピアノの弾き語りをしていた葉子さんを知ったのが始まり。彼女の歌とBARの雰囲気が気に入り、随分と通った。

笑い話になるが、最初に結婚しようと思った女性にここでプロポーズとやらをし、一週間後に同じ場所でフラれた思い出のBARである。その時、葉子さんの弾き語りが流れていたかは・・・、忘却の彼方。

その店のことを知ったのは、初めて葉子さんの歌を聞いてから十年が経っていた。当時、勤務するビルは六本木に在った。勤務先に営業に見える東急系列のホテルの支配人から消息を得たのである。その支配人も、マルコ当時からの葉子さんファンと云う。

店は「禅」といい、六本木警察の裏手辺りにあると云う。当時は毎夜毎夜の残業で暇な時間は希であったが、或る夜、遅い時間ながらも聞いた辺りを店を探して歩いた。警察の隣、日東ビルの真裏に目指す「禅」を見つけることができた。

半地下へのレンガの階段を下り表のドアを入ると、中扉が内側から開けられて迎えられ、店内に入る。と奥の正面にグランドピアノが目に、ベースを弾く背高のアフリカ系らしい若い男、椅子に座ったギター弾くやせっぽちを従えた葉子さんの姿があった。

馬蹄型をした店内は、ミュージシャンを囲むようしながらも、広くてゆったりとしていた。数年ぶりに葉子さんのピアノと唄を堪能し、二枚目のご主人・東郷さんと出会った。店は深夜まで開いており、遅い仕事帰りにも二次会・三次会でも行くことができた。

かくして、六本木の夜は更け行きアルコールのメートルは上がるばかりであった・・・。

今日はここまで、続きは今夜のライブとともに改めて。

 

 

 

 

 

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悠々たる暇人

2019-06-05 | Weblog

6/5(水) 早や、週中の水曜日を迎えた。暇人は為すこともなく「悠々とあるべき」と、我が身に語りかけるのである。そんな朝である。

今朝も無事に弁当作りを終え、余った菜を肴に缶ビールを一つでけ飲む。それ以上は飲まない、飲めない!。なんといっても、素浪人の身上故に。

新聞を広げて斜め読みしては世相の詰まらなさを実感し、吾の至らなさにつまされ日々・刻々を何処ぞへとうっちゃるのである。悠々たる暇人を身上としながらも、些か情けない。

 

さて、今朝の弁当作りも七時からであった。目覚めたのは白々と明けた五時前であったろうが・・・。

布団からやおら体を起こし、作るべく弁当のメニューを記す。概ね四・五品だが、このうち卵焼きとサラダは定番なので、新たなには二品か三品を考えるだけだ。考えると云ったが、在庫の食材も作れる料理(と云える代物でもないが)もしれている。

そんな次第で、今朝は「牛焼肉」「ウインナー&野菜のソテー」「塩サンマ焼き」、定番の卵焼きにサラダとなった。

牛肉は昨日の午後に渋谷に出た帰り、東急東横店の地下にある食品売り場で「タイムセール」の呼び込みに引かれて買った。友人のOKAZAKI社長に頼まれていた書類を渡すために出掛けた帰りのことだ。夕食用にキノコ三種、万願寺にトウモロコシ、鯛の柵まで買ってしまったが・・・。これも、孫のSORAの夕食リクエストが「キノコのソテー、春雨のスープに餃子」だったから。

斯様なことで、弁当のメインは牛肉と決めていた。残り物のモヤシを添えた。野菜のソテーは、アスパラ・カラーピーマン・白マイタケである。

              

かくして二人分の弁当が出来上がった。毎度のことながら・・・。

               

 

斯様な毎度のことを記している今しがた、郷里の妹から電話が入った。「鮎を少しだが送った」との連絡であった。今年も鮎が少ないと云うが、例年のことである。解禁では鮎がいないと川漁師が嘆き、真夏になると何処ぞから湧いて豊漁のことはあるが、今年は遡上が多いと喜んでいたらサッパリと云う年もあるのだから・・・。

こっちは獲れた鮎を待ち、頂くだけの結構な身分である。アユ漁の解禁は6月1日からなので、そろそろ届く頃であろうと虫のいいことが浮かんでいた。願えば鮎が届く!果報は寝てまてだ。

週末は届いた若鮎(小さい、骨は柔らか)で、セゴシと呼ぶアユをぶつ切りにした胡瓜との酢物、鮎の姿寿司を誌上で紹介します。

 

 

 

 

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今日も弁当を・・・

2019-06-04 | Weblog

6/4(火) 今朝も台所に入ったのは七時であった。長女が家人の処に勤めるようになってから、弁当作りの時間は一時間遅くなった。事務所は地元なので、通勤時間の分だけ遅くていいのだから。その分、私の遊びタイムはのんびりになっている。

昨夕の帰宅時、近所の魚屋で今日のメニュー用に鯛の切り身を買った。今朝はそれをソテーする。バターソースであるが、パセリがあれば刻んでソースに加えたかったが在庫切れ。代わりに生姜を少しだけ刻んだ。

鯛に塩を振って、しばらく寝かせて水分と匂いを取る。キッチンペーパーで水分を拭い、ソテーするだけのことだが、最後のフランベにはブランデーを使って濃いめの味付けにした。アスパラガスと赤ピーマンを少しながら添えた。

                  

肉じゃがもメニューの一つだが、肉は「挽肉」になった。肉の在庫がなかったので窮余の策である。安く上がったよ!。

アスパラの豚巻き焼き、ネギ入りの出汁巻き卵、長女用にサラダを用意してお仕舞いである。

            

以上が今日のお弁当。詰め終えた後は、一人で朝ごはんである。残っている菜に、昨夕に作った「ちっちゃなワカサギの南蛮漬け」と、残り物の「ハマグリの吸い物」も頂く。となれば、今日も朝から「ビールが俺を呼んでいる!」と云う次第である。

            

 

 

 

 

 

 

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初夏の陽ざしの下・・・

2019-06-03 | Weblog

6/3(月)六時前に目覚めたが、起き上がったのは七時になっていた。そこから台所に入り、弁当作りを始めたのは日課そのもの。目覚めてから弁当のメニューを考えていると、五目チラシ寿司が浮かんだ。チラシ寿司と云っても土佐風の柚子酢を使う田舎チラシであるが。

菜の方も和風にしたかったが、一品だけ昨夜のうちに決めてのがあった。「ピーマンの肉詰め」と云うやつだ。これだけは外せなくて作ることにした。他には、イカと胡瓜・若布の酢物、小松菜煮、焼きナスを二本などであった。

五目チラシは具を煮たり、錦糸卵を作ったりと意外と手間を喰うのだ。具は、急な思い付きなのでレンコンも干ぴょうもなくて、ニンジン・ゴボウ・薄揚げにゴマと刻み大葉と生姜、最後に焼鮭をまぶした。土佐の田舎では、焼鯖をほぐして加えたりするのだ。

       

こんな塩梅で、なんとか弁当二つを仕上げることができた。

           

先週から義母が隣駅に居る妹の処に行っている。そんなことで、作った菜は余りぱなしなので、小生が頂くことになる。となると、ビールのお供が必要になり、今朝もそんなことになった。素浪人の分際で、朝からビールとは些か気が引けるが、さらに朝風呂となるので「小原小助さん」だ。が、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、身上潰したと歌われたこの人のことは、今や誰しるだろう。

そして時計の針は進み、昼前となった。前日に孫のSORAに約束したゼリー作りに着手した。大きめの鍋にたっぷりと湯を沸騰させてから、田舎で買い込んできた天草を入れて暫し煮込む。

                 

萎びてきた小夏もミキサーで潰して小夏ゼリーに。コーヒーを入れたコーヒーゼリー、プレーンなゼリーと三種を完成させた。大げさな言い方ながら・・・。

           

上手く固まってくれるかと、特にコーヒーゼリーの方を心配しながらタッパーに注ぎ込んだのであるが・・・。外出から帰って確認すると、完璧に仕上がってました・・・

 

 — 初夏の陽ざしの下で・・・ —

午後の太陽が西の方に寄った時間となってから外出。初夏の陽ざしが照る中を、先ずは地元の郵便局にて書類手続きをすませてから、芝・大門駅へとメトロを乗り継いだ。「芝榮太楼」で、最中の江の島を贖う目的で。

先週、高松蕎麦店でこの最中を頂き気に入った。熊本の畏兄、SATOさん夫妻が交通事故に遭遇し、車が前後から挟まれて大破した。幸いにも打撲ぐらいで済んだとFBで知った。なかなかの悪運、強運の持ち主である!。ともあれ、信心深い方なので神のご加護であろうが。

信心なき吾だが、その運にあやかるべく、見舞いの品でもお送りして運を頂こうと云うセコイ算段をしたのだ。そこで思いついたのが、旨かった芝榮太楼の最中である。

昨日の日曜日に向かうべく、お店に何度か電話をしたが繋がらなかった。今日の昼前に繋がり、大よその場所を確認しての出撃であった。

 日比谷線六本木駅で都営大江戸線に乗り換えたが、日比谷線から大江戸線への乗り換えは長~いエスカレータを何度か乗り継いで、果てしなく地下へ下へと降りてゆく・・・。

その長~い移動中に、かってこのエスカレータで上下のすれ違い様に知り合いの誰かと遭遇し「おお~」と手を挙げた記憶が甦ったが、果たして誰であったか思い出せない。代わりに、六本木とはすっかり縁がなくなった今と対比するように、かつて縁が濃かった頃の六本木が浮かんだ・・・。

友人との待ち合わせは青山書店が多かったこと、日東ビルの裏に在った「禅」の全盛期、ロアビルやその前のビルのクラブを梯子した時代。ゲイクラブの老舗「ママひげ」や、転換手術をした姐さんが多かった「プチシャトー」。防衛庁脇のクラブで出会って以来、馴染みにしていながら自死した姐さん・・・。

唯一遅くまで開けていた芋洗い坂の蕎麦店「油や」で、遅い時間にざる蕎麦を啜りながら「〆にはラーメンももいいが、蕎麦もいいよな」なんて言った時代のこと。

思い返せば、ここで遊んだ期間は精々5~6年ほどであったろうが・・・。長い長~いエスカレータを下りて行く間、そんな時代が甦っていた。これも、自宅から郵便局、そして最寄り駅まで歩いた短いながらも夏の陽ざしを浴びて、虫干しされた所為であろうか。

 

大門駅A5改札から、芝神明通りを行くとすぐの左手に「芝神明社」のコンクリートの大鳥居と、社に上がる急な階段、その上に大きな構えの社殿が目に入った。これが彼の芝神明かと、初めて目の当たりにしたのであった。吸い寄せられるように社殿へと向かった。

              

大きな階段を上がり、意外と狭い境内には参拝者は二人、賽銭を用意して参拝の順を待った。私の前のズボン姿のご婦人は深々と頭を下げ、大きな柏手を打ってから手を合わせたまま頭を垂れて一心に願いことか・・・、これがまた長~い。六本木のエスカレータ如くに。

漸く空いて神前(賽銭箱前だね)に。さて、願い事?何にも考えてない。何をお願いしょうかと思ったら、先週手術をして入院中のスタッフのRIE嬢のことが浮かんだ。RIEの快癒をお願いした次第である。ついでに、昨日の安田記念競馬で大漁を逃した我が博運の向上も少しばかりお願いした次第である。

話が長くなるばかりで、中々目的の「芝榮太楼」に辿り着かないが・・・。大鳥居を後にしてから、ものの一分か目指したお店が在った。

先客は一人、その買い物が済む間にショーケースの中から意中の「最中 江の島」を見つけていた。命名は明治の文豪、尾崎紅葉先生であると記されている。これは歴史が古い・・・・。

買い物ついでに少し店のことを訊いた。なんと、創業は明治で、120年の歴史があるとのこと。初代が日本橋・榮太楼の職人だったそうで暖簾分けを許されて、芝神明門前に店を構え「芝榮太楼」を名乗ったと云う由来。

と云う次第で、榮太楼の缶入り黒飴があったのでこれも買ってしまった。店の女店員は、若いながらもは柔らかにハキハキしており好感が持てた。これなら、どんなものも美味しいであろう。そう感じさすものがありました。

 

偶にはよその町を歩くのもいいものです。そんな思いがした、初夏の陽ざしの下での外出だった。これも偏に、SATOさんの悪運・強運・ご加護だったようだ。

 

 

 

 

 

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過食に走る・・・

2019-06-01 | Weblog

6/1(土)昨日の金曜日、午後の早い時間に五反田駅に下りた。前日の夕方にこの駅に下りた時は「蔵や」に直行して一杯飲やったのだったのだが・・・。この日は、緩やかな坂を上がって病院に向かったのである。曇り空ながら坂道を歩くと汗ばんでいた。

入院ドッグで無呼吸症候群が中程度と云われ、馴染みの五反田病院でその治療(と言っても、睡眠時に空気を吸入するだけのことだが)を始めたのが四月半ばか。その経過をチェックするための通院であった。三十分程順番待ちをし、又しても三分ほどでDrとの面談が済んだ。

一旦帰宅し、五時前に再度の外出。人形町駅から新大橋通沿いに在る店に向かった。「貝を食す会」が、ハマチョウハウスであり、誘いを受けてこの会に参加した次第。会場の関係からか、毎回二十名限定とかである。

始めにアワビの煮貝とシーフードサラダ、ホタテなどの刺身がテーブルに乗っていた。そして鍋にする、ハマグリ(千葉産)・白貝・シジミ(北海道産)が供された。鍋を始めると貝の出汁が良く出て濃~い!。次の鍋の材料は、シンタイガー?とか云う、養殖のブラックタイガーの原種とか聞かされたエビに野菜・トーフなどが・・・。またしても貝の刺身が出た。

         

〆は麺であったが、とてもとても食べれない。満腹状態でお酒も入らなくなっていたのだ。

余談だが、この店の壁いっぱいに本棚が広がり、書籍がズラ—と並んでいる。本はジャンルを問わない様々であるが、どの本もユニークと云うか面白そうである。オーナーの趣味で仕入れているそうで、販売もしているとか。

この場でちょいとさみしい思いをしたのが、名刺すら持たない素浪人だと云うこと。皆さん名刺交換をされるが、こっちは頂くだけ!。

六時にスタートした貝の会は八時半にお開きとなった。直ぐに「ちょっぷく」に向かった。YOSHIOに行く旨を連絡してあった。

「ちぅぷく」は満員、盛況の極みであったが、YOSHIOとFUJIKURAが席を取っていた。二人の顔をみて「俺はもう喰えない、飲めないぜ」が、開口一番とは情けないが・・・。それほど、過食になっていたのだ。

挙句に店長のYAMAちゃんが「これ美味いから喰ってみなよ!」と持ってきたのは、丼飯に乗った得体の知れない青くドロドロした山芋をすったような代物。

喰えねぇよ!喰えよの押し問答の末、ほんの一口、ご飯と一緒にそれを口に入れた。なんだよ!美味いじゃねえか!。辛みが利いて、味噌の味と飯とのハーモーニが抜群。YOSHIOとFUJIKURAに回すと、旨い美味いと食べる。この二人は普段からろくな物を食ってない。何を喰っても美味かろうが・・・。FUJIKURAが丼を手放さず、全部喰った。如何にも幸せそうに。貧乏野郎め!。

                 

なんなんだ?と訊くと「大根葉茹で、刻んで味噌と叩き、仕上げにゴマ油を垂らしたものだ」と云う。作り方が正確じゃないかもしれないが、そんなようなものだ。今度レシピを聞いて作ってみるかな?。しかし飯に掛けて喰うんじゃ、食が進みすぎるか・・・。

昨夜はそんな夜を過ごし、引き留めるYMAちゃんを蹴飛ばして家路についた。お腹が一杯で苦しいのだ。人様より多く食したわけじゃないよ。

 

そして今朝を迎えたが、過食の名残か、目覚めるなり朝飯を何にしようか?と考えたのである。恐ろしいねぇ~。

結局、肉を焼き、ベーコン&ウインナ—に目玉焼きを二つとサラダ。トーストを一枚に缶ビールとなったのであります。過食道をまっしぐらですよ。

腹ごなしに「小夏のママレード」を作ることにした。昨日か、お京さんがFBにこれを作ったと紹介していた。それを見て、萎びつつある小夏の在庫を減らすことにしたのだ。

自家栽培の柚子、文旦でママレード作ってきたので、ママレードを作るのに飽きていたのだが・・・。皮はあまり使わず、剥いた甘皮と果実をミキサーしてから煮た。仕上げにペクチンとレモン汁を加えたのでよく固まってる。酸味が利いた特徴のある味になった。

              

 

 

 

 

 

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今朝も弁当を・・・

2019-05-31 | Weblog

5/31(金) 五月、月末の金曜日になった。私の店の件は依然として不透明なままである。いい加減にせいや!、と言いたいのだが・・・。遊ばれているね!。向こうは条件のいい客が付くのを待っており、こっちは保険でスタンバイさせられているのだから世話ねぇ~や。

そんな日々ながら、今週の夜は忙しかった。昨夜は五反田「蔵や」にて五人で飲み、そこから馴染みの人形町「高松」で仕上げをしてからの帰宅。気分のいい「蔵や「」で焼酎ハイをたっぷりと注入し、酔っていた。「高松」では、金魚ソーダを二杯だけ。女将さんが出してくれた最中 —榮太郎にいた職人が出した店の品とかで、これが滅茶美味くて遠慮なく四個も頂いたー。酔っている証拠だ。

「蔵や」は五反田有楽街の端にあるボロ屋(失礼ながら)に店を構えて四十年と云う。ご主人と女将さんの二人、狭い厨房でせわしなく動く。自転車で毎日豊洲まで仕入れに行くという主人。メニューがやたら多い!。それに食材を全く無駄にしない。昨夜の山芋の千切りも、皮が後から天婦羅風になって出てきた。

           

人形町に着いたのは、八時を回っていた。八時半がラストオーダの「高松」では、先客たちが引き上げる時間帯になっていた。前夜の送別会の礼を言い、我等が今宵最後の客となっていた。

                

女将や若夫妻を相手に雑談をし、最中を頂いてから、US老と五反田に同伴したカップルを残して先に失礼をした次第である。U五時半から飲み始めて、帰宅は23時前であったか。

              

今夜はハマチョウハウスにて、貝を食す会に参加する。二十名限定の会と云うが、こっちは浮世の義理で顔を出すだけのことだ。今更、貝を食べてたいとは思わぬし、ここんとこ過食気味なのだから・・・。貝じゃないよ、食事をだ。

そんなことがある今朝の弁当。冷凍品をメインに使ったお手軽な作りとなった。

「味付けの豚肩ロースの焼き」「冷凍シューマイ」が出来合いの品で、オムレツとアスパラ&ベーコンのソテー、サラダと至って簡単なものになった。

             

簡単なものながら、お味の方は上々!でした。

 

 

 

 

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ゴルフ終い&過食の日々

2019-05-30 | Weblog

5/30(木) 一昨日の火曜日、六時半に家を出て板橋駅に向かった。ここでTKAHASHI君の車にUSI老とともに同乗。妙義山の麓にある「妙義カントリークラブ」に向かった。順調に車は進み、スタート時間の一時間程前に到着した。

車中での会話は勿論ゴルフに関することだった。十年近くもゴルフクラブを握っていないが、面白い昔話には事欠かない。そんな中の一つ『シューズが古くなって、底が剥がれて途中から紐を巻いて歩いているのがいたりするよね』なんて笑い話を披露した。

と、老も同じような経験があるようで「俺も靴底が剥がれて縄で縛ったら、キャディからグリーンを傷めるので止めてくれと言われたよ」「ハーフを片足裸足で回り、クラブハウスの売店でシューズを見ると、二万円以上するので買わなかった。午後も片足は靴下で回ったことがある」なんてことを白状。三人で大笑いしたのであった。如何にも老らしい逸話である。

クラブハウスのロッカールームで着替えをして靴を履き替えた。脇のロッカーを使っているTAKAHASHIの足元を見ると、なんと靴底が剥がれてボロボロ・・・なんだそれや!。三年も使ってないとのことで腐食していたのだ。車中での話が現実になっており笑うに笑えない酷い状況であった。

クラブもシューズもボールも持たない私は、クラブは夏住まいの軽井沢から降りてくるKIYOTA大兄から借用、シューズはクラブで借りるようにしていた。KIYOTAさんが到着し、私の靴もなかろうとクラブと一緒に持ってきていた。Tはその靴を使うことになった次第。

そんな笑い話から始まった四人でのプレー。十年もクラブに触れていないのでスタート前に少しでも練習をしたかったのだが・・・。それも叶わず、いきなりテイーグランド(今は呼び方が違うらしい)に立っことになった。当たるかどうか不安いっぱい。空振りするんじゃないかと覚悟していたが・・・、そなこともなく当たった。が、左サイドに飛び、木に当たってフェアウエーに出てきた。ラッキーなスタートであった。

          

この日の天気は、小雨がパラつくことがあったが曇り空、暑くなかった。、そういう意味ではゴルフに最適であった。妙義山を見上げながら緑の大地を歩く。ゴルフの爽快さを久々に味わった。案じた空振りはなかったが、得意であったアプローチショットやアイアンはボールを摑まえることができない。パットは距離感が全く合わずと散々だった。

                

スコアの方は言うまでもなく散々ながら、百獣の王の手前、109であった。OBやロストボールがあり、スリーパットの連続を思えばこんなものであろう。心配をした膝と体の痛みが出なかったので、これならゴルフを再開できるんじゃないかと思ったくらいだ。それはないだろうが・・・。

無事にプレーを終え、大きな風呂にゆっくりと浸かり。隣接のホテルにチェックインしたが夕方の五時。このホテルが満室のような盛況で、バイキングの夕食は七時半からと指定された。それまでの間、部屋飲みとなった・・・これで、十分に出来上がってしまった。

             

この日のメンバー紹介を簡単にすると、KIYOTAさんは私がグループ会社に出向していた時の上司、TAKAHASHI君はその当時の後輩、USI老もその会社に某広告社から出向在籍していたが、私とは一緒ではない。その後、K&U氏には私が代表を務めた会社に関わってもらった。

今年の初め、K&T氏と一杯やった折に、K氏の要望もあり三人で最後のゴルフをやろと云うことになった。これに老も加わって、火曜日のプレーとなった次第。

プレーを終えた昨日、昼前に帰京。夜は元の会社のスタッフ・ITO女史が今月で退職するので、その送別会に出席した。店は馴染みの「高松」蕎麦店であった。二次会は「ちょっぷく」で何時ものメンバーで。ホテルのバイキング、送別会と過食な日々であった。

               

そして今夜、五反田「蔵や」にて、老の差し金で高松の常連アベックにJINパパを加えた五人で飲むことになっている。財布持ちは俺だろうね・・・。

 

朝から鼻水が止まらない、急にそんな状態になった。風邪とは思わぬがアレルギー性鼻炎かな?。夜の外出は控えた方がいいのか?そうはイカンザキだろう・・・。

今朝の弁当作りもチッシュを手放せなかった。五分おきに鼻水をふきふきの弁当作りであった。

「親子煮」「豚バラのソテー」「小松菜の煮びたし」「茄子みそ炒め」、卵焼きにサラダである。家人は「親子丼弁当」にしたが、長女は野菜中心の弁当である。

        

 

 

 

 

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優雅なる?週初めは・・・

2019-05-27 | Weblog

5/27(月) 週初めの朝を迎えて、今朝も二つの弁当を作り終えた。今日も暑くなるとの予報を聴いて、思わず缶ビールに手が伸びたのは、何の気兼ねもいらぬ素浪人暮らし故であろうか。

今日の弁当は、家人は「ホイコーロ」をメインにして焼鮭と卵焼きに。長女は、サラダを中印に、昨夜の鶏煮と卵焼き。アスパラ&ズッキーニのソテーを添える。

             

いずれもお手軽な品ばかりだが、夏場の弁当メニューは難しいのだ。

              

ビールを飲み終え、台所の片づけを済ませたら暇になった。コーヒーを発て、苦みにたっぷりのこれを飲みながら、今日の過ごし方を考えるが・・・。夕方に人形町に入るが、それまでが暇なのだ。

人形町では月例の「セイジュ会」なる飲み会で、鄙びたスナックの灯りを消すなが合言葉ながら、鄙びたママさんは目下入院中。その入院費をサポートする意味合いが強くなっている。が、会社の連中にいつまでも負担をかけていいものか?この会もそろそろ潮時かもしれない・・・。

 

明日の予定は決まっている。早朝に外出し、TAKAHASHI君の車に同乗し「妙技CC」にて人生最後であろうゴルフに十年ぶりなんなんとするプレーをする計画なのだ。

KIYOTA大兄、TAKAHASHI君との酒席で、瓢箪から駒ならぬゴルフの話になった。酒の勢いで最後のプレーをすることになった。道具もな~んにも無いというのに。クラブはTのを借りることになり、シューズはゴルフ場で借り、ボールは十年以上前の古ボールが在ったのでこれでいいや。

ゴルフをやる趣旨、大義名分は、Tの退職記念とKIYOTAさんの快気、USUI老の奥さん逝去記念と小生のサードステージへの旅立ちと云うことのようだ・・・。なにをするも大儀名分が必要なのだ!。

そしてプレー後は、併設のホテルに宿泊。汗と涙、恥辱にまみれた来し方を大笑して過ごそうと云うことになっている。問題は、ボールに当たるか飛ぶかであったが・・・、ここに至り膝が痛み始めた。なんとか回ることができればいいのだが。ここに至りてキャンセルはできないのだから・・・。

明日の予定はいいが、今日をこれからどう過ごすかが依然問題である!。なんとも優雅なる?素浪人であるが故の悩みと云えようか?。

 

 

 

 

 

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徒然に・・・

2019-05-26 | Weblog

5/26(日)ここんとこ連日の暑さで、本格的な夏が来たような日がつづいている。夏バテするには早すぎるが、水辺が恋しくなる暑さである。私の水辺と云えば、ボートの爆音が響く水辺であるが・・・。

金曜日の夕は剣道部OB会総会、総会と云うより単なるl飲み会のようなものだが。それから人形町にUSUI老が来ているの「高松」で合流。高松から「ちょっぷく」に流れて、会社のYOSHIOとFUJIKURAも姿をみせて懇談した。OB会で冷酒を飲んだこともあり結構な酔いとなった。

                  

明けた土曜日の昨日、孫のSORAの運動会と云うことでお弁当を作ることになった。オムスビと唐揚、茹で卵やフルーツなどであったが、簡単なものだ。

             

運動会の方は一プログラムだけ覗いて運動場を後にした。月例のそば打ち会が人形町であり、そっちの方に参加するためである。会場に着くと、やたら人数が多い。初めての参加者が六人ほど来ており、その中には両親に連れられたちびっこも居り、覚束ない手つきでそばを延していた。最後の私が打ち終わったのは午後二時近くなった。

                

試食会のテーブルは外に準備され、暑い中を青空を見上げてビールや焼酎を飲み、蕎麦を頂いた。何時ものように様々な差し入れの摘みが供され、賑やかな宴は二時間を超えた。五時前にお開きとなり、片づけを終えた。

               

 

蕎麦打ち会を終えてまっすぐに帰宅すればいいものを、そうはイカンザキと「うまし」にて悪徳マッチャン不動産と一杯やることにした。店舗の件の動向、瞬殺されと云う後遺症のことなど気になっていたのだ。

店舗は動きなし、こっちは当て馬にされているだけのようだ。マッチャンの傷は長引きそうな具合。仲間内でも悪ふざけは良くないな・・・、思わぬ怪我を負い、後遺症まで心配する羽目になっている。

一時間半ほどで「うまし」を切り上げ、帰るべく「ちょっぷく」の前を通ると、中でYMAKAGE店長とチーフのヨッチャンが片付けをしている。一声かけると「寄ってけよ」と、引き留められてしまった。これが本当のシマッタ!である。片付けもお仕舞いごろで、何を飲む?と、お酒がでてくる。

一杯行き合いながら、一緒にタブレットの競馬中継をみて、地方競馬の馬券を買って遊ぶ羽目になってしまった。一時間程遊び、食事に出ることになった。すぐそばの日高屋で、生ビールに餃子etc、最後にタンメンまで食す羽目になった・・・。

店に戻り、持っていけよと渡されたのが「ご飯」に「揚物(唐揚げ・トンカツなど)」である。『いらねぇよ』、と言っても無理に持たすのだ。「持って行ってもらわないと、困るんだよ」と。ランチの余り物だろうが・・・・。参ったネ~。

前夜につづき、土曜の夜も「ちょっぷく」で仕上げの夜を過ごすことになっていた。早く帰る予定であったにも関わらず・・・・。

 

          

 

 

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