オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

時の流れで・・・

2019-05-24 | Weblog

5/24(金)週末の金曜日を迎えた。今日も夏日になるとのことだ。一昨日から我が夏の定番スタイルであるアロハを着るようにした。アロハシャツのおっさんであるが、そんな恰好で外出してみるとTシャツはいるがアロハは見かけなかった。夏!先取!。

昨日、夕方からの渋谷・奈加野での高校同窓会の前に、夏空の下で平和島の水遊びに興じた。六レースを楽しんだが勝率は五割、そんなことよりも、いつも入る場内の食堂の小母さんから「あらっ、ハワイスタイルね!」といわれた。『大きく当ててハワイに行ってみたいねぇ・・』と、胸内で応じた。

水辺の遊びを途中で切り上げ、五時半に渋谷着。処が歩行の途中で右ひざが急に痛み出した。前に痛んだ内側ではなく外側の膝筋が痛み歩くのがやっとの状態になったのだ。水辺遊びを途中で切り上げた報い?、水神様の怒りに触れたか?。否!それはないだろうよ、お賽銭はたっぷりと弾んであるのだから・・・。

痛む足でヨタヨタと「奈加野」に向かう。宇田川町交番の横の低い仕切り塀に腰を下ろしているホームレスのような格好のおっさんに見覚えが・・、それが同窓会に参加してくれる先輩のYさんだった。疲れたので休んでいると言う。無理もない・・・、昨年の夏から半年近くも郷里で入退院を繰り返しながらも、今日のために上京してくれたのだから。誘って店に向かった。

                 

同窓会といいながら、高齢者ばかりになって参加者は減る一方なのだ。体調不良で動けない、癌で亡くなった、そんなことばかりが届く。愈々解散の時期を迎えたようだ?。

今回の参加者は同窓生がたった五人、これに現役のYAMAWAKI校長と前々任のYAMAKAWA校長のお二人がゲストとして参加下さった。総勢で七人と云う体たらくだが、七人の侍と思えばそれもまた楽し!。こじんまりとした集まりであったが、それはそれとして昵懇の会となった。

お開きの後、店に残ったNISHIOKA先輩(店主の同級生で、一時店を手伝っていた)と店主で雑談をした。そんな中で、先輩の実家を活用して民泊でもやろうか、なんてことを言うと店主が大乗り気になった。英国風のB&Bでもやるといいかもね!お遍路さんも多いし、昼はジビエ料理を出す食堂にして・・・。

こんなこと云うのも、母が生きていれば、町で川に面した先輩の実家を少し改修して飯屋をやろうと真剣に考えたことがある。山奥の我が家と違い、立地(川と海がすぐで)がいいので国道を行きかう利用者には便利なのだ。

そんな会話でひとしきり盛り上がって帰宅した。学芸大学駅には22:30分着と早かった。人形町の店があやふやなので、田舎に帰ってやるにはいいアイディアかもしれないな、なんて思いながら駅前の東急ストアで翌日の弁当食材を見繕いながら振り返ったのであった。

 

さて今朝の弁当だが、トンカツ(タマネギフライ添え)&チキンソテーをメインにした。小蕪は塩揉みして即製の漬物に、ホウレン草は卵との胡麻炒め。フライに使ったパン粉・溶き卵と小麦粉の余りをチジミ焼きにするのは定番。

       

チキンソテーは、減量中の長女の為である。偉いオヤジだねぇ~。

             

野菜サラダとシジミの味噌汁、弁当用ではないが、干し小魚のニロギ(柊魚)を素揚げして南蛮漬けを作った。これで今日の朝遊びはお仕舞いである。

            

昨日の弁当を紹介していないので・・・。ブリの照り焼とピーマン肉詰め&ハンバーグ、ベーコンエッグ&プレーンオムレツ、アスパラ&ベーコン炒めなどであった。

         

      

 

 

 

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流れゆく日々の中で・・・

2019-05-22 | Weblog

5/22(水)本日、一日中予定なし!。夜の部もお出掛けの計画がない。こんな日はどうやって過ごせばいいのやら・・・。誰もがしているであろうお散歩?部屋の中でお体操?か。どれもこれも何かの目的があればこそ出来る、やる気になるのだが、それすらない身にとっては、虚しゅう映るだけである。

素浪人の暮らしも、早や五か月を過ぎようとしている。一度は断念した酒場の店舗が、未だ決着が着いていないと昨晩聞いた。月末までには何らかの動きがあるかもしれない?振り出しに戻って再検討することになるか、或いは砂上の楼閣か。

今更、東京でやるべきこと、やりたいことが生まれるとも思えない。酒場の件が消滅したら、夏からは田舎暮らしを本格的に始めようと思う次第だ。亡母の新盆と一周忌を潮に・・・。

 

田舎者の悪さは、帰るべきところが在ると云うことだ。そんんなものがなければ、淀んだ空気の都会の藻屑にでもなろうと定めるしかないのに。余計な選択肢がある故、余計なことを考えてしまう。

 

さて、今日一日をどう過ごす、どう生きようか。すでに朝の弁当作りは終えたし、今から晩飯の準備には早すぎる。平和島に水遊びに出掛けて時間を潰すしかないか?。なんてことを記した矢先、友人のOKAZAKI氏から電話が。急遽、14時に渋谷で会うことになった。何やら話があるとのことだ!。何であれ、時間を共にする相手ができた。

 

今日の弁当は「ステーキ」「大根煮」「二色弁当用の卵&鶏ソボロ」「胡瓜&タコの酢物」「蒲鉾・ゴボ天(さ遊馬揚げ)」などになった。

            

減量作戦を継続している長女の弁当には、小さな塩オムスビを一つ忍ばせた。

ソボロが上手くいかない、ソボロならぬボロボロである。卵は、小さいながらも殻が厚くて黄身のぷっくりした土佐次郎の卵を使用している。大根煮は、絹厚揚げと鶏団子が入っている。他にも、チリメンジャコとタラコをスタンバイさせたが、出番がなかった。

                 

斯様な弁当を作ったが、昨夜の帰宅は24時半過ぎと遅かった。六時過ぎに人形町に入り「ちょぅぷく」でHOYA兄い、悪徳不動産から瞬殺された不動産屋になったと自嘲するMATUOKA氏と歓談。この時に、店舗の件を知らされたが。

              

NAKAMURA大将は狭いマンションで大人しくしていたが、我等が押しかけて軽く部屋飲みをしながら、六月の料理教室メニューやセイジュ会の開催日を相談した。

最後は、マッチャンと「こま吉」に流れて、瞬殺された相手、NUMATAちゃんと合流して事の顛末などを肴に一杯であった。顛末は土曜日の夜、二人で飲んでいて意見の不一致から「表に出るか」となり、外に出たとたんにヌマちゃんの頭突きくらって目じりから流血、ダウンとなったようだ。

「あっという間もなく、瞬殺されました!」と、眼帯を隠すためにニット帽を目深に被ったマッチャン。ヌマちゃんは「俺、小学校から喧嘩に負けたことがないよ」と、しれっと豪語。血だらけになった後、店の方からバンソコもらって、飲み見直しにキャバクラに行ったそうだ。然し、お前らホンマにアホやな!。そんなアホに付き合ってる俺も、相当なバカだが!。

一週間ぶりの人形町は、かくも可笑しく、面白い夜が遅くまでつづいた・・・。

 

    

 

 

 

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一週間ぶりに弁当を・・・

2019-05-21 | Weblog

5/21(火) 昨日の午後、13:35分発のANA便で帰京した。一時間前に着いた高知空港で座席を取ると、なんと残り座席は3席しかなかった。後方の三人掛けの真中の席になった。使用機が小さな飛行機の所為だ。

満席の便となったが、保安検査を済ませて生ビールを飲んでいると、ロビーで流れたアナウンスは後続の便から欠航するとの案内。えっと思うと、これから天候が荒れるとのこと。空港に着いた頃はそれほどでもなかった天候が、急速に荒れ模様になつていたのだ。私が乗る便は、悪化する前に着陸をしていたのでことなきを得た。

                   

台風や天候悪化で欠航になることはままだが、私の場合は何度もその危機を避けて間一髪でセーフを繰り返してきた。危機一髪の難を逃れてきたのは、我が人生そのものだが・・・。悪運は未だ見逃してくれているようだが、いつまでもつか?それが問題だ。

ともあれ、一週間の帰省で大方の雑務を済ますことができた。然し、なんと出費の多かったことよ!。実家の固定資産税、ボロ車の車検や保険、庭の改修費、市内での飲み会・・・。身も心も財布も軽くなり、スッキリしての帰京であった。

そして、帰宅後は夕食の準備をした。喰い物から一時も離れることができない、貧乏OYAJIである。

 

今日は、午後からOB会の散策会が予定されていた。処が、昨日の朝に幹事から電話が入り、今日の天気が荒れそうなので延期しますとのこと。義理でこれに出席するため、昨日の帰京にしたのだが・・・。一週間後に開催するとのことだが、生憎この日は生涯で最後、十年ぶりぐらいなるゴルフに泊まりで行くことになっている。

ゴルフ道具も、な~んにもないながら・・・。浮世の義理、ことの弾みというやつだが、昔は一緒にプレーを楽しんだ上司・友人でのゴルフ最終章と云うやつだ。どんなことになるやら・・・、練習に行く気も全くない(道具もない)。当日は一緒にプレースするTAKAHSHI君のクラブを借りることになっている。問題は靴か、運動靴?じゃ拙いか。

 

さて、今朝は一週間ぶりの弁当作りであった。久々なので、昨晩寝る前にメニューを考えておいた。こう云うことに関しては真面目なのだ。

メインは「チンジャオロース」、その他は、下処理してしておいた冷凍のシロイカのバターソテー、ポテトサラダ、ホウレン草のお浸し、卵焼きである。そして、前夜の「手羽元のトマトソース煮」の手羽骨を外して長女の弁当に使う。

            

昨晩、夕食に来た長女に『未だダイエット継続してんの』と訊くと、継続中とのことだ。その効果が表れている気配なしだが。家人用と二種の弁当である。

卵焼きの他に、土佐次郎(鶏)の茹で卵を長女の弁当に入れることにした。土佐次郎は小型の鶏で卵も普通の卵の半分の大きさである。それながら、肉も卵も高いのだが、卵をわざわざ持参した。

              

かくして、二種の弁当を作り終えた次第。

             

 

 

 

 

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小夏物語

2019-05-19 | Weblog

5/19(日)明日の午後は帰京する。今日までの日々は小夏の収穫に始まり、酒と飯、そしてまた小夏に追われた。僅かな本数しかない小夏の樹ながら、6ケースほど収穫したが、どれもこれも不細工で俺のような小夏ばかりさ。

                

そんな不細工な小夏だが、従弟&従姉たちは美味しいと言う。美味いのを食べていない人たちは幸せだねぇ~。古い小夏の樹は二本だけで、十年足らずの樹が三本あるか。味は古くからある樹の方が美味しい。新しい樹の方は種無しを植えたのだが、これがさっぱり種無しにならないのだ。

聞いた話によれば、種のある樹があるとその花粉で種ができると言うのだ。そんな次第で、食べる時の面倒とロスは計り知れない。人様に差し上げるのも躊躇するのだ。

私が子供頃の小夏といえば、今より数段も酸っぱかった。だから、砂糖をかけて、食べていた。最近の小夏と云えば、種もなく甘みと酸味のバランスの良さ、香りは、他に比肩するものなしと思う。

小夏の食べ方は、先ず皮はリンゴを剥くように剥いて白い甘皮を残す、そして甘皮ごと乱切りや輪切りにして食す。私の小夏は、種が多いので、種が密集している芯の周りを残した乱切りにする。

その乱切りにした果実は、すぐに食さなければタッパーなどに入れて冷蔵庫へ。果汁を絞ってゼリーにしたりもするが、ママレードにはしないなぁ~なぜか?。

            

今年は、ホームセンターで木製の果汁絞りを買ったので、今日小夏ジュースを絞った。ちょっと酸味はあるが、暑い日には美味いだろう・・・、冷蔵庫に仕舞った。

                 

収穫した小夏を拭いたり洗ったり、絞ったりと小夏と酒、飯つくりに明け暮れ、咳と鼻水に悩まされた帰省。それも今夜でお仕舞いだ。

今夜の飯は牛ステーキと牛小間炒め、茄子煮、てんこ盛りのサラダ。主食は牛小間入りの煮込みウドン。在庫の食材をはかすために従弟のKATOを招いたら、川エビや自然薯の天婦羅を持ってきた。食べきれないよねぇ~・・・。

             

 

 

 

 

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四日目・・・

2019-05-18 | Weblog

5/18(土) 帰省して早くも四日目となった。三日前から風邪の症状が出ていたが、昨日から本格的になってきた。熱が出ないのが幸いである

帰省した翌日、午前中に「小夏」を収穫してから、午後に高知市内に向かった。車は安芸駅において、そこからは電車で向かった。四時半頃に高知駅に着いた。駅に乗降客の姿はまばらであった。着いたホームから、はりまや橋方面の写真を撮った。そして、駅を出てからカマボコの駅と駅前に立つ三人組の写真もおさめた。中岡・坂本・武市の三人である。 

              

繁華街に位置するリッチモンドホテルにチェックインし、6時からの飲み会に備えた。この夜は県議に当選したNISHIUCHI君のお祝いと、次に向けての意味合いがある。彼が予約してくれた店は、イタリアンとも和居酒屋とも判じない店であった。

二次会はAMENOMORI君が案内してくれたスナックだが、カラオケは置いてないという、今時分には見上げた店であった。朝から喉の調子が良くなかったが、愈々かと思わす症候である。

翌日、正午頃に安芸駅に到着。スーパーや魚屋で、この夜、自宅で姪夫妻・妹夫妻を招いて開く食事会の食材を買った。帰宅後は食事の準備に入る。メインはスキ焼だが、刺身・煮物や筍と豆のご飯などを用意した。庭の改修をやってくれたので、その御礼であった。

昨夜は従弟のKATUOを呼んでの食事。この夜も盛沢山の食事を並べて、畑の草刈りをしてくれる御礼である。牛炒め、タケノコ寿司、キビナゴの南蛮漬け、胡瓜&茗荷の酢物、シイラの酢味噌ダレなどと盛沢山。流石のKATUOも食べきれなかった。

             

 

そして今日は、妹の処の田植えがあった。今、この山里は田植えの盛り。田植えと言って今は機械化なので、昔のような田植え風景はどこを探してもない。妹の処も、二時前には全て終えていた。

手伝いに行こうかと云うと「手伝いはいいから、お昼のご飯をお願いします」と、言われたのだ。今朝も風邪の症状がつづいている。といっても、昼の準備ができないほでない。オムスビ12個(梅・酒・シラス)、鶏唐揚げとシイラのフライ、筍煮、味噌汁を準備した。

東京に居るときと変わらず、何処に居ようと買い物と飯の用意をして遊んでいる。

妹に田植後の食事を渡し、町まで荷物を送りに行った。その途中、この前にジャガイモを送ってくれた後輩の自宅に寄り、改めて御礼を云う。町から帰っても体がだるくて力が入らない。それでも、芋の苗を植えた。ひと畝だけであったが。これが終わる頃になって雨が降り出した・・・。みるみる、屋根から雨しづくが落ちるようになってきた。五分早く作業を済ませばよかった。

池にも雨粒が落ちていた・・・・。

                   

 

 

 

 

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帰りなん故郷へ・・・

2019-05-14 | Weblog

5/14(火) 朝の弁当作りを終えて、風呂に入ってから小雨降る碑文谷公園通りを五分足らず歩いて学芸大学駅に。東急線・日比谷線を経由、品川から京急で羽田空港へと向かった。出発の三十分前の到着で、見込みとおりだった。

フライト便は定刻に離陸、席は進行方向右側の最後列の窓側。この席が空いていれば、何時ものこと。この席なら室戸岬を過ぎて暫くすると、故郷の町を望んでから高知空港に舞い降りる。残念ながら、今日は雨に霞んで景色はぼんやりしていた。上空ではガタガタと揺れる時間が長かった・・・。

機内で珍しくアルコールを頼んだ。座席のメニューを見ていると、おもしろそうなものがあったので。缶の焼酎ハイボールで、それも芋焼酎のハイボールだ。どんな味がするか試したくて。簡単なおつまみがついて500円也。

缶はすっきりとしたデザイン、プルトップを開けて香り嗅ぐと、微かに、芋の香りが・・・。それも上品と云うべきな香りが漂ってきた。口に含んだ微かな香りと、喉越しのシャープさがマッチし、酒精の軽さで飲みやすく中々のものだった。

                

何処が作っているのかと、飲み終えた缶をが改めると東京の会社「味香り戦略研究所」なる処が発売元で、栃木の工場で生産とあった。なんだ、薩摩じゃなのかと興覚めしたが・・・、芋は薩摩の酒造所とあった。

                 

この缶焼酎ハイボールのセンスから、新たな商品開発を薩摩の酒蔵がやったかと、拍手したかったのに味香り戦略研究所か。有りそうなことだ。缶を開けた時の香りが、急に取って付けたように思えたのは穿ち過ぎかな?。

そして着陸も定刻に。妹夫妻の迎えを受けて一路、帰りなんである。が、途中の安芸市内でスーパーに寄って食料を買った。野菜が中心であったが。

                 

 帰宅し、仏壇に蠟燭・線香を灯してから、川向こうのお墓に参った。隣接する畑に寄ると綺麗に草を刈ってあった。頼んでいた従弟のKATUOが刈ったのであろう。

故郷の清流は、穏やかに流れ山里は小雨にしっとりと黄昏を迎えようとしていた。自宅の庭はすっかり綺麗になり見違えるような装いになっていた。連休の休みに改修をしてくれた姪夫妻に深謝である。

               

ユズや文旦、収穫前の小夏の樹まで花盛りであった。今年は柚子が豊作になりそうだが、それはそれで絞るのが大変だろう。

          

 

さて、今朝も弁当だが「牛肉炒め&椎茸・筍のバター焼き」「チンゲン菜・椎茸・筍・厚揚げの煮物」「胡瓜・茗荷の酢物」「鶏唐揚」などであった。

          

ご飯は、筍とグリーンピースの炊き込みご飯にした。一週間も不在なので、生の食材をなるべく減らすべきと。

         

 

弁当を作り終えて、夕方に立寄る孫のSORAのためにフルーツを剥いてタッパーに入れた。マンゴーとパパイヤであるが、宮崎産の大きいものながら安かったので昨日に買ってきた。味見すると、パパイヤは合格、完熟マンゴーは甘みがちょっと不足かな・・・。

                   

明日は天気が回復すればいいのだが・・・。収穫が遅くなった小夏を取り、夕刻には高知市内でNISHIUCHI君のお祝いの飲み会なのだから・・・。そんなことで、明日は市内のホテルを予約している。        

 

 

 

 

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バラ&満艦飾テーブル

2019-05-13 | Weblog

5/13(月) 今日は週初めだが、素浪人にとっては大した意味もない。そんな朝だが、弁当作りがあった。前日に笠間の農園で貰ったタケノコやホウレン草、間引き大根などを食材にメニューを構成した。

そして、郷里の後輩から届いた綺麗なジャガイモを使った「肉じゃが」をメインにした。笠間の野菜は「筍の土佐煮」「大根の塩揉み漬物と大根葉の煮物」「ホウレン草の胡麻和え」にした。

      

ご飯は、鮭まぶしご飯である。卵は自分の好みでないが「出汁巻き」にした。最後に長女のサラダ弁当を用意して今朝の遊びが終わった。

      

夕食に孫のSORAが来ると言うので今夜の外出を控えたが、それまでが暇である。クリント・イースドウッド監督・主演の映画「運び屋」でも観に行こうかとNET検索したが、みつからない?。諦めて文庫本を読むことにした次第。

読書に飽きて、少し散歩する気になった。すぐそばながら、長い間行っていない「碑文谷公園」へと向かった。公園に入り目に付いたのは見事に咲き誇るバラ園であった。広くはないバラ園ながら数種類のバラが今を盛りに競っていた。こんなに綺麗じゃ、写真を撮るしかない・・・。次いでみ公園のそこかしこを撮った。

               

何年か前、この公園の池に老女の死体遺棄事件があり一躍有名になったが、そんなことを忘れたかのように園内は長閑である。

            

碑文谷は江戸期、旗本の神谷氏の領地であったそうだ。この碑文谷池はかつては湧水が湧き、田畑を潤していたであろうが、今は周囲は住宅街。池に厳島神社が祀られており、鳥居をくぐり小さな太鼓橋から渡れる。公園を一回りし、池の写真を撮った。

       

ここから環七通りに出て、小一時間の散歩をし、スーパーマーケットで又しても買い物をした。ついつい余分なものまで買うのは、貧乏OYAJIの性である。

 

夕食は「蕎麦」が主食。菜は「チンゲン菜の豚バラ炒め」「ホワイトアスパラのサラダ」「ニラ卵」「蕗とグリンピースの煮物」「山菜と野菜の天婦羅」(椎茸・茄子・こごみ・タラの芽・かき揚げ)に、朝のおかずも残っていた・・・。

                

おかずが、有りすぎだ!。それにして、孫も義母も蕎麦をよく喰ったねぇ~、おかず喰えよって言いたかったよ。

ビールのあとにあとにワインと思い、冷蔵庫に残っている瓶を取ってもらった。どうも色が濃い?古くなったか?なんていいながらグラスに少し注いで飲んだら なんと、BQの時に残った焼肉のタレだった。バカヤロ~。

 

明日の午後便で帰省、帰京は20日の夕の予定です。15日は、県会議員に当選したNISHIUCHI君のお祝いを高知市内でやり、翌16日は我が家で、庭の改修をやってくれた姪夫妻、妹夫妻を招いて御礼の夕餉を予定している。

 

 

 

 

 

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農場に遊ぶ・・・

2019-05-12 | Weblog

5/12(日) 日曜日の今日は、昨日までと変わってそよ風が吹く涼しい一日となった。そんな爽やかな一日、茨城・笠間市の山里にある農場で遊んだ。タケノコを掘り、野菜を収穫し、野菜の苗を植え終えてから地元の方々の作りしランチを頂いた。

 

この農場には五十棟のロッジがあり、直売所や食事処も在る。ロッジは年間契約やショートスティもできるようだ。

てんこ盛りの野菜(チンゲン菜・ホウレンソウ・間引き大根と茹でたての筍)を頂き、帰路の途中では石釜焼きのパン屋に寄り、石岡の道の駅で買物と、食材ばかり(野菜が殆どだが)大きな袋に満タン状態!。大黒様の心情さ。

              

                     道の駅

この度のイベントは、日頃からお世話になっている料理研究家のJIN先生のお誘いであった。先生と助手のJINNOさんは、笠間市の農業公社が運営するこの農場の会員で、一コマの菜園を契約しており、月一程度は来園しているとのこと。共同農園の収穫と農業公社が主催する筍掘りイベントがあるのでと、お誘いを頂き参加した。

              

              奮闘のJIN先生&ナルト夫妻!

私は写真家のHANADさんとご亭主の車に同乗させて貰い、総勢九人のメンバーで現地を訪問した。タケノコ堀はシーズン終りに近いが、それでも結構な数が採れた。その筍は、現地で茹でてくれる。それを土産に頂いた。

今日は最高の参加者(61名)と、主催者報告があった。ランチは一連の作業が終わってから、参加者全員で頂いた。

 

 先生のおかげで、とても好い一日を過ごさせて頂き、深謝です

 

 

             上の写真は、先生夫妻の共同作業です!。

 

帰宅は18:30頃で夕暮れから逢魔が時が迫っていた。帰宅後すぐさまに、山菜(買ったのよ!)の天ぷらを作り食した。

 

 

 

 

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尺八とポップス

2019-05-11 | Weblog

5/11(土)昨日につづき今日も、日向を歩くと汗をかくほどの暑さだった。そんな午後、銀座に出た。今日はアンテナショップを巡ることなく、目的の店に向かった。

サロン ド ジュリエなるカフェレストランで、国内唯一と云う尺八でポップスや演歌、プレスリーの曲まで演奏する「昌平」さんのランチタイムライブに初めて出掛けたのだ。

「昌平」さんを知ったのは六~七年前になろうか。池袋の「野武士」なる居酒屋でKISHIMOTO大兄たちと飲んでいると、演奏会帰りであろう昌平さんが、店を出る直前であった。誰かが尺八の演奏家だよと言った。私が店に入る前に演奏をしたようであった。

帰り間際の昌平さんに、不躾にも何か聞かせてよと所望したのだ。と、いいですよと三曲ほど演奏して下さった。独特なその音色に魅力を感じ、エレベータ前まで追いかけて名刺とチラシを頂いたのである。イベントなどで出演してもらうと面白いと思ったので。

後日、昌平さんの事務所にCDを注文し、在庫のあったものを三枚買って聞いた。改めて、面白いなあ~と感じた。残念なことに、その後イベントの出演を依頼する機会を得なかったが・・・。

演奏会の案内ハガキを何度か頂いたがスケジュールが合わず、今回初めて聴けることとなった。

店の前には貸し切りの表示と、コンサートの案内が出ていた。店内には四十人ほどのファンやタニマチらしき姿があった。一人だった私は、既に食事中の一人客と相席をさせてもらった。演奏の始まる前にランチタイムがあり、一応コースらしき料理と飲み物が出た。

                

顔を合わすのは二度目となる昌平さんは、髪と髭は白いながらも日焼けした肌の色艶は良く元気そのもの。尺八を吹くので肺も気管も丈夫であろうし、指導や演奏会のステージと人前に出る職業独特の雰囲気を持っていた。

相席したお客さんと、何歳になるのかな?人でも喰ってるような元気さだよね、など軽口を叩いたよほどの元気。七十歳になったと後で喋り、香典は早めに願いますと笑わしてくれた。

              

受付で貰った紙にリクエスト用の曲が百曲ほどリストになっていた。この中からリクエストする仕組みのようだ。若い娘は弟子の「すみれ」さんで、独奏も合奏も聞かせてくれた。が、やはり師匠の昌平さんはひと味ふた味も違う。

                   

昌平さんの軽妙な喋りと、力強くまたか語り掛けるような尺八の音は、ポップス・演歌・童謡とつづく・・・。

フィナーレの三時になってもリクエスト曲が終わらず、三十分も延長するサービスであった。偶にはこんな演奏を聞くのもいいものだ。BLOGを記しながら、昌平さんのCDを流しているのだ、昼間の時間を浮かべながら・・・。

 

帰りに銀座三越の地階で夕食用の食材を求め、14日の帰郷の為のお土産を見繕って送った。銀座はデパートの中も、通りにも人が多かった。

 

 

 

 

 

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とてもいい一日を・・・

2019-05-11 | Weblog

5/10(金)週末の今日、午後にプロゴルファーのYOKKO(ヨッコ)の取材立ち合いで挨拶に行った。YOKOOこと伊藤佳子さんと云うが、三十年も前に当時私が在籍した会社の所属プロであった。そのYOKKOの取材の仲立ちをしたことで、挨拶がてらに伺った次第。

               

   この姿は、私とのツーショトを、かつてマネージャISAOKOに送っているところ。

取材すタッフと自宅マンション前に着いた頃に、出迎えに出てくれた。取材前のひととき、昔話で往時を楽しく話すことができた。今は協会の副会長を退任し、ご主人との幸せな日々を過ごしておられるであろうと、伺うことができた。

そんな姿を見、取材のスタッからはとてもいい話が聴けたと連絡を貰い、嬉しく思った。

そんな夕暮れは、人形町でUSUI老と「高松」で懇談であった。老は奥さんを亡くして半年足らずながら元気そのもの。夏にには我が郷里に五度目の訪問だとか、老後は我が家に下宿するとか、老い先がどれだけあるか知るよしもないが勝手なことを言って喜んでいる。それもまた好であるが・・・。

そんな午後から夜を過ごして、帰宅は23時過ぎであった。、二人で17時に「高松」で飲みはじめ、ナチュラルのスタッフ伊藤女史、元従業員のSATOに今春入社のFUKAO氏も姿を見せて喧々諤々ながらもいい時間を過ごした。二次会は老と「セイジュ」へ、〆は満席状態が続ているという「ちょっぷく」。ながら店長のYAMAちゃんとチーフのヨッチャンを相手にと深淵なる話を面白おかしく交わした。

 すっかり眠くなってしまった・・・、帰宅は23時と早やかったが。いい一日を過ごしたので気分は上々。YOKKOプロからのメールに気付いたのは帰宅してからだった。御礼のメール、YOKOOの気遣いは凄い!。

そんな午後から夜であったが、今朝のお弁当は長女の野菜弁当に、家人のボリューム弁当?。野菜弁は、レタス・キャベツ・ホウレンソウ・タマネギにミツバまで加へてアオジソドレッシング和え。これに、野菜酢漬けとコンニャクのピリ辛ソテーにした。

          

家人の方は、「コロッケ」「シュウーマイ」の冷凍食品、明太子に鮭、卵焼きとなった。チンジャオロースとかにしたかったが、一人分じゃ余る。義母が食してくれたら作るのだが、ピーマンは嫌いときているのだ。弁当OYAJIにも悩みはあるのよ?。

               

 

早や零時を過ぎたが、いい一日であった。生きとし生けるものに感謝する!。

 

 

 

 

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