オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鉄塔のある街

2016-04-12 | Weblog

4/12(火) 昨夜の帰宅が早かった所為か、またしても夜中に目覚めてしまった。目が覚めて暫くは眠ろうと試みたが、眠れない。堪えきれずに時計を見ると、未だ四時であった。これじゃ起きる分けにイカンザキと、蒲団の中であれこれ思案して時を刻むうちに、また眠りに就いたようだ。次に気付いた時は、六時半であった。

さて、今日の午前は「鉄塔のある街」の取材に付き合うことになっている。駅前で本件担当のTOKIOと落ち合い、鉄塔の在るビルに向かうのだ。駅前?何処の?勿論、鉄塔の在る街のことさ。「だから何処なんだ、そこは?」と問われるだろう・・・、下の写真を見ても判らんだろうな?

                            

このような鉄塔なら、そこ彼処で見かけたことがあろう。右の写真はその鉄塔の在るビルの屋上から西側を撮ったものだが、左手前は小学校の屋上が写っている。この小学校は「鷹番小学校」といいます。そう、鷹番と云う地名は、江戸期の鷹狩場やその鷹匠が住んだことに由来する。と云うことは、ここは目黒区で、駅名は学芸大学なのだ。

地元の取材と云う次第だ。この無線中継の鉄塔が建ったのは昭和41年だとか。と云うことは、半世紀の歴史になる。これだけ長くなると、街に溶け込んだようなものだ。そなことで鉄塔の在る街と、鉄塔の今を(すっかり役割を終えようとしているようだが)取材するため「唐ヶ崎無線中継所」を訪ねる。

詳しいことは、いずれ出版の情報誌に掲載されるので割愛。東横線の祐天寺~学芸大学の間で、家並の上にぽっかりと浮いたように見えるこの鉄塔の風景と、学大駅のガード下から覗けるように見える鉄塔の風景が気に入っている。そんなことから実現したのだが、取材対応をしてくれた方が「祐天寺から学芸大学に入る前に見える電車からのシーンが一番気に入ってます」と、同じことを言われた。

 

この取材に入る前の「弁当事」について伝えよう。六時半に台所に入り、先ずは炊飯。それから、先日の作り置き「冷凍ハンバーグ&ピーマン肉詰め」を解凍。次いで、豚ばら肉とシメジ・ピーマン・絹ザヤの炒め物を生姜味で作る。

そして、胡瓜&タマネギをスライスして晒し、ジャガイモ・人参にゆで卵とペンネを茹でる=ポテトサラダとなる。鮭を一切れ焼く。小松菜を薄揚げと一緒に煮る。スライスした胡瓜をツナ缶で和える(これは初めてかな)。これしきのことで、弁当箱が一杯となるのだ。

                            

そして長女が弁当を受け取りに来たのが、丁度弁当箱に詰めはじめた時だった。『菜が全部入らんな』と言うと、「今日は日勤、深夜勤務だからもう一つ作ってくれてもいいよ」と言う。日勤深夜と云うのは、日勤を終えて帰宅し、零時前に再び出勤して朝までの勤務だとか。要は、晩飯用か深夜用にもう一つと云うことだ。

                            

菜もご飯も余る、一つや二つ増えようが何の問題もない。二つ返事でOKした。作って冷蔵庫に入れておけばいいのだから。菜の方は、オムレツ風の卵焼きを追加し、長女の夜勤用弁当に加えた。そして、ご飯の上に牛味噌を載せた。

                            

以上、今日の弁当事を無事に終えた。

 

 

 

 

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