オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鶏飯

2016-04-19 | Weblog

4/19(火) 今朝は久々に「鶏飯弁当」を思いついた。冷蔵庫の中には大した食材が無いが、冷凍の鶏肉が転がっていた。鶏と大根の煮物なんてイージーなものが浮かんだが、ここは趣向を変えて鶏混ぜご飯と云うことに相成った。

炊き込みにせず、鶏肉を別に煮てから炊き立てのご飯と混ぜる方式にした。鶏肉を小口切りにして、人参と薄揚げの刻みだけで甘辛煮にした。簡単と云えは簡単な代物だ。他の菜は、「牛小間と野菜の炒め物」「卵焼き」だけというシンプルさである。

                             

針生姜をご飯の上にチラして出来上がった。今朝は二人分の弁当である。

                           

 

昨夜の帰宅は23:20分であったか。七時半過ぎに会社を出た時点では小雨がぱらついていた。朝の陽気とは裏腹に、肌寒いくらいに感じた。そんな中を、ローカーボで喉を湿してから帰ろうと、店に向かった。

と、ローカーボの手前にある焼き鳥「こま吉」に、悪徳チャンの巨体がガラス戸越しに見えた。誰かと向かい合わせて談笑していた。この関門を素通りする訳にゃいかんと、店に入った。相方はNKAMURAの御大将だった。先日聖路加病院の教育的入院から無事に帰還し、佐賀の本拠に帰ったばかりんなのだが・・・・。

奥方と反りが合わなくなったか、はたまたあの地震騒動で逃げ出してきたのか?或いは両方かな?そんな馬鹿なことを考えながら、座に加わったのだ。

先ずは二人が飲んでいたホッピーを私も飲むことにした。ホッピーに口をつけた処で携帯の呼び出し音。誰かと思いきや、着信ネームを見るとKIYOTA大兄だ。「ヤッホー、何処に居るんだ。わしゃ渋谷でカゴウマもんと一緒にのんどるんじゃ」と、ノー天気な大声が響いてきた。

『人形町で飲み始めたとこざんすよ。渋谷なら今から行きますよ』と云うと、「いや、もう帰るからいいよ」と言う。『相手はだれなんすか?問題ないようなら直ぐに行きますよ』「いや、もう帰るから。明日あらためてメールするよ。電話変わるから」と、代わった相手は、三十余年前、一緒に仕事をしたKAKIさん(鹿児島出身)だった。

『これから行くよ、奈加野へでも行ってくれよ』「いや、さっきから帰るかえると言うんです」とのこと。「状況次第で、後から電話します」と言うことになって、ひと段落した。連絡待ちだ、飲んで待つしかない。ではでは、人形町パトロール隊メンバーとじっくりやりますか・・・・。

NKAMURAさんは震源地のお隣、佐賀が本拠地だが地震の揺れで気が休まる間がなかったと言う。震源地の皆さんの心労・ご苦労が忍ばれ様。昼過ぎに阿蘇の外輪山、宮崎より住まうSATOU会長(地球市民の会)と話したが、落ち着きつつあるとのことであったが・・・・、会長は大人だから。

そんな会話し、未だつづく小雨の中をローカーボへ移動となった。処が、店の灯りは微かに点いているが、ドアが閉まっていた。「マスターが倒れていねえだろうな?」と、窓越しに覗きこんでも姿なし。そのまま「ちょっぷく」へと向かった。

店は、先週末の大混雑ぶりと打って変わり閑散としていた。『どうしたんだい?金曜日とは大違いじゃねえか』と言うと「雨が降ったからネ、いいんじゃないの」と、余裕の構えのYAMAちゃん店長。日曜日の「皐月賞」は、三連複は取ったそうだが、買う種類が多いので大した上りにはなってないとか。一応当たったので、鼻息は荒かった。

と其処へ、HOYA兄いが現れた。「こま吉」で我らが一緒だったことを聞いたとのことだ。ここでまた、駄法螺や無駄話で盛り上がってから解散となった。

NAKAMURAさんは、今朝の新幹線で熱海へ向かう。仕事関係者とのゴルフだそうだ。今度、顔を合せてもスコアのことは訊かぬようにしようぜ…、武士の情けとやらだ。然し、熱海駅から車で一時間も掛かるコースだそうだが、どこまで行くのやら?帰りは熱海の寿司屋で一杯だそうだ。美味い酒が飲めるといいのだが?

渋谷からの電話は届かず、23時過ぎにショートメーが入ってい・・・・。

 

 

 

 

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