オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

手抜きだね~&江の島にて

2016-04-18 | Weblog

4/18(月) 今日は初夏の陽気、午前中の日差しの強さには閉口したが・・・、今は曇り空かも?私の席から、空が見えないのだ。今朝の弁当は、家人の分だけだった。一つしか作らないとなると、何故か力が入らないのである。

そんなことで、飯は昨夜の残り、菜の方も昨夜の「鯖味噌煮」を使うことになった。それだけじゃ、あんまりだ差別だと抗議が出そうなので、若干は作ることにした。その一つが「絹ザヤの卵とじ」だったが、これが大失敗作だった。手抜きをして作るとこうなるの見本のようなもの。そしてもう一品は、小松菜の胡麻炒めだが、失敗作の卵とじの卵を一部借用し、小松菜の卵とじ風となった。

                           

上手く行かん時は、術からず斯様な仕儀となる。まるで俺の人生のようなもんだ。最後の一品は牛煮」となった。タマネギや九条ネギ・シメジなどを放り込んで安い牛肉と煮る。と云う、これもお手軽な一品である。そんなことで、たった一つの弁当が出来上がった。

                          

この弁当に比べて、今日の私のランチが右側の「牛タンシチュー」。昼飯は概ね抜くのだが、今日はやむを得ず摂った。それが、これである。美味かったよ!お値段なりの価値はあった。ランチビールは、小さいグラスだった・・・。

 

昨日の日曜日、久々にNAKANOオヤジと競艇に行くことになったが天候が悪い。強風注意報が出てたんじゃないかな。そんな中でレースがあるんか?と気になった。ネットで平和島競艇を検索したが、レース中止のような表示は出てない。オヤジはオヤジで「大丈夫だよ、これくらいなレースやると」と云う。

それじゃ行こうぜ『この天気ならレースが荒れて、大穴が出るかも知れないよ』と、いっちょ前の口を利いて同乗した。向かうすがら、久々に顔を合わすので、最近の情勢など訊く・・・・。と、今月は良くないとボヤキ節だ。沖縄や熊本辺りまで遊びに行ったツケが廻ったんじゃねえか?と、言ってやりたかったが、先輩だからな。親しき仲にも、武士の情けと、そこまでは言わなかった。

オヤジは、先週の月・火と熊本でゴルフ。ひと月前には沖縄でゴルフをやってきているんだ。木曜日の熊本地震発生の折に、店に電話を入れた。『熊本で大地震とのことだが・・』と云うと、「俺は運がいいな」と返った。『あんたのことじゃねえよ、MATUSHITAの実家だよ。今しがたの地震だ、MATUは知らねえだろうと思って電話したんだ』と告げると、「あっそうなの、今、便所に行こうと思って上にあがってきたんだ。マツには伝えとくよ」だった。

てめぇのことしか頭にないと云うのは、いいねぇ。実にシンプルでいいよ。俺もオヤジぐらいシンプルに生きたいものだ。

そのシンプルさが仇で、平和島に着くと案に相違して閉鎖になっていた。ガードマンが、「中止になりました」と無情にも云う。バカヤロー「儲け損ねた」と怒るべきか、「無駄な出費がなくて良かったね」と思うべきか、この判断は難しいが・・・・。然し、気分的には前者だな。

 

そんなことで、日曜日の舟遊びはできなかったが、土曜日は十分に楽しんできた。それも、あの東京オリンピックの舞台となった「江の島ヨットハーバー」でだ。朝七時半にカメラマンのSUGITAに迎えに来て貰い、ハーバーに着いたのは9時20分であった。

曇り空ながら、まずまずの撮影日和。風もほとんどなく、海は凪いでいた。江の島は何年ぶりであろうか、覚えていないぐらい前のことだ。この日、前に居た会社の、ヨット部のOBに情報誌の対談をお願いしていた。

対談のお一人は、ヨット部の生え抜きで旧知の方。もう一人は初めてお会いするが、知り合いが選んでくれたOBである。同じヨット仲間で、今使っているクルーザーの共同所有者だとか。

先ずは、東京オリンピックの時に出来たと云うクラブでの撮影。それから、クルーザーに移動して対談と撮影となった。

艇は懐かしきヨットで、かつての船名は「テレマティーク」(34フィート)だった。この艇は会社が購入してヨット部が使用していたが、会社の変遷とヨット部のあり様が変わったこと、艇が古くなったことから処分となり、ヨット部仲間が譲り受けて共同所有しているとのことであった。

                           

現役時代、ヨット部のメンバーがクルーとして乗りこむこの艇に何度か載せてもらった。ヨット部の合宿にも顔を出した時代があった。在籍した部がヨット部の事務局になっていたことによるが。もっと若い頃、ヨット部主催の教室が、ここ江の島で開かれた。その折、二泊三日の教室に遊びがてらに参加したこともあった

そのヨット教室の時に見かけたのが、今日の取材の主役であるTAKAGIさんである。クルーザーの舵を握る姿が格好よかったねぇ~、。その後、十数年を経て、TAKAGIさんとは通信局の同じ部で一緒になった。何処かで縁が繋がっていたと云うことだろう。

                           

お二人のヨットとの出会いやレースのこと、そして仕事のことなど対談、インタビューし、海へと走らせてもらった。四半世紀ぶりに乗った旧船名テレマティーク号は懐かしかった。海から臨む江の島、腰越の港、稲村ケ崎から材木座、三浦半島三崎へとつづく海岸線。薄日が差してきた船上で仕事であることなど忘れていた。

                          

舟から上がった時は午後二時を過ぎていた。ヨット部が使うと云う路地の食堂で遅いランチを摂った。ビールを飲みながら、船のあれこれ、遠い昔の出来事や思い出を話し込んだ。

三時半、解散。SUGITAに鎌倉廻りで帰るように頼み、海岸沿いを走った。これまた懐かしい江ノ電がくる、この海岸を走ると寄ったレストラン「珊瑚礁」があり、遥か過ぎし時代を懐かしく思った。

 

取材が土曜日で良かった。これが日曜日だったら悲惨、日程再調整だったろう。もう日程が取れないのだから・・・・。天は自ら助けるものは、救うようだな?

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする