1/16(火)先週の火曜日に帰郷したので丁度一週間経ったことになるか・・・。真冬の田舎暮らし故、格別なことはないが、12日は旦那寺「真言宗豊山派 北寺」で初薬師があり行ってきた。
格別に信心深いわけでもないが、山里に居る時はお参りするようにしている。今年は両親の七回忌と十三回忌が重なるので法事の日程を早々に決めたいとの思いもあった。住職の手隙を見計らい相談した結果、八月二十四日に行うことになった。こちらの希望した日程でもある。
帰郷後の日々と云えば、畑に出て数時間だけ冬草引きや、次の植え付けに備えた畝作りで汗を掻く。二日ばかりミカン畑に行ったが、これは、土佐文旦の収穫時期なので七ケースばかり採った。が、これから一月半は熟成さす期間となる。消毒もしないので綺麗じゃない、玉に瑕とはこのことか?。
そんなことで、あっという間に一週間となった。野菜畑の方はやり残しているタマネギの草取りくらいで一段落するはずだ。ミカン畑の柚子樹の剪定が未だなのだが、週末の雨予報次第となろう。
帰郷以来BLOGを記してなかったこともあるのか、一昨日にYURIKA嬢(ナチュラル社時代のスタッフで大いに活躍してくれた)から新年のメールが届いた。前回のBLOGで黒田君の墓参のことを書いた所為か「私も黒田さんの年齢になりました」とあった。生きていれば齢を重ねる。亡くなった方の年齢を越していくは必定と云うしかない。
そのメールでは、昨年の夏の帰郷で母親からコロナ感染し、高熱で大変だったともあった。また「元気に酒場通いをしてください」との、励ましの?言葉もあった。数年顔を見ていないが、嬉しいメールでした。
今日は、ミカン畑で焚火の始末をしてから一服していると勝田君(久万高原町在住)から新年の電話があった。変わらず元気な声を聴かせてもらった。「雪は降ったかい?」と訊くと「先日少しだけ降った」とのこと。去年の冬、久万高原は大雪にみまわれて大変だったのだ。そういえば、高知も吹雪いている情景をTVで見た覚えがある。この時は帰京していたのだ。大事があるときの現場に居合わせないというのが私の運命なのか?。これまでの地震や台風の時もそうであったし、飛行機や列車に遅れそうな時も何とかなったが・・・。
実は、FBには書いたのだが今回の帰郷では空港で大失態をしでかした。搭乗機の席に着いてから、ショルダーバックがないことに気付いたのだ。なんとトイレのフックに掛けて忘れてきたのだ・・・。
離陸十分前に気付いて、慌ててCAさんに事情を話した。降りて取りに行きたかったがNOと言われ「地上職員が見に行きます」と。処が「男性職員が居なくてトイレに入れない状況です。利用者が居るので空くまで待ってください」とのこと。これまでの幸運な体験から、なんとかなると思っていたが・・・。
離陸時間が迫るも「未だ確認できていません。大事なものが入ってますか」「入ってますよ、カードに免許所など」と応えるも、出発時刻を伸ばしてもらえない。「じゃあ下ろしてください」と、恥ずかしながら下ろしてもらった次第。
飛行機は出る、私は地上スタッフを従えて?(付いてきたんだ)トイレまで速足(走れないのだ)。
有りましたよ、ちゃんと個室のフックにぶら下がっていた。男性トイレの入口に女性警備員と女性スタッフが二人で立っていたのはすごい!。トイレの中には男性が二人いた。
ホット一息ついたね、大きな失敗と小さな幸運と云うところか?。出発がメインのゲートでなく、バスで向った出島のような乗客が少ないところからであったのが幸いしたか。
三時間後の次の便に振り替えてもらい事なきを得ての帰郷となった。出迎えてくれる妹夫妻に電話入れ、遅れることを伝えた。
本館に戻るまで時間がある。出発間際で吸えなかったタバコで一息ついてから、本館に戻る係員に訊いた「先日の事故があったC滑走路て何処なの?」と、「すぐこの目の前です、今搭乗者並んでいる飛行機があるすぐ先です。この場所からは燃えている光景がはっきりと見えたでしょう」とのこと。因みに、私の搭乗する便はANAでした。
この失態の最大の要因は、出発前に喫煙室を直ぐに探せなかったことと、トイレに入るか迷った挙句に入り、タバコを吸うことを断念してイラついたことだが、もう一つ云えるとしたら、ボケた~!に尽きるか。