2/16(日)昨夜も明け方近くまでYouTubeで音楽からスタートして、講談(神田伯山)・浪曲(初代京山幸枝若)・朗読(山本周五郎)と聴いて、弱い雨音に引かれて過ぎ越し時と行く末に思いが至った。
斯様に無為な日々を時を過ごすことに、老いていくだけの身を実感しながら齢を重ね、行く先のない虚しさにやりきれなくなるばかりの夜更け、雨音が身に染みるばかり。お前は何のために生きているのか、我にそう問えば窮するばかり。
義務であれ、生活のためであれ、明日には必ず為さねばならぬことのなき身と云うものほど、無残なものはないと実感。各なることを先人たちはどう受け止め、冥界に行くまでの日々と時間を生きたのであろうか。
取り敢えずは、明日に喰う飯の心配もなく生きていられる現状を幸せと云うのか、贅沢と云うべきか?。今を、明日を生きることに必死の状況である人たちからには遠いことであろうが。然し、真に為さねばならぬことのなき身も辛いものである。
野菜畑で遊ぶか、YouTube等で遊ぶしかない不甲斐なき人生の黄昏・・・。斯様な田舎暮らしである。
昨日アップしたばかりであるが、垂れ込めた空の下で何もせずに一日を送る。こんな日に浮かぶことは碌なものじゃないさ。やるせなさばかりが募るのである
昨日の午後、ミカン畑で柚子の樹の剪定。バサバサと大きな枝を伐り落とした。ひと渡り済んだが、この枝の始末に一苦労する。焚火にして燃やすつもりだが、今回は量が多いのだ。
今日、天気が快復したら始末を始めるつもりでいたが冒頭のような天気なのでお休み。午後、姪の店までコーヒーを飲みに行っただけである。夕方になって、夕食用に野菜畑から白菜・キャベツ・ネギ・タアサイのいずれも小さなものばかりながら採ってきた。夕食は「鍋」か?。
二日前にミカン畑から一枝切ってきた梅が開いてきた。 硬かった蕾が早や花びらに・・・。されど、今年は花も遅いようでありんす!。フキノトウも未だのようだし、筍も遅くなろう。