帰郷
令和5年1月9日(月) 正月早々の三連休は今日まで。明日の午前便で一ヶ月ほど空けた田舎に戻るが、畑の手入れと柑橘の剪定を二週間で済ませて(どこまでやれるかは?)帰京する。そして、二月末まで江戸暮らしと決めている。
師走から正月にかけて連日のように飲み食いがつづいた。鈍った体を動かし、重労働を科した胃の腑を休めるには二週間は短いかもしれないが、厳冬期になり雑草もさほどのことはなかろうし、義母の容態もよくないので東京に戻ることにした。
新年の計画では、今年から酒場廻りは週一にして清廉?な暮らしをすることにしたが・・・。そして、田舎で野菜作りの勉強?体つくり?の生活をする。???ばかりで、どいう結果になろうか、これも?だが。
昨日、津川さんからの連絡で世田谷の砧にある妙法寺へ。ここに眠る故黒田君の墓参に行った。八年前の一月七日、東大病院で働き盛りの身を没した。当時の前後の日々を日記で読み返し、記していない細部が甦った。この頃は、会社を畳むとは努々なかったが。
墓所に奥様も来てくれ、立ち話ながら子供たちの成長した様子を伺うこともできてよかった。私の中では風化した出来事だったのか、津川さんから連絡があるまで命日のことを失念していた。赤面の至りであった。
先週木曜日、吉祥寺で津川&花岡さんと午後一時から歓談、そして四時、網代さんとハーモニカ横町の居酒屋で二時間程歓談した。金曜日は人形町の馴染の店を保谷兄いと廻り、土曜日は地元学芸大学で末娘が小学生の頃に所属したバレーボールチームのオヤジ達との歓談。帰郷前の今夜、末娘夫妻が一杯やりにくるとのこと。
胃の腑が落ち着く間がないとはこのことだが、今宵の摘みは何がいいか?未だ思案中である。
そんな日々も明日からお休みを頂いて(弁当は作る)、いざ帰りなん故郷へGOO!。野菜がどうなっているか、そればかりが気掛かり。それに、吊るしたままの干柿が三十個、これもどうなっていることやら・・・。
次回は、田舎での様子をお届けします。
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