オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

「ごとごと」・・・

2016-04-11 | Weblog

4/11(月) 先週末の土曜日、高知県夜須町の山あいで営業している「ごとごと」という、カフェ&器の店の取材だった。ごめん奈半利線の土佐黒潮鉄道に夜須駅があり、この駅前のヤ・ッシーパークと云う道の駅は人気だ。また川の対岸に手結(てい)という漁港がり、この港の入口が可動橋になっている。トマト・スイカ・メロンなどの園芸が盛んで、キー局の番組でも何度か紹介された。海が目の前にあるこの駅から、小さな流れの夜須川に沿って4~5km上流に店が在る。

                                          

店といっても、営業は金・土の二日、10時から17時と云う時間帯である。田舎暮らしへの憧れと趣味が高じて始めたそうだ。元々は東京に勤務していたが、夢を実現するために早期退職をし、縁があった高知に夢のステージを開いた。費用の面からも、Iターンの受け入れ体制などからもベストだったそうだ。尤もご主人には事後承諾だったとか。

住居兼用の店舗で、裏には畑があり野菜の他に椎茸も栽培しているとのこと。二時間ほど話を聞き、写真撮影。勿論手作りのケーキなども頂いたが、私は「小腹セット(500円)」をお願いした。これは、手作りの豚マンにスープ・小鉢(蕨の胡麻掛け)にコーヒー付きなのだ。チョ~お得な感がする。スタッフはケーキセット(600円)を頼んでいた。

                           

                       器(売り物)      小腹セット     店内一部

然し、この山間の処にお客さんが来るのかと、心配するが・・・・。マイペースで自然に触れて、趣味にの焼き物を置き、手作りのケーキや丁寧にたてたコヒーでもてなす。ゆったりと時間が流れるのいいようだ。店名の「ごとごと」にその思いが込められているよだ。因みに、ごとごととは土佐弁で、ゆっくりとか、のんびりの意味である。例えば、私が出掛けに時間が掛かって誰かを待たせているとする、と苛々した待たせ人は「ごとごとしなや」と怒られる。或いは急ぎ仕事でないものを頼まれ「ごとごとやりや」とか言われることも。

以上の仕事は土曜日に終わり、日曜日は昼まで畑の草刈。午後から地区の花見会があると云うので顔をだした。老人と云うのが相応しい面々が二十数人、折弁当に酒・ビールを囲んでいた。男性は少なくてオバサンが圧倒的だ。その数少ない男衆に中に混じって飲み始めたのだが・・・・・。

                             

五時を過ぎてもヤロー達は腰を挙げないのだ。コップ酒をビールでうがいしながら飲んだが、すっかり出来上がってしまった。それでも、六時半に家に戻って従弟に貰った「タラの芽と茄子の天麩羅」を揚げた。が、流石に飯を喰う気にならなかった。今朝は、完全二日酔。それでも四時に目が覚めて、マスターズゴルフの放送を見ていた。胃が痛いのだ・・・・。

三時前に羽田空港に着き、会社へ。という次第だが、明日は地元・学芸大学の取材の水先案内をすることになっている。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢見が・・・

2016-04-08 | Weblog

4/8(金) 久々に最悪の夢見だった。余りの慌てぶりで、目が覚めたのは六時前。札幌に出掛ける予定がある中、会社の(サラリーマン時代の大手町の職場だった)新しくなったPCをいじっているとメールが届いた。「空港に着いたら電話をください。店を案内しますので、15:36分発ですよね」と、札幌の友人、T女史からの連絡だった。

それで、職場の掛け時計を見やると、なんと時刻は既に四時前を指していた。出発時刻の15時を五時と思っていたのだ。もう飛行機は出発している時間、大慌てで遅れる旨のメールを返そうとするが、新PCのやつは、これがまた面倒な操作。『鉄平、これやぁどうすればいいんだ・・・」なんて、MIYAMOを呼んであたふたしていると、OGAWA君(これは今の会社のシステムリーダだが)が、「スカイプで連絡した方が早いですよ」なんてヘッドセットを差し出す・・・。

そんな夢の中で、空港の搭乗ゲートに向かいながら『向こうに着くのは20時を過ぎるな、一杯会に出るのは無理だな…』何て、冷や汗を掻いている処で、目覚めたのだ。目覚めて良かった、夢でよかったよ 時間に遅れるのはしょっちゅうだからな・・・・・。

飛行機で一番ひどかった事件は、釜山に行った時だ。成田空港に向かったのだが、二日酔いで寝過ごし、挙句に電車の乗り場を間違って、遅い電車に乗車。空港のJALカウンターに漸く辿り着いたのは、出発時刻の20分前という次第。こっちはすっかり諦めて、次の便で行くしかないと観念していたのだが・・・・。

なんとなんと、予定の便に乗れたのだ。ゲートに着くと、機内案内のアナウンスが流れていた・・・。空港内はガラ空きだったのも幸いしたが、JALのカウンターが手際よく案内をしてくれた。この時と同じくらい、今朝の夢は焦ったよ・・・・。

夢の中で疲れてちゃしょうがない、これじゃ弁当作りもままならぬ・・・・・。それでも、夢で良かったと気を取り直して、台所に向かったのである。

今朝は、昨日作り置いた「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」を使うことにした。これに加えて「豚バラ肉と茄子・ピーマンの味噌炒め」「冷凍塩秋刀魚焼き」「出汁巻卵」、お仕舞は大量にある「絹ザヤのバターソテー」を添えることにした。

                           

ご飯の上に、出来合の「山椒チリメン」を散らして、完成となった。

 

昨夜の退社は20時前、「ローカーボ」に着くと客の姿がなかった。何時もの席(Lカウンターの短い方の端だ)に腰を落ち着けようとした処に、HOYA兄いが現れた。ハイボールと白ワイで喉を潤しながら噂話で時を過ごし、新規の客を迎えてから次へと移動した。

                           

次の店といっても「ちょっぷく」さんだ。今度は赤ワインにしようぜと、安酒を飲みながら店長を交えての与太話がつづく・・・・。帰宅は23時半であったか?順当な時刻だ。こうして日々、貧乏OYAJIの夜は更けて行くのである。お仕舞!

 

それでは、また来週・・・・。明日は、高知県香南市夜須町の鄙びた山里での取材です。取材先は、知人の奥さんが一人で始めた小さな「カフェ ごとごと」です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六日ぶりに・・・

2016-04-07 | Weblog

4/7(木) 今朝の東急線は大混雑、車両点検があったとかに加えて本降りの雨。ホームに人が溢れんばかりで、大幅に遅れている電車を二本やり過ごしたが、辛抱しきれず三本目に無理に体を押し込んだ。余裕を持って家を出たにも関らず、会社に着いた時は定刻を十分ばかり過ぎていた。

東横線が遅れるのは日常になってしまった。昔はこんなことは希だったのに、相互乗り入れで路線が延びた分トラブルが多いし、混雑が激しくなったように思えるのだが・・・・・。

さて、今朝は六日ぶりの「弁当」作りであった。冷蔵庫を覗いても大した食材は見当たらない。冷凍で取り置いた挽肉と鯖灰干し、小エビを使うことにした。

挽肉は「ピーマン肉詰め」と、ハンバーグにする。ハンバーグの方は冷凍にし、明日以降に使う予定。小エビは、キャベツとシメジの炒め物だが、キャベツが干からびそうになっていたので炒めものにした次第。

                         

後は、ホウレンソウの胡麻和えと「絹ザヤの卵とじ」となった。いち応、四品あれば格好がつくだろう・・・・。これだけで小さな弁当箱は満杯なんだ。まるで今朝の電車みたいなものさ・・・・。

                    

昨夜の帰宅は22:40分と早かった(その所為か五時のお目覚め)。事務所を出たのは19:30分、計ったようにAOKI君も出てきたので軽く一杯と、「ローカーボ」に顔を出した。マッチャンとMIYAKEッチが仲良く飲んでいた。HOYA兄いの姿がない、NAKAMURAの大将は聖路加に検査入院中で来週まで捉われの身だが、担当看護師が可愛いと喜んでいるそうな。おまけに体調は良く、費用も安いと言うことなしとか。

                         

                       光線の具合か、濃いネ!

「ローカーボ」から「ちょっぷく」に顔を出しての帰宅。そういや、”ちょっぷく”のYAMAちゃんが、脳梗塞で聖路加に担ぎ込まれた時は、個室費を一日三万円も取られるんだ「一日でも早くでたいよ」とボヤいていた。NAKAさんは、個室費が要らないとか言っていたが、貧乏人用の部屋が空いていたのか、運がいいのか・・・・。

 

明日は、地元・高知での取材があり午後の便で出掛ける。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄・・・

2016-04-06 | Weblog

4/6(水) 月曜日に発った沖縄から、先ほど帰ってきた。沖縄はTシャツでもいいぐらいの気温だったが、一応取材先があるのでジャケットを着て行った。一言でいえば『暑かったねぇ~』。特に今日は朝から天気が良かったし、朝食のバイキングをたっぷりと詰め込み、ジョッキ生まで流し込んだとあっては尚更だ。

                           

                           喰い過ぎだぜ!

那覇空港に着いた月曜の夕刻は小雨模様。それでもムッとした空気と匂いが押し寄せ、空港内はアジアンチックな雰囲気が充満していた。北東アジアと違った、東南アジアの空気に満ちていた。二年ぶりの那覇空港でのことだ。

                             

                       那覇空港着陸       那覇空港離陸

取材の方は、時間を遅らせてほしいとの急なメールがあったが、順調にできた。那覇のホテルからタクシーで一時間強の金武町と云う地に昨日、取材に伺ったのだが・・・。取材を終えてから、取材相手の佐喜眞さんから「今夜一緒に如何ですか」と言われたのには驚きと、嬉しさだった。と云うのも、相棒のHIROさん曰く「今夜、誘えないかな?」と呟いていたのだから。以心伝心とはこのことか。

                             

                        佐喜眞義肢への途中、海中道路を経由

 昨日の取材後、指定されたのは米軍のシーメンズクラブだった。軍との関係がある方が友人におり、その方を交えての懇談となった。曰く「友達の友達は、友達だ」であった。そのご友人とは、教育関係の方で高校の校長を退職された後、三セクの運営する教育関連施設の所長をされている。

                                 

ビールからワインとなり、ワインが何本か空く頃、それまで静かだったHIROさんの舌が少しづつ廻り始めた・・・・。次の店へとなり、島唄が聴ける店の紹介を願った。と云うのも、HIROさんに同行したHNAOKA女史から、三線を聴きたいとリクエストされていたのだ。前夜の肉料理と泡盛の食事後に島唄の店に行く予定だったが、泡盛に足を取られて断念したのだ(俺じゃないよ)。

案内して貰ったのは、お二人と親交があると云う「上原正吉」さんの店であった。予約の電話で最前列を指定され「この店じゃなきゃ、本物のは聴けないよ」と口を揃えられた国際通りの店に入った。舞台では、女性が三人と男性二人が演奏中であった。ここでも泡盛、沖縄は泡盛とオリオンビールの国なんだ・・・。

喰いいるように三線の演奏に見入っていた女史が「判ったは」と、呟いた。そう、女史は三味線と琴のオーソリティなのだ。これで、満足してくれたであろう・・・。演奏を終えた正吉さんの奥様やお嬢さん(ミス沖縄だって)と記念撮影。そうするように仕向けられたのだが。取材のSAKIMAさんも一緒に入りパチリ! 。

                              

そんな次第で、那覇の夜を楽しんでしまった。勿論、仕事の方もバッチリ、のはず。SAKIMAさんからは昼間に聞けなかった話が聴けたし・・・。結果は、情報誌が発行されてからのお楽しみだ。簡単ながら、沖縄の話はこれくらいにしておこう。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真庭市勝山にて

2016-04-02 | Weblog

4/2(土) 夕方の6時過ぎ、岡山空港から羽田空港に帰着。着陸前の機窓から、雲海の彼方遥かに沈みゆく陽が、最後の輝きを見せていた。月曜日から沖縄に出掛けるため、持ち帰った資料の整理をしようと会社に戻った。勿論誰も居ない。

                           

昨日の11時、岡山空港に着くと雨が降っていた。これは予定外の雨、前日の天気予報では曇りとなっていたのだ。取材先の真庭市勝山のMATUMO氏に連絡をすると、向こうも小雨とのこと。今日はインタビューだけにし、撮影は翌日にする旨を伝えた。撮影は、人力車を引く車夫の姿がメインとなるのだ。雨の中で人力車を引いてもらう分けにはいかない・・・・。

一時間半ほどの行程をレンタカーで向かった。勝山に着くと、雨は小降りになっていた。旧電話局だったと云う歴史資料館で、氏が待っていてくれた。挨拶もそこそこに、歴史保存地区だという「のれんのある町並み」を案内してもらい、観光者の休憩所だという仕舞屋で早速話を窺った。

氏は53歳で退職し、56歳の時に町おこしの一環になればと云うことで「人力車」を始めた方だ。今回の取材は、そのいきさつや車夫をする暮らしなど、併せて歴史保存地区であるこの町を紹介するためであった。               

                          

                           今朝撮った車夫姿

一週間前の週間天気予報では、この日は雨マークが付いていた。そんな心配があったので、翌日の土曜日の午前を予備日として撮影をする旨を伝えてあった。東京を発つ前は、取り越し苦労かと思ったのだが結果オーライとなった。二時間近く話を聞き、町並みを歩くころになると雨があがった。

翌日の朝に出直すことにし、この地で有名だと云う「醍醐桜」とやらを撮ろうとなった。醍醐桜は、彼の後醍醐天皇が隠岐に流される途中、名高いこのヒカンザクラを見に立ち寄ったとの伝承から、この名が付けられたそうだ。

                           

勝山の町から車で二十分ほど走った山中に、この桜は在った。未だ二・三分咲きと云う処か。夕暮れが迫りくる岡に枝を広げていた。見ごろになると、この山道は大混雑し、交通規制がされるとのことである。

                              

確かにすばらしい桜だ。近寄ってつぶさに見ると、小さなちいさな花弁が鈴なりになって、薄く淡い桃の色をしている。幹回りは9m以上で、樹高は18mほどとのことだ。朝ぼらの中で満開になった姿を想像した・・・・。

そして今朝、「のれんのある町」で、車夫姿のMATUMOTOさんの勇姿を撮り、町の何か所かのスポットも取材した。その一つ「神庭の滝」とやらにも立ち寄った。百十数メートルの落差があるそうで、この辺りの観光名所となっているとか。然し、滝を見るに300円の見物料を徴されたのには釈然としなかった。

                              

                               

桜が出たので、木曜日の夜にスタッフのAOKI君と仕事帰りに立ち寄った「目黒川」の夜桜も載せておこう。ここの桜は、東京でも有数の桜の名所となった。

                               

 

もう十時となる帰らなければ、明日はお昼に立会川で花見会。昼酒だ・・・・。

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする