オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

風邪さ・・・

2017-02-07 | Weblog

2/7(火) 木曜日から喉が不調となり気を付けてはいたが・・・例えばカラオケで喉を酷使しないとか・・・、金曜日のUSUI老との一杯会も、「高松」~「ローカーボ」と廻っただけで、先に失礼をした。それくらい気をつけてはいたんだがネェ~。

日曜日の夜から鼻水と咳が止まらなくなったのだ。明けた月曜日の朝も調子が悪い。これじゃ会社に居ても皆に不快な思いをさすだろうと、出勤を自粛して一日中部屋に垂れ込めていた。読書とTVとラジオで一日を過ごすと云う贅沢ぶり、贅沢の極みであった。お蔭で今朝は咳も鼻水も小康を保っている。

週末を振り返ると・・・・、土曜日は昼から夕刻前まで平和島で遊んでいた。一人遊びであったが、若干のプラスになった。五時前に渋谷に着き、デパ地下を覗いてから「奈加野」へ。

この日、小僧が入籍をすることになっていた。夕方から相手の両親と、我が家の雌猫軍も加わってささやかなお祝いをすると云うのだ。オイラとしちゃそんなことに関心はないが、一応区切りと云うことなのでスポンサーになった(された)という次第だ。

昼間のボートの稼ぎがよきゃ、パーッとやりたかったが稼げたのは万札が数枚だけだ。時化たオヤジと思われようが、同郷の先輩の店の応援も兼ねて”奈加野〟を指定した。一応、鯛の刺身とフグの唐揚げ、鮟肝鍋だけは予約しておいた。何時もは、イワシつみれ鍋なんだから大判振る舞いだ

                    

勿論この日も風邪気味さ。それを押しての出席だが、当たり前か?不出来な小僧を持つ親の辛さは、わかんねぇだろうな。それでも嫁に来てくれると云うんだから、世の中は有難くできてるよ。しっかりやってくれよと、思う親馬鹿でありんす。

総勢十名プラス、六歳と一歳の孫ふたりの、ささやかながらもホンワ~カの一時だった。末娘は仕事で、参加できなかった。サザエさん一家のような和気あいあいの雰囲気も少しはあるが、波平役が頭は似てるが性格に問題があるからねぇ~。

日曜日、早くに奈加野の店主からの電話が。「今日は早目に行って、早めにあがろうぜ」と。なんのことかと云えば、平和島での水遊びのことさ。前夜には「行くかどうかわからんぞ」と言っていたのに・・・。こっちも風邪だ。咳はあるし鼻水グズグズなので乗り気じゃない。が、誘われればNOと云えない性格だ。前日の最終レースの当り券もあったのでOKしたが・・・・。

珍しく三レースからと、早い参戦。処が、一向に芽がでない。ゲンを担いであちこちと移動したり、ボート券を買う場所を代えたりするが駄目。これや駄目だ、こんな日は止めるに限ると店主の姿を探した。

『どうなのよ、取ってるかい』と水を向けると「まったく駄目だよ  」と、弱気もいいとこだ。そんなことで、十レースで切り上げた。前日に預かったお宝を、すっかり返す結果となっていた。まだまだ、研究不足だネ!

週末の遊びの所為じゃなかろうが、月曜日の朝、咳と鼻水が酷くなっていた。それでも弁当だけは作った。一人分であったが。途中、家人曰く「マスクしてよ」と。俺の菌はいい菌だから、と訳の分からん反論をしたが・・・、マスクしてるとメガネが曇るのよ。

体調不良もこれありて、冷凍「ハンバーグ&シューマイ」、[茄子&挽肉の味噌炒め」「ギンダラの西京漬け焼」「オムレツ」以上であった。

                                    

完全休養の月曜日を過ごした所為か、今朝の目覚めは四時前だった。幾らなんでも早すぎるぜ、それほど勤勉じゃないよと、本を読んで仕事に掛かる時間を待った。

六時から弁当作りに入った。体調はいまいちで、日光結構とはいかないながらも・・・・。四時に目覚めた時に、干し椎茸を水に浸けておいた。椎茸と筍で煮物を作る予定だ。中々熱心な弁当オヤジである。

「野菜&鶏肉の旨煮」「出汁巻卵焼き(ホタテ&ネギ)」「春雨とキャベツの胡麻和えサラダ」「紅鮭焼き」、以上が今朝の菜であった。今日まで一人分の弁当で、明日からは二人分となる。

                            

今夜も昔の会社のメンバーからお誘いがあったが、さてどうしたものか? この調子じゃ、酒が美味くないだろうしな・・・・。 

 

 

 

 

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風邪が・・・

2017-02-03 | Weblog

2/3(金) 一昨日の晩、酒精の力を借りて風邪菌を蹴とばしたつもりだった。が、風邪野郎はオイラの足元にしがみついてじわじわ、一寸刻みに昇ってきたようだ。昨夕から鼻づまりと、喉の違和感がつきまとっている。

取り敢えず、昨晩の後輩たちとの交流会を終えることができたが、今夜はUSUI老がお出ましになる。明日の夜は、「奈加野」にて小僧の入籍祝いで一杯会がある。加えて、ボートが平和島から俺を呼んでいるのだ。こうしている間にも、体から力が失せていくのが・・・。

昨晩は六時半に後輩二人が来社。それから「うまし」「ローカーボ」「ちょっぷく」と流れ、23時過ぎにお開きとした。あれこれ、かれこれと話が弾んだ。二人とも時期は違えど、横須賀の研究所に勤務したので共通の話題に事欠かない。愉しい一夜であった。

                             

帰宅は零時直前だったか。家人は仕事だろう、未だ帰っていない。オイラは酒場巡りで午前様、えらい違いである。蒲団に潜りこみ、さあ寝ようかと云う処に帰宅し「明日の朝起こしてよ」と、声を掛けられた。となれば寝過ごす訳にはイカンザキ。そこで目覚まし時計をセットした。念のためだ!

今朝の目覚めは六時、なんだか体が重い・・・。爽やかな朝を迎え、には程遠いが目覚めた・・・。

台所に入る前、二階に声を掛けて家人を起こす。それから今朝の弁当の準備に入った。残りご飯があるので、これでオムライスを考えていた。処が、ケチャップがない。在庫していないのだ!。 致し方ない、炒飯への変更を余儀なくされたのである。

炒飯には、タマネギ・シメジ・ピーマンの野菜群に、ウインナー・ベーコンの肉系を使用。菜の方は、冷凍出来合の「シューマイ」と、最後の「ギンダラ粕漬け」と明太子を焼く。

                            

残っていた木綿豆腐を煮、小松菜も残った出汁で煮る。チキンスープの素で、ピーマン&合挽きの肉詰めを煮る。ざっと、以上である。

                           

今日は二人分の弁当。幸せな気分である。小市民の小さな幸せ、と云うところだろうか・・・・・。

                      

 

こうしている間にも眠気がやって来る(薬の所為だ)・・・・。眠いぞ~ 体、怠いぞ

 

 

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焼肉弁当

2017-02-02 | Weblog

2/2(木) 急な冷え込みにもかかわらず、鉢植えの河津桜の花びらが日々に増えていく。花弁の色は薄く、河津桜独特の赤みはなく、緋寒桜に近い薄い色合いがいい。今朝は、この花をひとしきり愛でてからの出勤となった。

                             

中目黒から日比谷線メトロに腰を下ろして「開高 健」を読む。氏の饒舌と比喩、夥しい言葉の波に圧倒され揺れながら思った。これほどの言葉を書き連ねなくても・・・と。むしろ、言葉を削りに削って紡いだTUGAWA・HIROMIKIの文書が好ましく、胸に響くと。

私の最後の仕事があるとすれば、TUGAWAの書いた物語りを本にすることだと改めて思うのである。その前に、古賀武夫の物語を出版せねばならぬが・・・。

本を読みふけり、気が付けばメトロは人形町駅を発車していた。この駅で降りるのだが後の祭りだ。久しぶりにひと駅先の小伝馬町駅で降り、会社に向かった。偶にやるね、こんなことを。

昨夕、スタッフが打ち合わせをしている処に出くわした。暫く黙って聞いていたが・・・・・。段取りとスピードのなさに、ついつい余計な口を挟んだ。挟んだ処で何がどう変わる分けでもなかろうが。「かくなるをかくなることとしりつつも、云うにしかないオヤジの一言」という次第だった。この言葉は、小伝馬の牢屋敷で刑死した吉田松陰の辞世の句をもじったものだが、松陰の心中が痛いほどわかる。

その後、退社した。時刻は7時半過ぎ。直ぐ先に在る「ローカーボ」の扉を開けるとHOYA兄いが一人カウンターに居た。今日で終わった現場から戻り、完成した仕事に安堵の一杯を楽しんでいた。今週は初めて顔を合わした。「オヤジ達の料理教室」第二回のスケジュールとメニューを伝え、ハイボールとワインを飲む。

一区切りした仕事でほろ酔い気分の兄いを『歌でも唄っていこう』と、誘った先は「SEIJU」。客の姿が無い店で、二・三曲ずつマイクを握った。毎度い馴染の演歌さ。客が一人来たのを汐に店を後にする。

                            

最後に寄った店は「ちょっぷく」、毎度のパターンである。白ワインを飲り、YAMAちゃんと冗談を交わしてからの帰宅。外の風は冷たく、強かった。帰宅は23時半を過ぎていたろう。零時過ぎには蒲団に潜り込み、目覚めた時は6時半。点けぱなしのラジオから体操の曲が流れていた・・・。

よく寝た気分だ。二日続けて四時半、三時半と続いた。六時半まで眠れたとは大したもんだ。大いなる眠り!これは、レイモンド・チャンドラーの本のタイトルだが。

直ぐに台所へと向かう。今日のメインは「牛焼肉」である。昨日の牛小間と一緒に買っておいたのだ。今日も弁当は一人分、それがちょっくら残念だ。然し、三日連続で牛肉になった。明日は豚肉か?

                            

さくさくと電気釜のスイッチを入れ、塩秋刀魚を焼く。小松菜をオリーブオイルで炒め、卵を落としてかき混ぜる。蕪をスライスして塩揉み、刻んだ日高昆布を揉みこみ、これを 甘酢で酢のものにする。赤カブにすればよかったと、後から思う。牛焼肉は、タマネギ・エノキ・マイタケも一緒に炒め焼き。

                            

詰め終えた弁当に、先日、熊本から上京したSEIさんに頂いた振り掛け「ご飯の友」を振り掛けた。この振り掛けは熊本では大人気とか。これは、奈加野のフロアを仕切っているMATUSHITA君(熊本市出身」の弁である。

                          

 

今夕は、某社の課長二人が人形町に現われる。再婚話や、共通の話題である横須賀時代の話で盛り上がることであろう。

 

 

 

 

 

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牛煮

2017-02-01 | Weblog

2/1(水) 今朝と云うより、夜中に目覚めてしまった。昨日は四時過ぎだったが、今日の目覚めは三時半だよ。参ったねぇ~。昨夕、急に喉が痛くなった。これやぁ風邪ぴきになりそうだと、用心のため六時に会社を後にした。

今週は日曜日まで予定が詰まっている。勿論夜の部が主体だが。そんな時に風邪でダウンです  、なんて言えた義理じゃない。早く帰って、週の後半戦に備えようと云う次第だ。退社後、今日の弁当の菜にと「日山」で牛小間と焼肉用の肉を買った。アメリカンビーフの口直しと云うやつだ。

買い物をサクッと済ませ、駅に向おうとしたが・・、思い留まった。喉が痛いんじゃ、喉をアルコールで消毒するか、或いは焼くのがいいんじゃねえかと。我ながらの迷案が浮かんだのだ・・・。

長居はしないでサクサクッとうがい程度に飲むことにし「ちょっぷく」へと回れ右をした。そんなことで焼酎のお湯割りを先ずは頂く、次いでメニューにないウイスキー湯割りを所望すると。「いいよ、ウイスキーに湯をいれるだけだろう」と、YAMAちゃん店長が請け負った。

このウイスキー湯割りが、超濃い~ぃ。おまけに売り物じゃないやつを出してきた。ダブルならぬトリプルの濃さだったが、これだけ濃いぃと美味いネ  。そして赤ワインを飲み、勇士ならぬ老兵は帰還したのである。帰り着くと風邪のことはすっかり忘れていたのだ。が、十時前に蒲団に入った。その所為だろうな、三時半の目覚めは。

眠くならないので、本を読むことにした。一冊だけ残っていた「開高 健」の古い文庫を引っ張りだして読む。文豪がベトナム戦争に従軍した頃の物語である。これを読むのは四度か五度目であろう・・・・。言葉と文字の魔術師、森羅万象を眼鏡の奥の細い目で透徹する作家らしい文章に二時間ほど目を奪われていた。

五時半を過ぎて眠気がやってきた。が、時すでに遅し。早や弁当作りに入っていい頃合いである。今日は一人分の弁当だが、メニューは昨夕に買った牛小間で「牛煮」を作ることにしていた。

牛小間にタマネギと木綿豆腐に糸蒟蒻を加え、酒と味醂・醤油で味を調える。牛小間ながら旨味のある肉なので味付けは楽である。鍋で米を炊き、冷凍してあったギンダラを照り焼きにする。野菜はオリーブ油を熱してニンニク片を焦して香り付し、ホーレンソウを炒めた。後は定番の卵焼きでお仕舞にした。

                       

前日のアメリカ牛の味について、家人に問うと。「美味しかったよ、噛み応えのある肉が好きなの」と返ってきた。なんじゃや?

一月の五百円玉投入数は、104枚であった。104?って、なんかの番号と同じじゃないか。何時までも経っても、かつての仕事との縁は深いようだ・・・。

 

 

 

 

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