オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

徒然なるままに・・・

2025-01-17 | 弁当

1/17(金)帰郷して十日が経過し、漸く近況を記すことになった。が、何の変化も変りもなく山里の寒さ身に染みるばかり也。

日課のは野菜作りはこの寒さで、短時間の運動代わりに畝を耕す程度。今日も午後になったが、未だ畑に出ていない。寒さと日照り続きの干天で野菜の成長が止まったままのようだ。

そんなことで、一昨日にホームセンターで繋ぎ用のホースを買ってきて散水したが、翌日朝に様子を見ると畝も野菜も凍っていた。今植わっている旬の野菜は、ターサイ・白菜・キャベツ・レタスくらいだが、ターサイ以外は未だ未だ小さい。種播き育苗したものばかりで、苗で買ってきた白菜&キャベツ&ブロッコリは既に収穫済み。

買い物行って驚いたのは、キャベツと白菜の値段。この田舎のスーパーでさえ、一個が五~六百円していた!。寒さもあるが、水不足が主因で野菜不足になっているとみるが?。12月以降雨が降ったのは二日ばかりで、それも大した雨ではなかったようだ。人も植物も水がなかれば生きられぬ、夜露は降りてもそれだけじゃ足りなかろう・・・。私はタバコと酒があれば十分であるが?。

一月の作業予定は、春~初夏にかけての土作りと畝の整備くらいかな。ミカンの剪定もしなくちゃならないが、腰が重くて・・・。一日の労働時間は精々二時間程、あとはYOUTYUBを見て(津川さんお勧めの山本周五郎本の朗読や、ログハウス作り等)過ごし、夕になれば飯の用意。斜向かいに住む独居の従姉を夕食に誘うのでそれなりに品数は作るのだ。

毎日のように食卓に上げる大根煮、昨夜は従姉が好物の猪鍋、雑炊などであった。今日のメニューは未だ考えていないが、さて何にするか?。

 

斯様なことで、ゆるゆると山里暮らしを過ごしているが、昨夕の五時頃、何気に東の山上を見上げると陽が射し残っていた。十二月であれば夜の帳を感じていたのに。一日一日と季節が変わりゆくのが分かるが、厳冬期はまだまだ続く。水道管の凍結破裂が心配の種である。

水道と云えば、十二月に給湯器を交換したが、今度は風呂の蛇口がバカになったしまった。お湯を入れると止まらなくなるのだ。一時間以上もバスタブの湯が止まらず、温泉掛け流しならぬ湯出っ放しの風呂となった。

水回りのことは同級生の川村君にと、診断を仰ぐと取り替えるしかないとのこと。彼は昨春に廃業したが、未だ元気なので給湯器も交換してもらった。この蛇口交換でも八万円くらいとのことだが、持つべきものは友だねぇ~。直ぐに見てくれるから大助かりしてる。

古い家に住むと云うことは、何かと物入り金喰いであるが致し方なしか・・・。この古家に手を入れるとなると年金暮らしでは堪らんぜよ!。三十年以上前の古い石油ストーブで、餅や芋を焼いて過ごせるのが一番いいけどね。今年から、一ヵ月を20万円以内で暮らそうと思っているが・・・、これじゃ出だしから躓いたな。

 

明日は、従姉の旦那さん「吉岡和夫さん」の49日法要&納骨があるので高知市まで行きます。

 

 

 

 

 

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令和七年の年明けて

2025-01-05 | 弁当

1/5(日)令和七年は、昨年の年明けと異なり穏やかに始まった。天変地異は起きていないが、政治・経済の先行きは波乱に満ちているようだが・・・。

年末は友人知人との飲み会で忙しかったが、新年は二日に家族が集まり、三日は津川&花岡さん宅に長時間にわたりお世話になった。そして昨日の四日はお世話になった方の墓参へ。

初詣をする気にはならず、その代わりのお墓詣り、と云うのもおかしいかな?。先ずは、ナチュラル時代のスタッフで現役で亡くなった黒田君が眠る世田谷・妙法寺へ参る。そこから、成城学園駅~狛江駅へ。タクシーで「千手院」に行った。サラリーマン時代最後の上司であった上田さん夫妻の墓前に線香を手向けた。

登戸駅~川崎駅~横浜駅を経て東戸塚駅へ。ここから合掌の里「モチノ木霊園」にある、中村正明さんのお墓詣りをすませた。郷里の先輩、かつ上司でもあった中村さんには二十代の後半から亡くなられるまでご高配を頂き長きにわたりお世話になった。年末、奥様と電話で話をしたが、高齢になられたがお声は変わらずに昔のままであった。

最後に、横須賀に眠る横塚さんのお墓詣りをすべく、横浜駅で京急線のホームに上がると、なんと沿線火災で電車は不通になっており復旧見込みが立っていなかった。横塚さんは、横須賀の研究所に勤務した折に会員であった横須賀工業倶楽部の事務局長をされており知遇を得、その後も交流が続いたが癌で亡くなれた。残念ながらこの日の墓参を諦めた。

他にも、地元の友人であった山田正明さんのお参りもしたかったが、次回三月上旬に上京を予定しているので、命日も近いその折に線香を手向けるつもりだ。

斯様なことで、令和七年の年明けも早々と経過して明日の昼前の便で帰郷する。

最早一年の計とかを企てることも、そんな歳でもなくなったが、野菜作りが三年目に入るので今年の重点作物を定めて取り組みたい。比較的にうまくできた、トウモロコシ・ズッキーニ・生姜・ナス(白茄子)などをメインにし、カボチャやスイカ、しし唐類に葉物などとなろうか。

さて、どんなことになるか分からんが、害虫や天候、病気とのせめぎ合いになるは必定。頑張ります?。

 

皆様のご多幸ご健勝を願っております。では、本年も宜しくお願い致します。

 

 

 

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酒とバラ?の日々なれど!

2024-12-29 | 弁当

12/29(日)帰京して十日となるが、一昨日までは昼から夜と酒場で過ごすも、25日は風邪の症状がひどくなり体調不良。岸本大兄との歓談も様にならず、失礼にも一軒だけとなった。そう云えば、毎年のように帰京してから4~5日も酒場暮らしが続くと体調不良となっているようだ。

山里に居ると、昼夜と酒場に居ることなど有り得ないので、体力がついていけずに休養をもとめるのかもね?、それが風邪の症状となって現れるように思える。

昨夜辺りから何とか体調も戻りつつあるので、今日は午後から平和島のボートレース場で遊び、渋谷「奈加野」に顔を出すことにした。開店と同時に店に入り、郷里の先輩である店主と雑談をしながら生ビール&日本酒を一杯づつ飲んで帰宅。

それにしても渋谷の混雑にはウンザリした。年末の日曜日、夕刻にも関わらず人の波が途絶えないのだから。

これだけの混雑ぶりを目にすると、景気が悪いなんて言葉が信じられないネ!。お店に入ればスーパーであれ、酒場であれ値段が高くなっているのに驚くが・・・。一昨日、新宿で後輩のエビと千葉で昼酒をやり、彼らのお土産にと「タイ焼き」を買ったが、一個が380円になっていたのだから。土佐の山里にタイ焼きは無いからねぇ~。

再開発が続く馴染の街角だけでなく、我が家のそばにも店が出来ている。今様、浦島太郎さんの心境だ。

 

先週の金曜日に帰京し、夕刻には歯科治療後の人形町で後輩と歓談。その後で馴染の店に顔出し。翌日は、家族のクリスマス会で十六人。日曜日は、上野駅までサラリーマン時代のメンバー九人で昼酒&カラオケ。

月曜日、清田さん萩原さん、高橋君と同じく上野駅で合流して中華店で昼酒師、仕上げは清田さんが好きなギネスビール。夜の部は人形町でナチュラル社時代のメンバー&保谷さん沼田君に細川君との歓談。

火曜日も同じく上野集合で保谷さん達と歓談。安酒場を廻り、最後は人形町でお開き。水曜日の夕は、人形町で岸本大兄と合流し「浮葉すし」で歓談。この日から風邪の症状が・・・。

木曜日、岡崎さんと会ったが昼間のコーヒーだけで、自宅で軽く飲んでお仕舞い。休養日と云う次第。

金曜日、昼酒で冒頭に出たエビスイ&千葉君の独身寮時代からの後輩二人と中華店で歓談。17時、中目黒で、末娘のバレーボール時代のオヤジ会の山崎&紺野さんと飲み、別れてから人形町へ!「セイジュ」で飲んだ次第。

宇田さんから「空いている日時は無いか」との連絡を頂いたが、日程折り合わずに断念。

 

明日からは何の予定もなく、「日山」で肉の買い出し、「高松」で年越し蕎麦の受け取り。それくらいだから、軽く飲む程度で大晦日を迎え、生きていれば新年を迎えることになろう。正月と云えども365分の一日さ。そんなものが目出度いか?・・・。

人生、日々新た!をモットーに・・・。ならば、いいが。

 

 

 

 

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帰京・・・

2024-12-19 | 弁当

12/19(木)いやぁ~本当に寒くなりました!。今朝は八時前に畑の様子を見に出たが、一面に霜が降りて真っ白になっていました。取り込んだ干柿に糖分が浸み出ると、白い粉吹きになるが、そんなことを思い浮かべた。

八月の初旬に植えた白茄子、しし唐類も枯れ、保存用にと取り残した生姜の茎も枯れ、真冬到来の山里です。

先ほど電話を貰った勝田君(久万高原町在住)からは、雪が降って雪掻きを終えたとのことである。あそこは高知と愛媛の県境で、四国山脈の高原の町なのでさもありなん。そこに比べると、此処は山里とはいえ雪が降ると大騒ぎするくらい稀にしか雪を見ることは無い。

斯様な山里暮らしは今夜一晩で仕舞い、明日は帰京。年末始を東京で過ごす。約二ヶ月ぶりの帰京で、友人達との再会、懇談が待っている。最近とみに多いのが昼飲み!。皆寄る年波か、昼間にしようと云う。そう云えば、我が家に来て泊まる友人達は「トイレに近い部屋にしてくれ」と、一様に云うのである。いつの間にか、そんな齢になったんだねぇ~。

 

暑い暑いといいながら、冬を向かて寒い寒いと云いながら新年を迎えて一つ歳を重ねる。生きていればこそであるが・・・。野菜畑で日々を重ね、山川の恵みに与るだけの暮らし。これでいいのか、と自問するも他の生き方をするのも今更面倒、が先に立つ。耄碌田舎爺にまっしぐらだぜ・・・。

せめて帰京した時ぐらいは、友人達に会い酒場歩きでもして気分転換かな?。と、云うことで明日、参勤交代で江戸表に参ります。江戸も寒いだろうな・・・。

 

 

 

 

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師走となり・・・

2024-12-07 | 弁当

12/7(土)師走となりすっかり冬らしくなった。今月から旧式の灯油ストーブも出番となり、その上には薬缶だけでなくホイルに包んだ小さなサツマイモまで乗るようになった。直ぐに焼き芋ができて便利この上ない。

野菜畑の方は先月末でサツマイモを全て収穫したが、モグラに齧られてひどい有様であった。半分くらいは被害に遭っていたのだから・・・。一方、生姜の方の出来は上々?と云えるかな!。白茄子やしし唐類は終わりを迎えつつあるが、タアサイ・白菜・キャベツ・レタスなどは順調に成長している。

蜜柑畑の方と云えば、全く実がなかった柿に比べるとミカンは少ないとは云え少しだけなっていたのだが、温州ミカンと小蜜柑はヒヨドリであろうが、実をすっかり食べられていた。今年は何処も果実の実のりが少なく鳥たちも餌を求めて必死であろう。庭の赤い実も食べ尽くされている。

そのとばっちりであろうか、ベランダの吊るし柿が啄まばれてしまった。鳥の被害は今年が初めてで、十個近く啄まばれてしまった。高温続きと雨に祟られた今年の吊るし柿、漸く冬らしくなり安定するかと思いきやヒヨドリの襲撃にみまわれるとは想定外であった。更に、大きな熊蜂まで飛来して、柔らかくなった干し柿にありつこうとへばりつく。夢中で吸っているのを捕殺した。

         

         

そんな日々の中、今年も三週間ばかりで幕を下ろす。浮世離れした長閑な田舎暮らしが続くが・・・。干柿の方は後から吊るしたのが順調に?できつつある。

 

数日前、高知市内に住む従姉から連絡がありご亭主が危篤状態であることを知った。先月の半ばにカテーテル手術を受け、手術のミスであろうが出血が止まらずICUに入ったままで回復の見込みがないとのことであった。

翌日、叶わぬ時の神頼みと云うわけでもないが、我が地元では霊験あらかたと信心されている神峯神社(こうのみねと読む)&神峯寺(四国巡礼の27番札所)に参拝して祈願した。これは、単に心の問題なのだが。以前、津川さんと、高松の主人が病気の折にも参拝したが、二人とも快気している。 

                 

処が、残念なことに昨夜亡くなれたとの連絡があり、日曜日が通夜、月曜日に告別式とのことであった。

八月の末の両親の法事に来てくれるのを愉しみにしていたのだが、何時もは一家で見えるのにこの時は従姉だけであった。

「一緒に飲めるの楽しみしていたのに」と、言ったのだが。元銀行員で、和やかで愉しい人であった。

通夜と告別式の手伝いがあるので、高知駅前のホテルを取った次第である。

 

 

 

 

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パンドラの箱

2024-11-27 | 弁当

11/27(水) 昨日一日降り続いた雨が上がった夜明け前に目覚める。随分と降ったので今日は畑に出れないな、なんて思いながらYOUTYUBを開いて時の過ぎるにまかせるひと時。

ギター音楽を聴いていると、ちあきなおみの「紅とんぼ」が流れてきた。ギターの音色の儚さとともに或るスナックのことが思い出された。歌に出る新宿駅裏ではないが、その店は新橋駅烏森口の小学校裏にあった。

小さな建物の狭い階段をあがった二階、三四人が座れるカウンターと二つの狭いテーブル席がある小さなスナックで、店の名は「パンドラ」と云う。この場所に移る前は駅にもっと近くて広い店であったが・・・。

当時勤務していたのが日比谷公園前のビルだったこともあり、時折二次会三次会の後で近場に在る「パンドラ」に立ち寄った。独りだったり、部下を連れてのことだったりと。

そんな私たちにとてもよくしてくれた。飲み代が千円とか二千円とかで破格に厚遇して頂いた覚えがある。当時の部下だった勝田君などは一番恩恵に与ったようだ。

そんな気っ風とお人よしが災いしただろう、店は三年ほどでなくなってしまった。店がなくなる頃、私は品川駅南口のビルに転勤しており、足が遠のいていた。「紅とんぼ」の詩、歌ってよ騒いでよ今日でお仕舞い店仕舞い、のようなシーンに出会うことはなかった。

 

ママさんを知るきっかけは、烏森口の下手の一角が再開発前で雑多な小さな飲屋が林立していた頃のことだ。上司のお供で馴染だと云うそんな店の一軒に入った。知人の店の手伝いをされていたのだ。その後、再開発資金の恩恵に与って?最初のスナックを開いたときに案内を貰った。

ママさんの住まいが五反田だったことから、私の帰り道の途中だつた。遅くまで飲んだ時などはタクシーを使っていたので、目黒通り権之助坂下で下ろしたことが何度かある。

「パンドラ」という名前はでるが、その前の店の名前が浮かんでこない。その店で株主総会後の打ち上げに当時の社長も一緒だったと総務の人間から聞いている。

 

ちあきなおみの「紅とんぼ」、この歌を聴くと「パンドラ」を思い出す。飲みながら言われていた言葉「アリさんは自分で商売した方がいいよ」だった。それから十年以上経って自分でやるようになったが「オタカさん、大したことなかったよ」。

ママさんの名は、タカコさんだったはず。もう高齢だろうが、元気にされているといいのだが。何のお返しもできないままと、申し訳ない思いだけは未だ拭えない。その分は巷で返すしかないが・・・。

 

もう夜が明けてしまった。四十年も昔のこと、幻ならぬ現世のままなれどパンドラの箱が開いたが、正気に戻らねば・・・。

 

 

 

 

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吊るし柿顛末&予土線の旅

2024-11-24 | 弁当

11/23(土)時計の針は中心から右へと相当右傾化しているが、気分は土曜日のまま・・・。で、今朝最後に残った渋柿(マンガン柿)十八個の皮を剥いて吊るした。これで取り寄せた渋柿の全てが吊るし柿となり、干柿になるのを待つばかりなのだが。果たして結果は如何に?。

11月6日からスターして総計439個の吊るし柿が出来たことになるが、先週までの暖かさと二日半の雨で大ピンチを迎えている。干柿には大敵のカビが発生し、その対応としてアルコール(焼酎)を吹きかけて拭いているが、残念ながらいい干柿は期待できそうにない。

昨年は十月の下旬から吊るし始めているが、今年は気温が高すぎた。今週から漸く冬の気配濃厚となったが、先週の金曜日は暑くてアロハを着たのだから。酷い気候ながら、野菜にとっては高温も雨も歓迎する。両立できないのが素人の儚さよ。

私の干柿を心待ちしている友人が居るとすれば?、申し訳ないことになりそうだ。この場で前もって申し開きする次第です。

  

                 現在はこんな状況です。

先週までに吊るした柿の色が良くない。今週に干した柿はこれからが勝負だが、来週火曜日は雨の予報。雨は干柿には最大の敵なのだ。            

干柿のことは以上にし、懸案だった柚子の収穫と柚子酢絞りは水・木で終えた。妹夫妻と姪が頑張ってくれた。収穫の方は、私が畑に着いた途端に終わった。翌日の柚子絞りも10時~16時で完了したが、今年は不作で昨年の半分くらいの収穫。絞るのは量が少ない方が楽なのだが、それでも昨年絞った量よりは若干少なかったくらい。塩入と無しの二種類で、合計ニ十升くらいですが、その殆どは誰ぞに押し付けます。

            

 

さて、予土線の旅は往路は二時間四十分、復路は二時間ニ十分。単線で途中の待ち合わせ時間の違いでした。

トイレもない一両の向かい合わせのシートでノンビリ、ゆったりとはいかないが、往復とも乗客は八人~十五人くらいと極端に少ないので楽旅。学生も勤人も利用時間帯が違うせいもあるでしょうが、赤字路線の典型のようでした。

車窓の景色は高知県側は山と川、愛媛県側に入ると平野も家々も多く、両県の様々な違いが、この景色からも実感した。

伊達家宇和島藩十万石、山内家土佐藩二十四万石といいますが、土佐は宇和島より数倍の面積がありながらも山また山の風土。四国山脈を経だて、あらゆる面で瀬戸内側とは大きな違いがある。伊予の国の西端、伊達家の分家、宇和島とも違いを感じる次第。

午後四時、宇和島駅に降り立ち「これからどうしようか?」と。目の前に宇和島城の天守閣を垣間見たので、近そうだがタクシーで港を廻って城へと云うことに。ものの十分で大手門の前で下車。

                 

高知城の大手門の壮大さ、天守のスケールに比べると可愛く思える規模の城ながら、小高い城山の石段を上がるのに二人ともへばった。夕刻で閉門時間が迫っていたが、天守下の広場から見る宇和島湾の夕景が美しかった。

夕食はカドヤなる郷土料理店に入り、郷土料理の定番と云う「鯛めし御膳」を頂き、ビールとお酒を少々で切り上げた。

 

翌日は、やる事もなしで市場と云うかショッピングセンター?というか、港に隣接した「きさい広場」なる市場で買い物をし、コーヒーを飲んで駅へ。

十二時十八分発の窪川駅行に乗車した。発車時には十五人ほどの乗客だったが、県境を越える時には往路と同じく八人の乗客になっていた。二十駅ほどあるが全て無人駅。行き違いで停車時間が長い駅でトイレに行くという塩梅で、江川崎駅(高知の山の中、二年前かな最高気温を記録したことで知られる)では、私以外は全員がホームから出て行った。

             

車窓の風景の見どころは、高知県側の四万十川沿いを走る景色くらいだった。眼下に見下ろす川に「沈下橋」が出現すると、四万十川&高知県と思えばいいだろう。

短い旅?ながら、妙に草臥れていた。翌日の柚子の収穫と柚子酢絞りに影響したかもしれない。

 

干柿作りの今後は管理作業だけ。そこで、今日からは芋掘りと生姜収穫をはじめている。大した量ではないが、田圃畑は何かと厄介が付きまとうのであります!。

 

 

 

 

 

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命日、なれど・・・

2024-11-18 | 弁当

11/18(月)今日は亡父の命日。平成24年の正午頃、心臓術後の翌日に入院していた病院で急逝した。数年後、心臓手術では世界一ともいわれる先生にこの話をすると「手術の失敗ですね」と、即座に言われた。

「手術の成功率は98%以上ですので安心してください」との事前説明があったが、極めて低い確率の方になった。

今日は冥福を祈り弔う一日ではあるが・・・。同級生の川村君と二人で高知県の西部、窪川駅から愛媛県宇和島市まで運行されている、JR予土線に乗車する小旅行に行く。二ヶ月ほどまえ、川村君と歓談した折に予土線乗車が決まり、日程は彼に任せていた。

今日の出発となったのは偏に私のスケジュールによる。友人たちの来高、柚子の収穫、干柿作り等々の合間をぬって、二週間前に決まった次第。

予土線の運行スケジュールを調べると、なんと一日に四本しかなかった。午前二便、午後二便であった。午後一時半ごろに出る便で行くことにした。窪川までは川村君の車で行くことになり、彼が九時過ぎに迎えに来る。

ローカル線のゆるゆるとした小旅行、どんな景色・風景に出会えるかな・・・。

 

さて、土曜日は前日に高知市内での仕事を終えた落合君を9:37分に安田駅で迎えた。生憎の小雨ながら、大心劇場~室戸岬と駆け足で巡り、我が家にも一瞬立ち寄った。午後、12:30分高知空港着の雨宮さんを十五分待たせたが合流。

二人を岩崎弥太郎邸跡に案内してから、安芸駅で帰京する落合君を送った。メリーガーデンで雨宮さんと軽いランチ。駐車場は売り出し中のパンジーで半分ほど埋まっている。

                

雨宮さんはここのサボテンハウスが気にいったようだし、ランチを摂るテラスからの景色にも喜んでくれた。因みに、雨宮さんは土佐くろしお鉄道各駅のキャラクターを制作した「やなせたかし」さんの、やなせスタジオのスタッフで、アンパンマン財団の主催するコンテスト審査員としての来高。

ナチュラル社時代のスタッフ、青木君からの依頼で、空港から夕刻に始まる懇親会までの時間を案内することになったのである。勿論、東京時代のベッタラ市で何度か顔を合せているが会話をした記憶はない。共通の話題は、料理研究の神先生と青木君である。

青木君から勧められたというので、再度「大心劇場」の小松秀吉さんに連絡。劇場を見せて頂いた上に、即興の唄まで披露してもらった。ありがとうございます。

                   

川岸から見る景色に「癒される」とのこと。私には見慣れた何の変哲もない田舎の風景が、出身地の笛吹市とはまた違うとのことである。

夕闇迫る時刻ながら、少しは見れるかと隣村の「モネの庭」へと。行ってみると、夜間開園をしているとのことで入場料は割増ながら入園できた。丁度、スタッフが池に入ってランタンの灯りを配置している処であった。

               

以前にモネの庭をモチーフに、ごめん奈半利線駅のマスコット提案したことがあるとのこと。雨宮さんにとっては、高知県東部地方はごめん奈半利線を中心に仕事柄の因縁が深いようであった。

急ぎ足ながら、懇親会の始まるという時刻前に土佐山田町の料亭に送り届け、青木君への義理を果たしたが・・・、奴からしたら当然のことくらいの認識であろうな。

とは云いながら、移動中に車内で交わした雨宮さんとの会話は尽きなかった。特に面白かったのが「干柿作り」であった。彼女も、山梨の実家で吊るし柿を作るそうだが、今年は天候の所為か全部ダメになったとか。山梨には百目柿と云う、とても大きくて、入手困難ないい柿があるのだ。

私の吊るし柿も風前の灯、この暖かさと雨でこれまでに吊るした柿はヘタ落ち、黴が発生した。今週から気温が下がるとの予報なので、未だ箱に置いたままの柿に期待するしかないようだ…、残念!。

 

 

 

 

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保谷氏帰京

2024-11-15 | 弁当

11/15(金)週初めの月曜日に来高した保谷さんが、滞在予定どうりに今日の午後便で帰った。搭乗便の出発時間より三時間も前に家を出、途中寄り道をしながら空港に送った。

今日は残念なことに朝から雨となったが、昨日までは天候に恵まれ、迎えた月曜日。なんと、私はアロハを着て迎えたのである。別に南国ムードを盛り上げようとしたわけでもなく、暑いくらいの一日だった。十一月半ばになってアロハを着るとは・・・。

滞在中はレトロ満載?。奈半利町の老ママの店でのカラオケ、昭和な劇場「大心館」を見学させてもらった時には、シンガーソング歌手で館主の秀吉氏が、即興の唄まで披露してくれた。

                            

高知県東部の定番観光コースである「モネの庭」「岩崎弥太郎邸跡」「室戸岬」などを見てもらい、安芸城跡の小高い急坂を足が攣りそうになりながら登った。

あっという間の滞在期間であったが、要望されていた姪の店「いなかじかん」にも行った。残念なのは、腰を痛めていたので芋掘りは私が実践するしかなかった。そのイモが、モグラに齧られたのであろが悲惨なことに!。生姜とサツマイモを土産にしてもらったが・・・。

 

迷料理人として名声を博している?私の田舎飯だけは堪能?してもらえたかな?。そんな四泊五日、あっという間の滞在だったが、途中の13日夜には取材で来高した藤倉君も一泊していった次第。

 

明日は、9:37分着のごめん奈半利線で落合君が安田駅に着くとのこと。午後、高知空港12:30着で、アンパンマンミュージアムのイベント審査員として雨宮さんが来高、夕方までの時間を近隣案内するように青木君からの依頼。そんなことで、気忙しい一日となりそうだ。

 

吊るし柿作りの方は順調とまではいかないが200個以上を干した。注文した柿は各所から届いたが、柿の処理をする時間が足りない。今日は雨なのでやらないし、明日も無理だろう。未だ200個ばかりが箱詰めされたままで吊るされるのを待っている状態だ。

 

雨は、屋根下に吊るしたままの柿の大敵。畑の野菜にとっては慈雨、俄か農夫はハムレットの心境であります・・・。と、云うことで、また状況報告をさせてもらいます。

 

 

 

 

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吊るし柿シーズン

2024-11-08 | 弁当

11/8(金)晩秋から初冬への気配が強くなり朝晩は寒くなってきた。愈々、干柿のシーズンであるが、今年はどうしたのか近郊に柿の姿をみない。この季節、黄金色もあざやかな柿の実が見えないのだ。

とは云いながら、近所の小さな柿を干すのは余興程度であるが、それでも無いとなると惜しいものだ。

我が干柿のメインは取り寄せ。今年も何カ所かの柿をネットから注文した。その最初の柿(愛宕柿)が三箱(10K×3)、一昨日に届いたが・・・。

早速に箱を開いて中を確認したら、これが傷物が多くて閉口したのである。こんなにひどいカキが多いのは初めてだ。傷に熟しすぎ、ヘタが取れると散々な代物が多い。一応クレームのメールは入れたが・・・。

                 

取り敢えず使えそうな柿を剥いて吊るし柿にした。一箱の40個ばかり入っていたが、20個は完全に駄目な柿だった。二十数個はこんなに柔らくてどうなるかと心配しながらも吊るしたが。

 

明日は岐阜・美濃の満願柿が届く予定。明後日は岩手から蜂屋柿が届きそうだ。最後は、奈良・吉野の江戸柿の予定だが下旬ころになるかな?。

干柿作りの季節になると、柿を洗い、皮を剥き、紐で結んでから熱湯消毒と、夜鍋仕事が続くことになる。これはこれで結構草臥れるし、吊るしてからも手が抜けない。

面倒な遊びを始めたものであると、我ながら感心するネ!。喜んで食してくれる?友人達が居てくれるからこそだ。

近在の柿が無いこともあり、今年の干柿作りは350~400個くらいでなかろうか。注文してある渋柿は合計で110㎏程度のはずだ。年末の帰京までには完成させたいが、天候もあるが完成までに30~35日は要するので渋柿の到着次第である。

 

野菜畑の方は、日曜日までに一区切りつけたい。春に向けた野菜の種蒔きが遅れているのだ。

週明けには保谷さんが来高し週末まで、13日は藤倉君が一泊、保谷さんを見送った翌土曜日は、落合君と雨宮さんをアテンドすることになっている。そして、18日から一泊で、同級生の川村君とローカル線の旅で宇和島までの小旅行。

柚子の収穫と柚子酢絞り、薩摩芋の収穫もあるが何時になるやら・・・。小忙しい月になるが、体の方がどれだけ動いてくれるかな?。

 

 

 

 

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