オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

お彼岸となりて・・・

2024-09-20 | 弁当

9/20(金)昨日、19日は彼岸の入り。前日にお墓の掃除とシキビ&花を供えた。その一週間ほど前に隣接するミカン畑の草刈りをしたが、その時には姿を見ることがなかった彼岸花が咲き始めていた。

               

今年は殊の外猛暑がつづくが、彼岸花(曼殊沙華、こちらではシレイと呼んでいた)を見ると季節が移ろいつつあると実感する。

窓を開けた深夜から明け方にかけては、涼しいと云うよりは肌寒く感じるようになっている。

17日は十五夜なので、従姉のかっちゃんを誘って庭で月見をしたのだが・・・。この山あいの里から見る月は時間が遅くなる。食事もアルコールも進みl草臥れた頃、友人達から届く月だよりから一時間以上も遅れた午後七時半過ぎ、漸く東の山上が明るくなり始め、やがて煌々と輝く満月が姿を見せてくれた。

               

美しいと云う他、表現ができない。青く明るく輝くさまは例えようのない美しさで、その明るさで夜空は白々と広がり満天の星を煌めかせていた。

こうしていると、その例えようもない美しい光景が今も脳裏に蘇る。

斯様にのんびりと過ごす日々ながら、畑のサツマイモは虫食いで葉っぱがボロボロになりつつある。四番目に植えたキュウリは「ウリハムシ」に食害されてこっちもボロボロ。八月になって植えた白茄子は元気で収穫が始まりました。

                

二十本ばかり植えてあったズッキーニは撤去して二ヶ月近くなるが、一本だけ丸ズッキーニを実験的に残しておいたが、これがウリハムシの襲撃を受けながらも意外にも元気で、茎は3mほど伸びてホースの様ながら受粉をしてやったら実が採れたのだ。これには驚きと発見でした。

   

              ズッキーニの葉を齧る「ウリハムシ」

 

先日の深夜、何気に襖を見ると大きな蜘蛛が這っていた。大蜘蛛が居るのは承知していたが、ご主人様のところに来るとは・・・。暫くして、今度は天井近くの壁に別の大きな蜘蛛が出現。若干体型が違うようなので雌雄であったか。十分ばかり見ていたら隣の部屋に行ってしまった。百足でなくてよかったよ!、百足なら瞬殺するしかない。

    

 

そんなことや、こんなことで日々が過ぎゆく山里です。

では、また。

 

 

              

 

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台風去りて・・・

2024-09-03 | 弁当

9/3(火)土曜日に台風が去りて、ネズミ一匹も出ずの静けさの朝を迎えることが出来てひと安心。それでも、深夜には風雨が一時激しくなり、そして明け方には西の空が薄明るくなっていた。

早朝から気になっていた野菜の様子を見るために畑に出たが、何の被害もなくて安心した。支柱を補強したり、不織布を掛けたりして一応は備えてあったが!。

                

台風一過から、また暑くなり畑に出るのが億劫になっている。オクラやジャンボシシトウなど収穫をしなくてはいけないので、一・二時間だけになってしまった。

今日は薄雲が広がったので三時頃から畑に出て白茄子の手入れなどし、それから池の覆いにした葦簀を支える竹棒が折れたので河原に竹を切りにいった。その頃から雲が広がりやがて霧雨になった。手ごろな竹を切ってミカン畑に戻ったら雨が本格的な降りになってきたのだ。

庭まで戻った時には相当な雨になり雷まで鳴り出してきた。それでも何とか竹を入れ替えようと思ってパラソルの下で様子見をしていたら豪雨になった!。流石に諦めてずぶ濡れになってベランダに帰った次第。

                 

昨日も夕方に小雨があり、今朝も雨がふってきた。時々に降る前は干天の慈雨と思うが、降りすぎは如何なものか?。秋の長雨と云うから、その時期かも・・・・。

 

そろそろ秋播きの種を育苗しなければならない頃だ。何時までもノンビリしていないで勤勉?にならなくてはなるまい。老いやすく野菜なり難し、と云うではないか!。思いはすれど、体は動かざること山の如し!。

 

では、また・・・。

 

 

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命日

2024-08-30 | 弁当

8/30(金)今日は、平成30年に亡くなった母の命日。先週土曜日に亡父の十三回忌と併せて七回忌を済ませたところである。

そんな今日は、仏前に供える膳を作り奉った。妹に電話してお参りに来るように誘った。夫妻で来てくれた次第。

台風襲来で豪雨&強風の予報だが、雨の間をぬって畑にでてみた。成長して大きく伸びている甘唐辛子に支柱を立てて倒伏防止を施し、強風に揺られて枝折れを防止するために茄子を収穫していると雨が降り出した。すっかり濡れてしまった。

後は部屋に垂れ込めてYUOTUBEを見て時間をつぶす。夕刻近くなり一時雨が止んだので川の様子を覗きに橋の上まで・・・。泥色の川になっているが、心配するほどの増水でなかった。橋桁までは十分に余裕がある。

夕餉を済ませてから台風情報をチェックすると、四国添いの瀬戸内海を進んでいる。このままだと朝方の予報と違って直撃はなさそうだ!。少し安心ながら、直撃される方向の人には気の毒である・・・。他人の難儀は蜜の味ではなかろう。難儀は皆避けたいのだから・・・。

 こんな些事を書いているが、外で強風が巻く音と、激しくベランダの屋根を叩く雨音が断続している。台風一過を座して待つばかりの夜である。

 

 

 

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台風襲来か!

2024-08-29 | 弁当

8/29(木)日照り続きで困っていたのが解消されたと思ったら、今度は雨続き・・・。更に台風とは、これ如何に!。バカヤローと言っても詮無いなことだが・・・。

週明けの月曜日から雨が続いている。台風10号の影響だろう。雨もバランスよく降ってくれたら好いのに、こればっかりは、我が神通力も通じぬようだ。

今度の台風、当初は当地への影響は軽微と思っていたが、あにはからん、ぐいぐいとカーブしてきた。おまけに、某国の気象予報では、四国室戸沖を通過後、Uターンの小回りして再度我が上空を通過してから関西方面に向かうルート予想があった。

台風には慣れっこだが、収穫最中とこれからの野菜(おくら・ジャンボシシトウ・ナス・キュウリ)が心配である。台風は分かっていても、法事の前後処理、更に雨がつづいたので十分な対策ができていない。運を天に任せて、ああ良かった、となるを期待するしかない。

父母の法事の方は順調に済んだ。東京からの家族は総勢で11人、この対応が大変だった。布団干しにシーツ洗濯、食材の用意、ペットボトルのお茶はすぐ足りなくなると。小さな子供たちは川遊びに喜び、BBQに舌鼓?、従兄の処の子供達と花火と、夏休みの最後を楽しんだ様子。法事の時は、かしこまってお経を聞いていた。これも日本の文化、習慣。成長過程の体験になったろう・・・。

                  

庭の植木が伸びたままなのでヤキモキしていたが、法事前に来てくれた。お陰ですっきりとした中庭と玄関から住職や客を迎えることができた。池の在るお方の庭は、法事明けの月曜日に来てくれたが、午後から雨が断続的に降った。そんな中ながら、夕刻には終えたが、職人はずぶ濡れ姿に・・・。私も急な雨にずぶ濡れになって収穫した野菜と、法事で残っていたビールを持たせたが。

             

ノロノロ台風の所為で、暫く(週明けまで続くか?)は部屋に垂れ込めての日々となりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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雨が漸く降り・・・

2024-08-22 | 弁当

8/22(木)今週の月曜日、待望の雨が降った。深夜から雨音がし始めて、ほぼ一日の雨となった。そんなことで、今日まで畑の水遣りは休止となっているが、その後蒸し暑い晴れがつづく。日曜日まで雨マークがないので、今夕辺りには水遣りが要るかも?。

               

土曜日は父母の法事(父の十三回忌、母は七回忌)で、今日は長女と長男の一家、明日は次女と三女の一家が来高する。部屋掃除や布団干しと、週明けから準備。昨日は法事用の一式を整え、粗方準備が済んだ。後はお供え物を買い、一家の飯の心配をすればよいだけか?。肝心なお布施や料理の資金が・・・。

兎も角、私にとっては一大イベントが控えており、これが済めばホットする。二ヶ月も前から頼んでおいた庭師が、今朝ようよう来てくれた。辛うじて法事前に中庭の刈込は済むだろう。

 

長女と長男一家、次女の息子(小三年)が今日来るので、天気も良さそうなのでBBQでもするつもりだ。ともあれ、法事が済み、後片付けが終るまでの四~五日、ひと戦の慌ただしさが続くだろう。

近所に妹夫妻が居るので大助かり、感謝である。

 

 

 

 

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お盆から法事へ・・・

2024-08-11 | 弁当

8/11(日)前回にアップしてから一ヵ月近くも近況を記していない。

先日、友人の網代さんから電話を貰い「変わりはないか?、BLOGが更新されてないのでどうしたのか?と、某氏から言われた」などと訊かれた。「そんなことを訊くのは、水さんじゃないか」と応じたが図星だったようだ。

かくも長きに登場しなかったが、何の変りもなく暑き熱き夏を生き抜いております。こちらは先月の17日頃から、雨らしき雨がなく日照り続き・・・。畑の野菜も小生も萎れ、肌だけは焼けに焼けて田舎のオヤジそのもの!。

子供の頃と云うか、近年までは雷が鳴り夕立ちが頻繁にあったように思うが、山里の今夏はそんな気配すらありません。夕立ちも朝立ちもなき涸れようながら、白茄子と四派となるキュウリの苗を先日植え付けました。枯らさぬようにと水遣りに勤しむ朝夕・・・。

斯様なことで我が菜園は、万願寺もジャンボシシトウも茄子も成長が悪い。スイカも昨年同様に不作。我が身同様に衰えは否めませんが、なんとか生息しております。

 

ともあれ、お盆を前にして墓掃除を終え、昨日は安芸市の生花店やスーパーに出掛けて買い物。その買い物の最中、大阪在住の従兄から数年ぶりの着信。盆の帰省で安芸に20分ほどで着くとのこと。駅で待ち合わせて邂逅。明日の夕に我が家にきて一献、泊まる運びとなった。従兄が奥さんを亡くされて数年、会いたいものだと実家を訪ねて弟に伝えたのは去年の夏のこと。変わらぬ元気な声とゴルフ焼け?の姿であった。

    

さてさて、山里での我が日々と暮らしは、野菜畑で灼熱のなかを遊び、先日からエビ箱を川に仕掛けて手長エビを捕るくらいのことである。お盆や24日の父母の法事を控え、二月も前から植栽の刈込を依頼してあるが未だ来てくれぬ。法事までに我が手で刈りこむことになりそうだ。

早いもので、母の七回忌、父の十三回忌を迎える。捨てるに捨てることが出来ぬ実家、我が身が元気なうちは田舎暮らしを続けるに如かずか・・・。衰えたりと云えども、未だまだ元気ですよ!。

雨、降ってほしいな~。先月、半ばまでは雨が雨がとボヤいていたのに。雨が恋しい、欲しい昨今。されど、今日も晴天也・・・。

 

 

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今日も雨・・・

2024-07-13 | 弁当

7/13(土)雨は今日で四日目となるが、未だ降っている。雨の合間を見ては野菜の収穫をするが、そんな間にも降り出して濡れネズミになったりしている梅雨時です。

               

胡瓜やオクラは成長が早いのでジャンボ&お化けサイズになる前に収穫をするしかないが、収穫後の持っていき場所に悩んだりしている。遠方の友人達にわざわざ送るほどの野菜じゃない。近所は農家ばかりなので要らないだろうから、近所の〒局や豆電球さん、最近はメリーガーデンさんまで持って行くこともある。

丹精込めた?野菜故、誰ぞに食してもらいたいのだ。自分としても野菜の消費に努めているが、モロキュウ・酢物・糠漬けも流石に飽きてくるし、天ぷら・煮焼きに味噌炒めの茄子にしても同様である。とかなんとか言いながらも、生でソテーで、煮て焼いてと、胡瓜・ナス・ピーマン・万願寺・オクラが食卓に並ばぬ日はない。

食卓に並ぶのが野菜だけならいいが、そうもいかぬので縮緬ジャコや豆腐、時には肉や魚、デザートも・・・。と云う次第で、品数だけは充実?の食事を摂る。然も、雨が続くと畑に出れないので運動不足。で、腹回りが成長するという循環に相成り候。

先日、野菜畑のスイカが十個も狸に喰われて大ショック!。スイカを作り始めて三年目となるが初めてのことだ。おまけにカボチャまで齧っていった。

難を逃れたスイカを二つばかり収穫してみたが、いい感じにであった。

           

 

長雨になる前、酷暑がつづいた折、ウオーキング協会が主催する安芸市での会に、東京から佐藤君夫妻が来た。夫妻で全国を歩き廻っていると聞いていたが、我が地元までやってきた。

協会主催のパッケージツアーとのことで、足も宿もセットになっているとのことで、初日に歩き終えたヤッシーパークで合流し、山里まで案内した。奥様の方は、協会のバスツアーで動物園・牧野植物園に行かれたので佐藤君だけである。

日本酒が飲みたいとのことなので、地元の南酒造に立ち寄って「南 大吟醸」を入手。それと、ヤッシーパークで買ってきたパッションフルーツで焼酎のパッションフルーツ割(飲むのは、初めてとのことだった)を供して、ひと時の歓迎をした。

宿泊は高知市内のホテルとのことで、安田駅18時38分発のごめん奈半利線で見送ったが・・・。寝過ごして、高知駅を通り越してしまったと翌日に聴いた。

翌日のウオーキングは昼前に終わり、ツアーバスで岡山まで行ってから解散とのことで、ゴールの安芸市観光情報センターで見送ったが、暑さで相当疲れていた。

因みに、佐藤君は私がサラリーマンをしていた三十年ほど前の職場でご一緒し、その後もグループで飲み会・旅行会があり、その幹事をしてくれ、お世話になっている。グループでは一番の若手だが・・、退職して数年となる。

私が退職後、会社代表をしていた頃は、電話関係のことは全て彼が手配をしてくれた。

 

翌日から雨の予報だった火曜日、修理に出してあった草刈り機が出来たと連絡があった。受けとりに行った午後、そのままミカン畑に寄って気掛かりだった草刈りを済ませた。滅茶暑かった・・・。

          

斯様な日常、変り映えしないがこれが日常と云うものであろう。

来週末には義母の一周忌で数日だけ帰京する。人形町で一杯やり、法事を済ませ、日曜日は歯科から、佐藤君の幹事で飲み会があるそうだ。そして月曜日に帰郷する。

そうだ、26日から月末まで碓氷老が来高するとか言ってきたのだ!。八月になると、下旬に我が家で父母の法事があります。

 

 

 

 

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梅雨本番となり・・・

2024-06-27 | 弁当

6/27(木)木曜日となりても未だ夜明け前の時刻。深夜の三時を過ぎたばかりである。

遅れていた梅雨入りも本番となり、ここのところ雨の日が続いている。が、今日は朝は小雨だったが、その後は曇り、薄日が差す時間もあった。

そんな一日、日課である野菜の手入れと収穫などで過ごした。昼に喜夫君から電話があり、話の中で「トウモロコシ食べたい~」なんて言うので、急遽最後のトウモロコシを採ってズッキーニ・万願寺やピーマン、胡瓜・茄子と一緒に送る破目になった。野菜達とて、誰かの役にたてばこそである。

今年のトウモロコシとズッキーニの収穫は、好評?のうちに今日でお仕舞になった。来年は(来年があればだが?)、トウモロコシの植え付けを倍にするか、結構喜ばれるので、そんなことを思っている。晩秋の干柿作りと同様に増え続けるかもな。

今年、半年の作物の出来具合を振り返ると、タマネギは程ほどに良好?、ニンニクは今年も失敗。根物のジャガイモは田圃土のせいかあまりよくない。初夏の大根は駄目、網代さんから種「ノラボウ菜」は上々。レタス・ブロッコリやホウレン草は、そこそこの出来。初めてのソラマメは、良しとするか?。

胡瓜は順調に収穫が進んでいるが、問題はトマトとスイカだ。両方とも病気に罹ってるので時間とのせめぎあいだ。手当をしているが一向に効果が表れず、病は進行している。それに、茄子も害虫?か、病気か?。

野菜は季節に、天候に左右されやすいようだ。或いは、土壌の菌や虫なのか、いろんな症状がでる。そんなこともあろうかと、分散して植えたりしているが・・・。野菜作りをテーマにして二年目、二年生は荷が重い遊びである。

今日の収穫では、なんと白茄子と千両茄子が何者かに齧られていたのだ。妹に言わすと「鳥じゃないの」とのことだが。こんなことは初めてなのだが・・・。続くようなら対策が要る。

                

胡瓜とピーマン、私好みの万願寺唐辛子は順調に収穫ができている。これからは、オクラやジャンボシシトウなども採れるだろう。ただし、最盛期を迎えると、収穫物を誰に貰ってもらうか、それが悩みとなるのだ。

 

雨の日や、翌日は雨が続く前夜は今夜のように夜更かしをする。畑遊びしかない素浪人は、畑に出ないとなれば翌日は暇を持て余すのだ。カエルの鳴き声も途絶えた深夜に一人、過ぎ来し日々を振り返っては反省?、と悔悟の時を過ごすのである。

心配するのは、野菜達の元気な生育と実りである。未だ、十種類ばかりの野菜が畑で待っている、呼んでるぜ!。

               

 

余談であるが、平成30年末に完全に仕事から離れた。とはいえ、何かをしたいとは思っていたが、その夢も潰え、コロナも相まって山里暮らしとなった。この三年、夢の中に仕事をしているシーンがよく表れ、目覚めてから夢のシーンの続きを自分で描いたりしていた。

目の前の田圃が、従兄が亡くなってからたった一年で荒れ果てた。それを見るのが嫌で、慣れぬ野菜作りの手を広げることにした。一年目、そして二年目を迎え、鍬やスコップで耕し、育苗や植え付け、手入れ・・・、師匠はYouTube!。いろんな人の、いろんな野菜の、まさに十人十色の手法を飽きもせずに見続けて一年近くなる。

そんな日々となり、それまでの仕事の夢を見なくなっていた。野菜の手入れをしながら「野菜作りも、仕事も、人作りも同じだな」そんなことをつくづく思うのだ。いずれも難しい、簡単なことじゃないな、と。

斜向かいに住む高齢の従姉が言う、私の畑遊びを「仕事」だと。私は応える「仕事じゃない、遊びだ」と。仕事と云うのはお金を稼ぐ、お金が付いてくるのを仕事と言うんだよ。俺がやっているのは「遊び或いは運動だよ」と。

斯様な、山里での日々はまだまだ続きます。多分ネ!。

 

 

 

 

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山里日記

2024-06-13 | 弁当

6/13(木)先回の記載から六月になり、早や中旬となりましたが、相変わりなく畑に遊ぶ日々。一日から鮎漁が解禁となりましたが私はやらない。広勝が友釣りで掛けた鮎をありがたくいただき食しています。

今年も鮎の遡上が見えない、期待できない、との悲観的な観測が流れておりましたが、そこそこに捕れているようです。頂いた鮎の講釈ではあるが、例年の新鮎より旨いように思いますし、形もそこそこに大きい。頂くだけの当方としては、こんな調子で豊漁であるように願うばかりです。

私の遊び場である「畑」の方は、トウモロコシの出来はまずまずのようです。実を付け始めたスイカ、これが問題で、早くも病気「炭疽病」が、葉一面に広がってきました。いろいろと対策はしていますが効果なし、お手上げ状況になりつつです。トマトも茄子も病害虫に侵されてきました・・・。 

           

 

     

     

二年目となり、野菜作りの難しさ、奥深さを実感しています。今年の作柄は、冬大根はまずまずでしたが夏大根がトンでもない状況です。青虫に食害され、漸く残った20本ばかりがタコ足大根になっています。原因は不明!。土壌か病気か、害虫かでしょうが初めての状態です。

       

ズッキーニは沢山採れていますが、先日の強雨と風にあおられて半分ほどが倒れていました。何とか起こして事なきを得ていますが、今月で仕舞いのようです。

ジャガイモ畝の後作として「薩摩イモ」の植え付けをしています。これまでに130本のイモ蔓を植え、今週末までに65本を植え付ける計画です。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるの例えに倣って、数で勝負?と云うわけです。

ニンニクは八割が駄目になり、大根は前述の有様。ほどほどと云えるのが玉ネギ・ズッキーニ・トウモロコシ。これからが、万願寺にジャンボシシトウ、ピーマン・茄子・キュウリ・トマト・カボチャ・スイカと云うところです。葉物は全く植えていません。春キャベツの残りが少しありますが・・・。

 

以上のような野菜づくりに悪戦苦闘?する日々はまだまだ続きます。大人の遊び故にできることかな・・・。然し、色が黒くなるのよ‼。

 

ではまた、忘れた頃にアップします。

 

 

 

 

 

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久々にblogでも・・・

2024-05-28 | 弁当

5/28(火)昨夜から風雨強し・・・。昨日の昼間は雨が上がって蒸し暑かったが、今日は涼しくなった分だけ台風のような趣の一日。

こんな日は、何もしないしできないのだ。二週間以上もご無沙汰しているBLOGでも記そうと云う次第である。先ずは、13日の帰京~20日の帰郷までと野菜の様子などについて・・・。

先々週になるが、13日に帰京して歯科受診を経て「高松」にて、翌日からの津軽紀行のメンバーである保谷&中村の両氏との壮行会?。14日10:05分発JAL便で青森空港に飛んだ。空港には東京時代と打って変わった髭面の神パパが待ち受けてくれた。ここから帰京までの四日間、パパの案内&運転で津軽紀行となった。

私が希望していた、東郷夫妻(橋本葉子さん)の眠る新寺町の円明寺、岩木山の麓「森のイスキヤ」にも案内頂いたが、事前の下見までしてくれていたのには深謝しかない。

                 

旅行は、神夫妻宅で歓待(ご馳走攻め)を受けた翌日から、ご夫妻も一緒で岩木山神社・懐かしい森のイスキヤ(佐藤初女さんがご健在の頃に三度ほど取材で伺った)、深浦の大銀を経由して黄金岬の「不老ふ死温泉」に宿泊。以前から行ってみたいと思っていた、日本海が目前の泥色をした温泉に入った。残念なことに、混浴風呂(時間帯によるようだ)があるせいか写真はご法度だった。

               

三日目は鰺ヶ沢町(ここには三十年近く前に、トライアスロンの視察&激励できている)十三湖を一回りすべく、十三湖高原道の駅(ここも十年ほど前か、取材で竜飛岬からの帰路、時雄さんの運転する車で立ち寄っている)を経てから、黒石市の山中に在る「青荷温泉ランプの宿」へと向かった。

   

          

   

青荷温泉は国道から狭い山道に入り、延々とのぼっていく。そして、谷へと下って温泉の駐車場に着くが、駐車場から更に徒歩と2~300m下った谷川沿いに建っている。五十年以上の歴史があるそうだが、古くは湯治場だったようだ。

本当にランプの宿で、食事の広間も、便所も浴場も灯りはランプなのだ。勿論、スマホも繋がらない谷底のような場所にあり、瀬音だけが響き眠れないじゃなかろうかと思ったくらい。

だが、酔っぱらって寝てしまい明けやらぬ薄明かりの午前四時に目覚めて、本館の目の前の大風呂を独り占めして悠然とぬるめの湯を堪能した。浴場は露店風呂も含めて四ヶ所あり全てに入ったが、湯は温い。

浴場にシャワーもない、洗い桶も石鹸も置いてないと云う徹底で、木の感触を肌に感じながら、瀬音を聴いて長湯を愉しみ、世俗のことを忘れるにはうってつけの宿であろう。

そして、帰京の最終日を迎えたが・・・。なんと、前日までとは違って朝から悪天候になっていた。そんなランプの宿を後にし、十和田湖に向かい、それから酢ケ湯温泉を経由してから青森空港に向かう予定であった。

なんとなんと、神パパが事前のルート探索をしていてくれたそうだが、その道路が通行禁止になっているアクシデントが…。回り道をして十和田湖畔に辿り着いたら、20m以上の強風と豪雨だった。車の中から湖面を眺めるだけにして(ここも以前に訪れている)、奥入瀬気流沿いの道を下りそして酢ケ湯に向かった。

山道を登って行くと、残雪が処何処に残っていた。途中で写真など撮って初夏の雪に喜んでいるが、天候は一向に回復しない。ちょっと帰りの飛行機が飛ぶか心配になった。

                

酢ケ湯について休憩&昼食を摂った。ここの温泉も、数年前になるが八丈会のメンバーと訪れて、いくつもある大きな温泉に入ったのは夏、青森市の夏の祭典「ねぶた」を見物に来た時のことである。

私には青森県、特に弘前・津軽地方とは縁ができていた。佐藤初女さん、橋本葉子さん、なんと言っても演劇集「ばっけ」(解散して久しいが)の皆さんとの出会い。そして今回は、神さんのUターンである。

悪天候の中、予定通りに空港まで送って頂いたが…、飛行機が飛ぶか危ぶまれる状況であった。私のこれまでの経験では「すべて何とかなってきた」が、さて今回は?。我らの搭乗する前に離陸予定の札幌便は欠航になった!。

心配していたが、東京からの便が遅れながらも到着とのアナウンスがあった、これを聞いて七割がた安堵した。

定刻より三十分近く遅れたか?なんとか搭乗して帰路についた。「高松」で解団会?と費用清算を済ませて慰労会に突入した。

 

土日と自宅で休養?し、月曜日の二十日に野菜が待つ山里に帰郷した。たった一週間の不在で野菜達は成長し、野放図になっていやがった。それからは、ジャガイモの収穫(良くなかった)や、後作の畝作り、スイカ・カボチャの摘芯、トウモロコシ・ズッキーニの受粉等々・・・。

気忙しくも体は動かぬ日々を過ごしながら、今日のような悪天候にやきもきしているのであります。

              

               ズッキー二 三種

 

 

 

 

 

 

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