福音の力を体験せよ ②
“彼はその魂のうちに神の愛が必要だった。この足りないところを補わなければ、それは彼にとって致命的となるのである。彼の性質全体がだめになってしまうのである。甘やかしておくと、利己心がますます強くなるだろう。彼が神の愛を受け入れるためには、自我に対する最高の愛を克服しなければならない。”(DA519)
箴言14章12節には次のような言葉があります。
“人が見て自ら正しいとする道でも、その終わりはついに死に至る道となるものがある。”
この金持ちの役人は、見るからに立派で善良そのものの人でしたが、実は滅亡の道を歩いていました。彼がイエス・キリストと出会ったとき、イエス様は彼に必要なものは何であるかを語られたのですが、彼はそのまま滅亡の道を歩くことを選んだのです。彼自身は、自分が滅亡の道にいることに気づいていませんでした。
イエス様はそのような彼の姿をご覧になり、悲しまれました。私たちの中で、どれほどの人たちが、イエス様と共に最後の最後まで、献身の道をたどることを選択するのかは分かりません。次の言葉を読みたいと思います。
“多くの者が自己欺瞞に陥っている。そのために、愛の原則が彼らの心と魂の中に宿ることができないのである。”(SD49)
“私たちは活動的に多くの働きをすることはできるが、愛、すなわち、キリストの心にあったような愛がなければ、私たちは決して天の家族の一員にはなれないのである。”(COL158)
新生への道 9 人生と活動 ⑨
愛の精神を持って、この世のどんな小さい仕事も「主に対してするように」(コロサイ3:23)することができます。神の愛が心のうちにあれば、それは生活にあらわれてきます。キリストのよい香りが私たちを包み、私たちの感化は他の人々を高め祝福するのです。
神のために働くといっても、何か大きい機会を待つ必要はなく、特別な才能など持たなくても良いのです。人からどう思われるかなどと気にする必要もありません。もし日常の生活が、その信仰の純潔、真実なことをあらわし、人々のために何か益になりたいと望んでいることが人々にわかれば、その努力は決してむだにはならないのです。
イエスのどんな小さく貧しい弟子でも、他の人々の祝福となることができます。彼らは自分が特別に善いことをしているとは少しも気づかないかもしれませんが、知らず知らずの間に与えた感化が祝福の波となり、それがますます広く深くなっていきます。しかもその結果は、最後の報いの日まで決してわからないでしょう。何か大きなことをしていると感じることもなく、知ることもありませんが、成功するかどうかなど思いわずらう必要もありません。ただ静かに前進して、神が摂理のもとに与えられた仕事を忠実にすれば、その生涯はむだにはならず、魂はますますキリストに似てきます。彼らはこの世で神と共に働いて、やがて訪れるみ国でのより高い働きと、限りない喜びを受けるのにふさわしい者とされるのです。 (人生と活動の項終わり)