SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ ⑭

2013年11月14日 | 日記

  

                        (大多喜町生け花クラブ作品)

   福音の力を体験せよ ⑭

“わたしは、かれらが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。”(ローマ10:2、3) 

これがまさに、私の経験でした。私は自分自身の真の姿を知っていませんでした。

“自らクリスチャンと称する者の中には、単なる道徳家にすぎないものが多い。”(COL315)                  

私たちは、あの金持ちの役人のように、目立った悪は行わない善良な人であるかもしれません。しかし本当にクリスチャンなのでしょうか?皆さんの中で、私がこれまで欺かれていたのと同じように、欺かれている人はいないでしょうか?イエス様は聖書を通して、たくさんの実例をあげて教えてくださいました。多くの人は、自分が永遠の生命を得る道にいるかのように思っていますが、実際は滅亡の道を歩んでいるのです。

   新生への道 11 祈りの特権 ②

イエスは、この世界においでになったとき、弟子たちにどのように祈るかを教えられ、毎日の必要を神に求め、どんな心配事もみな神に任せるように指導されました。そして、彼らの祈りは必ず聞かれるという保証をお与えになりましたが、それはまた、私たちに対する保証でもあります。

 イエスご自身も、人々の間に住んでおられたとき、たびたび祈られました。救い主は、ご自分も私たちと同じように、欠乏と弱さを覚えて、義務や試練に耐えるための新しい力を天父より受けるために、熱心に祈り求める者となられました。彼は、すべてのことにおいて私たちの模範です。彼は、弱い私たちの兄弟となり、「すべてのことについて、私たちと同じように試練に会われ」ました。しかし、罪のないお方でしたから、そのご性格が悪を退けたのでした。彼は罪の世にあって、激しい心の戦いと苦悩に耐えられました。彼の人間性は祈りを必要とし、また特権とされました。イエスは、父なる神と交わられることにより、慰めと喜びを受けられました。人類の救い主である神の子でさえ、祈りの必要を感じられたのですから、弱く罪深い人間には、どれほど熱心な、絶え間ない祈りがなければならないことでしょう。