(大多喜町生け花クラブ作品)
福音の力を体験せよ ⑭
“わたしは、かれらが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。”(ローマ10:2、3)
これがまさに、私の経験でした。私は自分自身の真の姿を知っていませんでした。
“自らクリスチャンと称する者の中には、単なる道徳家にすぎないものが多い。”(COL315)
私たちは、あの金持ちの役人のように、目立った悪は行わない善良な人であるかもしれません。しかし本当にクリスチャンなのでしょうか?皆さんの中で、私がこれまで欺かれていたのと同じように、欺かれている人はいないでしょうか?イエス様は聖書を通して、たくさんの実例をあげて教えてくださいました。多くの人は、自分が永遠の生命を得る道にいるかのように思っていますが、実際は滅亡の道を歩んでいるのです。
新生への道 11 祈りの特権 ②
イエスは、この世界においでになったとき、弟子たちにどのように祈るかを教えられ、毎日の必要を神に求め、どんな心配事もみな神に任せるように指導されました。そして、彼らの祈りは必ず聞かれるという保証をお与えになりましたが、それはまた、私たちに対する保証でもあります。
イエスご自身も、人々の間に住んでおられたとき、たびたび祈られました。救い主は、ご自分も私たちと同じように、欠乏と弱さを覚えて、義務や試練に耐えるための新しい力を天父より受けるために、熱心に祈り求める者となられました。彼は、すべてのことにおいて私たちの模範です。彼は、弱い私たちの兄弟となり、「すべてのことについて、私たちと同じように試練に会われ」ました。しかし、罪のないお方でしたから、そのご性格が悪を退けたのでした。彼は罪の世にあって、激しい心の戦いと苦悩に耐えられました。彼の人間性は祈りを必要とし、また特権とされました。イエスは、父なる神と交わられることにより、慰めと喜びを受けられました。人類の救い主である神の子でさえ、祈りの必要を感じられたのですから、弱く罪深い人間には、どれほど熱心な、絶え間ない祈りがなければならないことでしょう。