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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 17

2013年11月17日 | 日記

  

                            (大多喜町生け花クラブ作品)

   福音の力を体験せよ ⑰

“クリスチャンの生活は古いものを修正したり改良したりすることではなくて、性質が生まれ変わることである。自我と罪に対する死があり、全く新しい命がある。この変化は聖霊の効果的な働きによってのみ行われる。”(DA172)

私は、どうすれば自我に死ねるのか、それを知らなかったのです。もちろん私は、犯罪のような大きな罪悪を犯すことは願っていませんでした。しかし、心の奥で犯してしまう罪、日常生活の中で犯す小さな罪悪はどうしたらいいのでしょう。

聖書の中で、そのような自己欺瞞に陥った人はいたでしょうか?十人のおとめの譬えについて、しばらく考えてみましょう。 

“そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。”(マタイ25:1~4) 

全ての人はあかり、すなわち聖書を持っています。聖書は私たちの道のともし火、道の光なのです。聖霊は、この聖書を通して、人の心に霊感を与えようと懸命に働いておられます。聖霊は、おとめたちが持っていたあかりの中の油を象徴しています。しかしあかりの他に、別の入れ物が必要でした。思慮の浅い五人のおとめは、別の入れ物に油を用意して行きませんでした。

   新生への道 11 祈りの特権 ⑤

神が私たちの祈りを聞き、それに答えられるには一定の条件があります。まず第一に、私たちは、神の助けが必要なことを感じなければなりません。神は、「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ」(イザヤ44:3) と約束しておられます。飢え渇くように義を慕い、神を慕う者は必ず満たされるのです。聖霊の感化を受けることができるように心を開かなければ、神の祝福を受け入れることはできません。

 私たちが大きな必要を感じているということは、それ自体が、動かすことのできない理由であり、私たちのために最も雄弁に語ってくれます。けれども私たちは、それらの必要を満たしてくださる方として神を求めなければなりません。彼は、「求めよ、そうすれば与えられるであろう」(マタイ7:7)と言われました。また、「ご自身のみ子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、み子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」(ローマ8:32)とも言われています。