(庭の銀モクセイ、甘い香りがただよってきます)
福音の力を体験せよ 30
“真実な証人の証は、半分も留意されていない。教会の運命がかかっている厳粛な証は、完全に無視されていないまでも、軽視されてきた。この証は、深い悔い改めを促さなければならず、その証を真心から受け入れるすべての者は、それに従い、そして清められるのである。”(1T180)
ある人たちは、「そのような深い悔い改めの経験は14万4千のみが必要だ」と言います。しかし皆さん、このように完全に清められる経験なしには、誰であれ、救われることはできないのです。
聖書は、「栄光の望み」であるキリストを、心のうちに宿している人だけが救われる、と教えています。しかし問題は、どうすればキリストを私たちの心のうちに宿すかについて、大勢の人がよく分かっていないことです。
“人々は、種々の悪習慣を改め、良いことをして、クリスチャンになろうと望むのであるが、それでは、出発点が誤っているのである。まず始めるべきところは、心なのである。”(COL97)
イエス様は、私たちの古い本性を象徴する古い着物に、新しい布ぎれで継ぎ当てをしてはいけないと言われました。新しい着物を買いなさい、つまり、新しい心を持ちなさい、と言われたのです。
新生への道 11 祈りの特権 18
私たちは、もっと「主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために」(詩篇107:8)神をほめたたえなければなりません。私たちの祈りは、ただ求めること、与えられることだけであってはなりません。また自分の欠乏ばかり考えていて、受けた恵みを忘れることがないようにしましょう。私たちは祈ることが本当に少ない上に、感謝の心が乏しい者です。絶えず神のあわれみを受けていながら、感謝を言い表すことがなんと少なく、神が私たちのためにしてくださったことについて賛美することのなんと少ない者でしょう。
その昔、イスラエル人が礼拝のため集まったとき、神は次のようにお命じになりました。「そこであなたがたの神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労して獲るすべてのものを喜び楽しまなければならない。これはあなたの神、主の恵みによって獲るものだからである」(申命記12:7)と。神の栄光のためになされることは、賛美と感謝の歌をもって喜んでなされるべきであって、悲しい気持ちや憂うつな気持ちでなされてはなりません。