福音の力を体験せよ ⑯
“イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない」。”(ヨハネ3:5~7)
聖書には、はっきりとこのように教えられているのに、私自身は、どうしたら新しく生まれることができるのか、新しく生まれるとはどのようなことなのか、全く分かっていなかったのです。
“自分で律法を守る行為によって天国にはいろうとする者は、不可能なことを試みているのである。律法的な宗教、敬虔の形だけを持っている者には安全がない。”(DA172)
皆さん、形だけの敬虔とはどのようなものでしょうか?私たちは教会へ行って、自分を清い人のように見せかけることができます。けれども、自分の家ではどうでしょうか?私たちのすべての行為と言葉と思いとが、天にある聖所の秤にかけられ、裁かれるのです。自分の家でどう暮らしていたかについて、裁かれるのです。皆さんは、家庭で神の愛を実践していますか?私は自分の兄弟姉妹たちに、そのようにしていませんでした。子供たちが過ちを犯したとき、私は、直ちに罰を与えました。ひどく怒ってはいませんでしたが、自分を抑えることができず、感情的に叱っていました。そのようなとき、私の心は、自分を制御できないことに対して、自分自身を腹立たしく思っていました。そして、自分がこうなるのは、思うとおりに行動してくれない子供たちが悪いのだと、子供たちを恨んでいました。
皆さんも、そのような経験はありませんか?私たちは自分の罪悪感をなくそうとして、失敗の原因を他人のせいにして恨んだりします。
新生への道 11 祈りの特権 ④
悪魔は、祈りをおろそかにする者を暗黒に閉ざし、誘惑の言葉をささやいて罪を犯させようとします。それはただ私たちが、神の定められた祈りの特権を用いないからです。祈りは、全能の神の、無限の資財が蓄えられている天の倉を開く、信仰の手に握られた鍵です。それにもかかわらず、神の子らは、なぜ祈りをおろそかにするのでしょう。絶えず祈り、忠実に見張っていなければ、私たちは次第に不注意になって、正しい道からそれる危険があります。敵は恵みのみ座への道をさえぎって、私たちが熱心な祈祷と信仰によって、誘惑に耐えるための恵みと力を受けられないように絶えず働いています。