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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ ⑬

2013年11月13日 | 日記

    

                 (大多喜町生け花クラブ作品)

 福音の力を体験せよ ⑬

次の言葉を読みます。“ 地上の至る所から、自分たちが持っていない何かを叫び求める声があげられた。彼らは、罪を征服する能力、自分たちを悪の鎖から解き放ってくれる力、生命と健康と平安をもたらす能力を渇望していた。”(MH143)

これがまさに、私の父の叫びでした。それはまさに、パウロの叫びでありました。キリストを見出す前、パウロは律法の広範な要求を悟りましたが、律法を守ることができませんでした。「わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている」と言いました。それから彼は、「わたしは、なんというみじめな人間なのたろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」と叫びました。そして次に叫んだのが、「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」という言葉でした。                 

ついに私自身も、キリストを通して、罪に勝利できる道を発見することになりました。

“人々は救いの計画について非常に無知であるために、どうすれば救いを得られるかという、最も重要な問題について、もっと多くの教訓を学ばなければならない。”(4T394)

 

  新生への道 11 祈りの特権 ① 

 神は、自然と聖書、摂理、および聖霊の感化を通して私たちに語られます。しかしそれだけでは十分でありません。私たちもまた、神に心を注ぎ出す必要があります。霊的生命と力を得るためには、私たちの天の父と実際に交わらなければなりません。私たちは、心が神に引かれ、神のみわざ、あわれみ、祝福などを瞑想するでしょうが、これは、十分な意味での神との交わりではありません。神と交わるためには、私たちの毎日の生活について、何か神に話すことがなければなりません。

 祈りとは、友だちに語るように、心を神に打ち明けることです。これは、私たちがどのようなものであるかを神に知らせる必要があるからではなく、私たちが神を受け入れるのに必要だからです。祈りは、神を私たちのところへ呼びおろすのではなく、私たちを神のもとへとひき上げるのです。