(大多喜町生け花クラブ作品)
福音の力を体験せよ 23
一方、熱い者は、イエス様との生きた関係を発見して、その通りに生きる人です。毎瞬間、神の愛の確証を得ながら歩んでいます。魂の扉を開けて、神様が心の中でみ業をなさることを、いつも喜んで許す人です。このような人は、ぶどうの木に絶えずつながって生きています。そうするときに、ぶどうの木の養分が心の奥に入り、常に生命を与えるのです。
ところが生ぬるい者とは、自分はクリスチャンだと思い込んでいる人のことです。自分は富んでおり、豊かであると思っているので、さらなる必要を感じていません。このような人は裸で、みじめで、哀れな状態にありますが、その実態が見えないのです。
生ぬるい者に分類される人たちは、自分のことを知りません。私も、自分のことが分かっていませんでした。ただ、生ぬるい者とは、神様のために熱心に働かない人のことだと思っていました。私は、誰よりも主のために熱心に働いていたからです。問題は、この生ぬるい人々が、いまだにイエス様を知らないということです。彼らの中にイエス様がおられないのです。
新生への道 11 祈りの特権 ⑪
密室で祈りましょう。毎日の仕事をするときにも、しばしば心を神に向けなければなりません。エノクはこのように神とともに歩んだのです。黙祷は、恵みのみ座の前に尊い香りのように上っていきます。このように、神に心を委ねた人に、悪魔は勝つことはできないのです。
神に祈りをささげるのに、不適当な時とか場所とかはありません。熱心な祈りの精神をもって、心を天に向けるのに妨げとなるものは何もありません。雑踏の中でも、商売の最中でも、ちょうどネヘミヤがアルタシャスタ王の前で自分の願いを告げたときのように、神に願いをささげて導きを請うことができます。祈りの密室はどこにでもあります。私たちは、絶えず心の戸を開いて、イエスを天来の客として心のうちに住んでいただくよう招待しなければなりません。
たとえ私たちは、汚れた腐敗した空気に包まれていても、その毒気を吸う必要はなく、天の清い空気の中で生きることができるのです。真剣に祈って心を神の前に高め、不潔、不正な思いが入らないようあらゆる戸を閉じることができます。神の助けと祝福を受けようとして心を開いている者は、この世の人より清い雰囲気の中を歩き、天と絶えることのない交わりを続けることができます。