夕日に輝く大多喜城(数日前)
福音の力を体験せよ 35
それでは、私たちの魂を救うために、神様がなさる分と私たちがなすべき分を、どのように調和させるのかを見ていきましょう。今から、その段階を学びたいと思います。
“人は神なしに、何事も成し遂げることはできない。神はこの贖いの歴史を定められたとき、人と神が協力し合わなければ、何もなし得ない方法をとられた。人間がこの働きに対してやる事は、量り難いほど少ないものであるが、救いのみ業においては、少ないとはいえこの人間の役割なしにはなし遂げられないほど必要なのである。”
皆さん、ある人たちは、「イエス様が全てをなされたから、彼が完成なさった事を、ただ信じればいいのです」と言います。私たちの教会で、このような話がよく聞かれるようになりました。しかし、私たちの協力なしに、キリストは私たちを救うことがおできになりません。私たちのなすべき分があります。では、神の役割とは何であり、私たちの役割とは何なのでしょう?神様はいつも、ある過程を通して働かれます。
新生への道 12 疑いをどうするか ③
神のみ言葉には、その著者である神のご性質と同じように、限りある人間には十分に理解できない神秘があります。罪がこの世に入ったこと、キリストの受肉、新生、復活、その他、聖書にしるされている多くの問題は、きわめて深い神秘ですから、人間の頭脳ではとうてい説明することも、十分に理解することもできないのです。けれども、神の摂理の奥義を理解できないからといって、神のみ言葉を疑う理由は何もありません。自然界においても、私たちのわからない不思議なことがいつでも身の周りに起こっています。最も単純な生物であっても、どんなに賢明な学者でも説明に苦しむ問題を投げかけています。どこを見ても、私たちの理解できない驚異があるのですから、霊の世界において私たちの測り知ることができない不思議があるからといって驚くことはありません。問題はただ、人の知力が弱く見解が狭いことにあるのです。神は聖書の中に、聖書が神からのものである証拠を十分に与えておいでになるのですから、神の摂理を全部理解できないからといってみ言葉を疑ってはなりません。