福音の力を体験せよ51
人が真心からけん命に祈り、訴えるとき、神様がその人を助けずに見捨てることはありません。私が自分の罪の状態を理解するようになったとき、主のみ前にあらゆる罪を持って出て来ました。そして、イエス様にすべての罪をさし出したのでした。実は、さし出したくない罪が、心の奥にありました。それは、主人に対してたびたび良くない感情を抱いていたことでした。なぜなら、息子に対する主人の態度があまりにも間違っていると思っていたからです。
私は熱心に祈りました。「主よ、もうこれ以上このような感情を抱きたくありません。主人が何をしようとも、私が彼に悪感情を抱く権利は何ひとつありません。私には、私の敵をも愛する義務しかありません」と。私のすべての罪を洗い清めてくださるよう、主に祈り求めました。
それが現実のものとなることを信じたその瞬間、心の中の悪感情が消えてしまいました。とても信じることができませんでした。主人を許すことができるようになり、彼に対する穏やかで美しい感情が私の心の奥に生じました。
新生への道 13 主にある喜び ⑦
もし子供たちが母親の愛を疑ったとしたら、母親はどれほど悲しむことでしょう。どんな親でも、子供からそのように扱われるならば、どういう気持ちがするでしょう。それと同様に、天の父も、私たちに命を与えるために、ひとり子さえも賜ったその愛を私たちが信じないとしたら、私たちを尊重されるでしょうか。使徒は「ご自身のみ子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、み子のみならず万物までも賜らないことがあろうか」(ローマ8:32)と言っています。けれども、口では言わなくても、その行いで「神は私にこう言っておられるのではない。おそらく神は、他の人々は愛されたかもしれないが、私を愛しておられるのではない」と語っている人がたくさんいます。