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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 38

2013年12月08日 | 日記

     

  福音の力を体験せよ 38  

みことばを研究しなさいと、聖霊に促されたとき、私は、「それでは、何を勉強すればよいのでしょう?ああ神様、あなたのためにやるべき事が山ほどあります。また子供たちのためにも、忙しく働かねばなりません。夜にもやる事が沢山あるのに・・・」という具合に、はじめは言い訳ばかりしていました。

私は子供たちを教えていながら、子供たちの魂をキリストのみもとに導いていませんでした。しかし、自分ではそうしていると思っていました。子供たちには、自分が教わったように、神様に服従しなさいとガミガミ言っているだけでした。

そういう私自身は、自らの魂を神にお捧げして、それから服従できる能力を主から受けるべきであることを、悟っていませんでした。こうして、子供たちをますます律法主義者に仕立て上げていたのでした。私は子供たちに、律法に服従することだけを教えて、信仰によって従うことは教えていませんでした。

皆さんが、子供たちをただ良い子になるように教育しながら、自らの魂を神様にささげる方法を教えることができなければ、皆さんの子供たちが、み国へ入るように準備され整えられて行くことは決してありません。

皆さん、クリスチャンの生涯には、ただ善良に生きること以上のものが求められています。未信者の中にも、善良な人は大勢います。禁酒禁煙を実践し、悪事をやめることなら、彼らにもできます。しかし、クリスチャンとは、天からの聖霊を受けることを意味します。

    新生への道 12 疑いをどうするか 6  

 聖書の真理を研究するにあたって、ある種の誇りが起こり、聖書のすべての点を自分の満足できるまで説明できないと、短気を起こし失望する人がいます。彼らは、霊感によるみ言葉を理解することができないと自分で認めることは、あまりにも屈辱であると考えます。そして、神が適当なときにその真理を示されるまで、忍耐して待とうとしません。また、何の援助もなく、人間の知恵だけで十分聖書を理解することができると考え、それができないとなると実際に聖書の権威を否定してしまいます。もっとも、一般に聖書の教理として信じられているものの中には、聖書にそのような根拠を全く持たないばかりか、かえって神の示された主旨と正反対のものも少なくありません。こうしたことが、多くの人たちに疑いを起こさせ困らせているのです。しかし、これは神のみ言葉のせいではなく、み言葉を曲解した人間のせいなのです。