(バラが3週間咲いてくれました)
福音の力を体験せよ56
次に、香壇は何を意味しますか?キリストの義が皆さんの内に働き、麗しい行いと麗しい祈りが出るわけですが、そうするときに、「神に受け入れられる」と言われています。
ところがイエス様は、皆さんの内に住まわれるまでは、この働きをなさることができません。問題は、皆さんの内に罪が一つでもあるなら、キリストは皆さんの内に住むことがおできにならない点です。罪とキリストは決して共存できません。聖所は、そのことを正確に教えています。
ですから、血で私たちの良心を洗い、次に、水で新しく生まれる必要があります。イエス様は、「だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない」と言われました(ヨハネ3:5)。
新生への道 13 主にある喜び ⑪
イエスは泣かれたが、笑顔を見せられたことは一度もないということは、よく言われることです。私たちの救い主は、本当に、人類のあらゆる悲しみを心を開いて受け入れられたのですから、悲しみの人であって、悩みを知っておられたに違いありません。イエスの生涯は自己否定の生涯であって、悲痛の陰におおわれていましたが、その意気はくじけることはありませんでした。み顔には、苦しみや不平の色はなく、いつも変わらない平和な落ち着いた表情が漂っていました。また、イエスのみ心は命の泉であって、彼の行かれる所はどこにでも、休息と平和、楽しみ、また喜びがもたらされたのです。