福音の力を体験せよ 59
しかし多くの場合、キリストのみ前に出ることについて、あまりにも誤った観念をもってきたため、実際はイエス様の前に出てきた経験がないのに、出てきていると思いながら過ごしているのです。そのため、本気で新しく生まれる経験なしにイエス様に従おうと努力します。しかし、そのような状態では、クリスチャンとして生活することが難しくなります。
ロ-マ人への手紙7章にあるように、私たちは「ああ、私が願わない事をしばしばやってしまうのは、なぜですか?」と尋ねます。本当の理由は、間違った信仰を持っているからです。パウロは、どのように十字架の前に出てくればよいか分かりませんでした。しかし、イエス様が彼にご自身をあらわされたそのとき、パウロは新しく生まれ、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」と証しました(ピリピ4:13)。パウロの書簡は、勝利の秘訣であふれています。
新生への道 13 主にある喜び ⑭
また、ある人は絶えず恐れ、意味のないとりこし苦労をしています。彼らは毎日神の愛のしるしに囲まれ、神の摂理のうちに恵まれていながら、祝福を見過ごしにしています。そのような人々は、何か不愉快なことが起こりはしないかと、そういうことばかり考えています。また実際に当面する困難は、ほんの小さいものであっても、そのために目がくらんで、感謝すべき多くのことを見ることができません。ですから、困難に会ったとき、唯一の助けの源である神のもとに行くかわりに、かえって不安と不満の心を起こして神から離れてしまいます。
このように不信仰であっていいのでしょうか。どうして感謝と信頼の心がないのでしょうか。イエスは私たちの友です。全天は私たちの幸福を願っています。日常生活の困難、または、労苦に悩まされることがあっても、失望してはなりません。もし、そうしたことを気にしていれば悩みの種はいつまでも尽きないのです。心配してはなりません。それはただ、私たちを悩まし疲れさせるばかりで、試練に耐えるなんの助けにもなりません。