14万4千人 第4回
罪の記録の除去
この時までにはすでに、罪の赦しはなされています。この時までに、すべての罪とがの告白がなされて、大祭司によってその罪の処理は終わっています。そして、この時までに、一人ひとりの運命が定まっています。命か死かどちらかに定まっているわけです。ですから非常に厳粛な時なのです。その時、すべての告白された罪を、真の大祭司イエス・キリストが、アザゼルの山羊の頭に負わせるわけです。これどういう意味でしょうか。
犯された罪の責任というのは、誰かが負わなければならないのです。「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)と書かれていますね。罪というのは赦されても、ただ単にそれがなくなって、忘れ去られてしまうわけではありません。罪というのは、何らかの方法で裁かれて、判決が下され、その報いが与えられなければならないのです。罪が正しい方法で処理される時に、罪を犯した私たちが赦されるのです。
次にイエス様は、神様の民の罪を取り除いて下さいます。私たちの生涯の記録から、罪の記録を消去してくださるのです。罪の記録の書から、罪の記録を抹消して、神の民を清めてくださいます。その時あがないが完全になされるわけです。
主の日は盗人のように ソン・ケムン
第1回
現代の真理
私たちは何よりも、イエス様の再臨を早めるようにと呼ばれている者です。その日は本当に間近です。「そんな話は小さい時から聞いてきた」と、そのように思うかも知れませんが、いいえ違います。本当に、その時代に私たちは生きているのです。皆さんは「現代の真理」という言葉を聞いたことがありますか。各時代に、その時代に伝えなえればいけないメッセージがありました。
エデンの園では「現代の真理」の内容は何だったでしょうか。それは、善と悪を知る木の実を食べてはいけないというメッセージでした。カインとアベルの時代の「現代の真理」とは何でしたか。その時は、穀物ではなく、羊を捕えて、その羊をささげなさいという真理でした。ノアの時代の「現代の真理」は何でしたか。箱舟に入りなさいということが真理でした。聖所の時代には、羊を屠っていけにえとしてささげることが、その時代の「現代の真理」でした。各時代、それぞれに伝えなければならない真理がありました。その時代に示された、神様が願われていることでないなら、いくら伝えても意味はありません。
そうであるならば、今、この時代の「現代の真理」は何でしょうか。それはイエス・キリストの再臨なのです。主が再び来られること、それこそが私たちのすべてであり、私たちの望みであり、私たちの喜びです。これこそ、この時代に述べ伝えなければならない「現代の真理」です。この時代に住んでいる人類の、総ての関心を、再び来られるイエス様に集中させなくてはいけません。