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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第3回

2018年01月04日 | 日記

皆さんトランプをしたことがあるでしょう。切り札はいつ出しますか?いつでも出せるものではありません。本当にこれは最後に取るアクションです。教皇の辞任という切り札が成功したのでしょうか? 成功しました。今回の教皇辞任事件で全世界の目がバチカンに集中しました。そして、道徳的な改革に対する渇望を植えつけました。今のこのような状況は、彼らの目的を遂行することにどれほど良い環境を整えたことでしょうか! まもなく道徳的改革を打ち出して、日曜日を守らなければならないという主張に全世界が従うことになります!

そして今回新たに教皇となったフランチェスコ1世! この教皇の背景をご存じですか。この人はどこの出身ですか? 1534年イエズス会が創立された後、事実上、教皇を操縦してバチカンを動かしてきた影の実力者、イエズス会が前面に出てきたのです。史上初のイエズス会出身の教皇。しかも新教皇は彼の名前をフランチェスコとしました。フランチェスコはどのような理念を持った人だったかというと、共産主義理念を持っていた人です。自由・平等、共同分配などの理念を持っている人の名前を採用したのです。このようなことを見るとき、たまたま教皇が辞任したと見るには、あまりにも大きな世界的な問題を私たちが見逃してしまうということに注意を喚起したいのです。いずれにしろ今日は教皇の話をしようとするのではなく、私たちが今そんな時代に生きているということを認識していただきたいのですです。

ところで私たちは、ささいなことで悔しがって怒ったりします。それはいいことではありませんす。そういうことから完全に開放されましよう。

私たちは赦しの話をしています。今日私たちは「神聖で純潔な民への召命」という少し重いテーマについて学ぶために集まりました。私たちは純白できれいな品性の服を準備しなければなりません。そう言うと、「ああ、どうしたらいいですか?」。しばしば誘惑に倒れますね。そのため自分の犯した罪の記憶が浮かんできて、私を苦しめます。他の人に知られたくないような罪、神様の御心をいためるような罪の記憶が浮かんできて、「あぁ私は果たして赦される資格があるだろうか、私は赦されたと思っていたけど、本当に赦しを受けたのだろうか?」。私だけがそう思ったことがあるのではないでしょう。そういう考えが多くの人を悩ませます。他の言葉で表現すれば、罪悪感と言えます。

 本当に神様に赦された人は、人を本当に赦すことができます。なぜその人を赦せないのかご存知ですか?皆さんが神様に本当に赦された経験がないためです。多くの人は本当に赦された経験がないのです。神様に赦された経験がないのに、どうして人を赦すことができるでしょうか? 神様に赦された経験がないのに、どうして勝利する者になれるでしょうか? 赦されてないから、いつも罪人であり、救いの喜びがないので勝利することができません。

 皆さん、神様がどんな方なのかみ言葉を通して確認しましょう。イザヤ書44:22です。この言葉は後でもう一度見ますので、すぐ開けるようにしておいてください。

 「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」(イザヤ44:22)。

 信じてください。本当に信じてください。自分の恐れや不安な気持ちをなくして、この言葉そのまま信じてください。神様が私のとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消したから、心配せずに戻りなさいと言われたのです。神様が語られました。語られたらその通りに行われる。それが神様の言葉の力ではないでしょうか? 赦すと言われたらそうなるのです!