天国には、地球上に住んでいたすべての人の身上調査書があります。市役所に行っても皆さんの記録がありますね。天の身上書を他の言葉で何と言いますか? 記録の書ですね。私の身上書の最初のページにはこう記録されているでしょう。「ソン・ケムン。誕生00年2月25日(2月25日は記憶しなくてもいいです)。髪の毛112,130個、体重…。身長…"二番目のページには十戒が記録されているでしょう。その次のページからは、私が十戒を犯すたびに記録されるところがあります。「ソン・ケムンは第1の戒めを13,250回犯し、第2の戒めを3,980回犯し、第3戒は…、第4戒名は…ゆえにソン・ケムンは永遠の滅亡に処せられなければならない」。これはどれだけ正しい審判でしょうか!
罪の支払う報酬は死です。ところで私は神様と共に死んだので、神様は私の記録の書を取り出し、大きなハンコに自分の血をたっぷりつけた後、各ページごとに「赦された」としっかりハンコを押されるのです。そしてそれを外に持って行かれます。なぜなら神様はそんなゴミを天国に一刻も置いておくことを望まれないからです。それでその後、誰もそれを見ることができなくなりました。もし、ある人がソン・ケムンの記録を見たいなら、イエス様の十字架を越えなければなりません。
誰かが身上書保管所に来て「ソン・ケムンの身上書をください」と言ったとすれば、「もうない」と言ってくださるのです。「あの人に不利な記録は一つもないのだ」と手ぶらで帰るのです。
しかし、問題があります。
イエス様が私の調査書をなくして捨てる前に、サタンは私たちを騙すため、それらを一つ残らずコピーしておきました。もちろんそれはコピーであるため、法的拘束力はありません。しかし、サタンは私たちを騙すため、それを使って責めます。そんな時に落胆しないでください。「驚くべき神様の大きな恵みだ。私たちの罪を贖うため、カルバリの十字架で小羊が血を流された。主の恵みによって私たちの罪は洗われた。主の恵みが私たちの罪を洗った」。