SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第11回

2018年01月12日 | 日記

多くのクリスチャンがこの牧師と同じような境遇に置かれています。私たちが兄弟を赦さなければ神様の赦しを経験することはできません。多分私たちはこの兄弟という言葉を自分にではなく他の人のことだと考えるでしょう。しかし、もし皆さんが、信仰の兄弟姉妹を赦さなければならないのなら、自分にもそれを適用しなければならないのではないでしょうか。

神様は敵を愛しなさいと言われました。皆さんにとって一番難しい敵は、自分自身であるかもしれません。敵が自分自身であるなら、その敵も赦し、愛さなければならない存在ではありませんか? 自分を赦す必要があります。自分自身に対する怒りや恨みを持ち続け、自分を赦さないでいることは、私たちが他の人を傷つけることが悪いことであるように、自分自身にも傷を与えるのです。

 私は今、姦淫してもいいという話をしているのではありません。私たちはマグダラのマリヤは赦されても、自分は赦されないと考えていないでしょうか。十字架の強盗は赦されても自分は赦されないと考えたりします。罪悪感に責められないで、神様の赦しをあえて主張しましょう。罪のない方が私と立場を変わってくださいました。イエス様が十字架に持って行ってくださった荷物を、なぜ私たちは自分で背負おうとするのでしょうか。それも捧げてしまいましょう。なぜ重荷を背負ったままでいるのでしょうか? 主に差し出しましょう。イエス様のもとへ行くなら、あの中風患者に言われた言葉を受けることができます。それは何という言葉でしょうか? 「あなたの 罪はゆるされた」。