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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第4回

2018年01月05日 | 日記

赦しとは何ですか? 赦しの定義を正確にした後で話を続けます。赦しは創造の力そのものです! 真の赦しを受けるなら、悪人が義人になるのです! このように言うこともできます。神様から赦されると、私たちの生涯が変わる! 曲がった針金をしゃんと伸ばすように、赦しにはそのような力があるのです! そのような定義を下せるのです。一般的なキリスト教会では「罪を犯したのですね。それでは神様から赦しをいただきましょう」。こうして赦しを乱用するために罪を犯しては赦されることの繰り返しから脱することができなくなってしまうのです。私たちは、赦された者は罪から離れることができると信じて、それを人生に適用します。そこで私たちはこう言います。「赦しは力だ。赦された人の結論は再創造だ。イエス様がマグダラのマリヤを赦された後、二度と罪を犯してはいけないと言われた!」。

赦しは過去の罪を洗って清めるだけではなく、二度と罪を犯さなくする力をくださるのが神様の赦しです。それが正しい赦しです。赦しはただ見逃してくださる以上のことです。皆さんがこのような真理を分からないでいるなら救われることは難しくなります。そうですね?私たちはこの事実を見逃すことはできません。 ここにおられる皆さんの中で、私が今述べた赦しの定義を初めて聞いた方がいらっしゃいますか。いないと思います。

ところがこのような高貴な真理が、ややもすると硬直した結果を生み出すことを、私はしばしば見てきました。「私は赦された者なのだから、もう義なる者にならなければならず、清くならなくてはいけないし、 勝利の上にもなお勝利を得る者にならなければならないし、勝利は私のものなのに…」。ところが失敗する時があります。自分が望んでいなかった罪を犯すことがあります。自分でも気づかないいうちに利己心や傲慢、嫉妬が起きてきます「え?これは何だ、これは私が嫌悪する罪なのに、これは私が嫌いな罪なのに、赦しは再創造、赦しは力だと言われたが、私は勝利の上になお勝利を得る者になるはずなのに、勝利しなきゃいけないのに、なぜ、私は失敗したのか? 私の悔い改めと新生の経験は勘違いだったのか? 自己欺瞞だったのか?」そう思って慌てるのです。そのために絶望し、そこから抜け出せないのです。