SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

朝露のような人々  最終回

2016年01月27日 | 日記

   義のために立ち上がる人

『教会への勧告』という本の言葉ですが、

「今こそ、私たち神の民は、本当の原則を証明する時です。キリストの宗教が最も蔑まれ、その律法が最も軽視されている時こそ、私たちは、決して、変わることのない勇敢さと熱意を示すべきです。多くの人が私たちを見捨て、勝利者が少ない時に、真理の義のために立ち上がること、それが私たちの挑戦なのです。その時、私たちは、彼らの冷たさから熱意を、彼らの臆病さから勇気を、彼らの不忠実から忠実を集めなくてはならないのです」。

 この霊的暗黒時代にあって、夜のような世界にあって、私たちは、神様の御言葉から命を受け、この世界に対して、朝露とならなければなりません。  

「ヨセフについては言った、『どうぞ主が彼の地を祝福されるように。上なる天の賜物と露、下に横たわる淵の賜物』」(申命記33:13)

ヨセフは、露に象徴される人でした。露は、彼に対する祝福を表していました。 

ヨセフの経験は、暗闇の経験でした。わずか、16、17才の時にエジプトに奴隷として売られ、ポテパルの家に仕え、ポテパルの妻からの誘惑を断ったために、牢獄へと、どんどん辛い環境に落ちていったのです。暗い夜の経験をしなければなりませんでした。

しかし彼は、どんな環境にあっても、真理と義を常に擁護しました。神様を恐れるという原則から離れることはありませんでした。イエス様の良き兵士だったわけです。冷たい夜の中で、朝の胎から出る露となったのです。神様からも見放されたような中で、神様を恐れる人が彼だけであるような状況で、暗い牢獄の中で、彼は忠実だったわけです。冷たい牢獄で熱い信仰を保ち、失望の状況で希望を集めました。そのような状況でも主に忠誠を尽くしたのです。彼は、まさに、朝露のような人でした。誘惑された時に、「どうして神様に対して、罪を犯すことができるでしょうか」とその誘惑を振り切った人、それがヨセフでした。

 (写真) ご覧いただけますか?本当に美しい朝露ですね。神様は、自然を通して、本当に素晴らいし霊的な教訓を教えてくださいます。私たちは、今日、それを学びました。また、ギデオンの経験は、私たちの現代の経験ともなることを学びました。

ある人々は、暗い夜の中にあって、御言葉をしっかり持っていることでしょう。隠れた場所において、このアメリカにも、また他の国々にもそういう人がいるのです。その人々は、現代のワルデンセスです。

皆さん、神様は、今日一人ひとりに語りかけられます。あなたにこう言われます。「勇士よ、立ち上がりなさい。主が共にいます!」。

最初に多くの人がその召しに応えるでしょう。ギデオンの時も、最初多くの人が集まりましたが、それから300人に絞られました。皆さんは、その300人の中にいることを望まれますか?

 お祈りしましょう。

 

天の父なる神様、大きな哀れみを感謝します。私たちは、罪人です。無力です。主よ。私たちは、その計り知れない救いの計画に信頼を起きます。そのみ摂理とご計画に信頼をおきます。その御言葉の力に信頼をおきます。主よ。私たちを本当の朝の露としてください。

暗く冷たい夜に、命を与える露としてください。そのお言葉と真理を集めたいと思います。それが、私たちの毎日の命となるようにしてください。どうか、日々に教え、御言葉を経験させてください。神様、感謝します。私は、信じています。主が、真のよき兵士達を立ち上がらせ、敵がうちまかされることを。感謝し、その御名を賛美します。主イエスキリストのみ名により、このお祈りを捧げます。 アーメン

 

 


朝露のような人々  第13回

2016年01月26日 | 日記

そして、その経験は私たちだけのものとならないのです。その経験は、他に流れていきます。それが、後の雨の力によってなされます。その時、乾いていた地が潤うのです。私たちが集めていた神様の御言葉の経験は、すべてそれを求める人々のためとなるのです。大いなる叫びが怒ります。地が神の真理の栄光で輝くことでしょう。

今は、御言葉を集める時なのです。そして、その経験を全ての人に伝えることになります。それは、もうまさに起ころうとしていることなのです。ギデオンに与えられた2つのしるしは、私と、貴方に対する今日のしるしともなるのです。

 ギデオンとその300人の兵士達ですが、彼らの武器は何だったでしょうか?土の器とその中に、松明、そしてラッパでしたね。私たちは、土です。塵です。そのような塵ですから、持っているプライドや自我を壊す必要があります。イエス様の岩の上に落ちて、砕かれなければならないのです。日々に、毎朝、その経験が必要なのです。「主よ、私は罪人です」。そのように叫ばなければなりません。そのように砕かれるなら、光が現れるのです。信仰による義認の光が輝くのです。主が与えてくださるのです。そして、私たちは、ラッパを吹き鳴らすでしょう。それが、大いなる叫びです。そうするなら、敵は自滅するのです。ハルマゲドンの戦いです。

ですから、ギデオンと300人の経験は、最終世代の神の民の経験ともなるのです。

 


朝露のような人々 第12回

2016年01月25日 | 日記

   最終時代の経験とギデオン

私は個人的に、ギデオンの経験は、私たち最終世代の経験にあてはまることができると信じています。まさに、最後の時代に反逆者サタンと戦う14万4千人を表していると思うのです。

ギデオンの時代、神様の言葉は聞かれなたかったんです。食料がなく、本当に飢饉のような状態だったわけです。敵がそれを盗んでしまっていたのです。今、私たちは、霊的に同じような状況に置かれているわけです。皆さん、そうではないでしょうか?

 

ですから、神様からの二つのしるしの意味を理解し、それがどのように自分たちにも意味を持つのかを理解する必要があります。

ギデオンが、その敵との戦いを起こす前に求めたこの二つにしるしについて考えてみましょう。

まず、露が羊毛にだけ下りましたね。私たちは、神様の言葉を食して、それを集めて、朝の胎からでる朝露のような人々になる必要があります。神様の御言葉がないために、地が乾いてる時に、聖霊の満たしを受けて、露のようになるのです。暗闇の中で、静かにその経験を持つのです。御言葉が自分の心で働くように、その力に委ねるのです。その力が心にある罪を打ち破る、その経験を持つのです。その御言葉の力が、あなたを縛り付ける罪の重荷から解放するのです。神様の御言葉には、そのような力があるのです。それを経験されてますか?

私たちが日々にこの御言葉の命を集めるなら、私たちは、周りがどんなに乾いていても、露となることが出来ます。神様の御言葉への忠誠が、見られない、そして、本当の献身が見られないそのような中にあって、私たちは、神様の御言葉を、それを経験することによって集めましょう。

 


朝露のような人々 第11回

2016年01月24日 | 日記

そして、さらに次のようなお願いをしました。

「ギデオンは神に言った、『あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルを救おうとされるならば、わたしは羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露がその羊の毛の上にだけあって、地がすべてかわいているようにしてください。これによってわたしは、あなたがかつて言われたように、わたしの手によってイスラエルをお救いになることを知るでしょう』」(同6:36、37)。

これは、とても難しいことですね。露はすべてのところに降りるからです。しかし、神様の力にとって、それはたやすいことなんです。

「すなわちそのようになった。彼が翌朝早く起きて、羊の毛をかき寄せ、その毛から露を絞ると、鉢に満ちるほどの水が出た。ギデオンは神に言った、『わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください』(同6:38,39)。

ギデオンは、「神様もう一つだけしるしを下さい」と言って、全く逆のお願いをしました。

 

「神はその夜、そうされた。すなわち羊の毛だけかわいて、地にはすべて露があった」(同6:40)。


朝露のような人々 第10回

2016年01月23日 | 日記

 10  ギデオンの召し

ギデオンは、この時麦を打っていました。それも酒ぶねの中で打っていたわけです。通常麦を打つのに、酒ぶねで打つ必要はありません。酒ぶねは、だいたい町の外れの、低い位置にあるわけです。ブドウ畑で収穫したブドウをその場所にどんどんおろしていき、そこで、それを踏みつけて葡萄酒にしたりしていたわけです。ですから、麦をそんなところまで、運んで打つのは、おかしなことなんですね。ギデオンは、ミデアンの兵士を恐れたいたわけです。ですから、少しの麦をとって、酒ぶねのなかで、夜にひっそりと、麦を打っていたのです。

そのようなときに、天使が現れました。そして、こういったのです。

「主の使は彼に現れて言った、『大勇士よ、主はあなたと共におられます』」(同6:12)。

ちょっと、不思議だと思われませんか?ギデオンのしていることは、臆病者のような態度なんですね、ミデアン人を恐れて、ひっそり、こっそり、麦を打っているわけです。人目をさけて、夜に麦を打っているわけです。そのギデオンが、「大勇士よ」と呼ばれるわけです。

とても、不思議ですよね。恐れて臆病な、麦を打つ男に、神様は「大勇士よ」と呼びかけられるわけです。この民を救うための器とすると言われました。私の軍の将軍にするといわれたのです。しかし、ギデオンは、その言葉を信じることができませんでした。そして、「もし、あなたが紅海を開き、乾いた地で、私たちの先祖を養ってくださった神様で、また、私が大勇士なら、このような現状がなぜ起きるのでしょうか?」と尋ねます。

まさに、多くのイスラエル人が餓死している、そのようなことがなぜ起きるのでしょうか?そのように思ったわけです。しかし、神様は、「私があなたを大勇士と呼んだので、あなたは、大勇士になったのだ」と言われるわけです。

そこで、確信がほしいギデオンは、「どうかここで待っていてください」とお願いして、供え物をするために、なけなしの肉とスープを持ってきて岩に置きました。すると、御使いが持っていた杖の先から炎が出て、それを焼き尽くしたわけです。そこで、彼は、目の前にいる方が神様であることを知るわけです。