SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

朝露のような人々  第4回

2016年01月15日 | 日記

自分の義をチリに伏させる

(写真)とても、美しいと思いませんか? 神様は、自然界を通して、霊的な教訓を教えてくださるのです。とても、美しいですね。葉のさきに水滴となって輝いています。

露について、このような説明もあります。

《水蒸気が水滴となるためには、粒子や細かい塵(チリ)を必要とする》。

私は、この説明が大好きなんですけども、皆さん、私たちは、チリです。私たちが本当の意味においてそのことに気がつくなら、「主よ、私はチリです。私を憐れんでください」と祈るようになります。

そのように自分自身がチリであることを認める必要があります。皆さん義認とは、なんでしょうか?それは、自分の義をチリに伏させる経験なのです。自分の栄光を地に伏させ、そして、イエス様の義を受けることなのです。それが、義認なのです。皆さん、神様の息吹がなければ、私たちはただのチリにすぎません。私たちは、本当にそのことを認め、自覚し、自分の周りに水蒸気、つまり神様の御言葉を集める必要があります。

 

露は、チリなどを中心に水蒸気が集まり水滴となるのですね。そしてまた露は、水蒸気が非常に少ない時に発生します。

同じように神の御言葉が非常に少ない時に、神の民は、どのようにそれを集めるかを知っているのです。また露は、日が昇ると消えてしまいます。

皆さん、どうか皆さんの脳がまだ疲れていない、脳がクリヤーな早朝朝の良い時間をイエス様のために捧げてください。最もよいその時間を祈りや御言葉の研究のための時間としてイエス様に捧げてください。

 


朝露のような人々  第3回

2016年01月14日 | 日記

    暗く冷たい夜に発生する露

では雲とはなんですか?

《空気中の水分が凝結して水滴・氷晶となり,これらが群れ集まって空中を浮遊しているもの。主として,気流の上昇に伴う断熱冷却により発生する》。

これが雲ですね。

今、水蒸気がかたまってできる3つのものを見てきましたね。露、霧、雲です。今回の私の話のテーマは、露なのです。なぜなら、露は、空気中の水蒸気が地物の表面に凝結してできる水滴、つまり私たちの最も近くに発生するものだからです。私たちの住んでいる地表に、そして、暗く冷たい夜に発生するものだからです。

私たちは、この時代に朝露のような人になる必要があります。私たちは、宗教的な暗黒の時代に住んでいます。もちろん私たちは、宗教的な本や、聖書などを多くの国で見ることが出来ます。キリスト教国でなくても、聖書を世界中で買うことが出来ます。聖書は、まるで海のように世界のどこででも見つけることが出来ます。しかし、それでも私たちは、今、霊的な冷たい霧の中にいるということが出来ます。

神様の民は、今こそ御言葉の水を集めて露となる必要があります。神様の御言葉が本当に少ないそのような時にこそ、神様の民は、御言葉を集めて、朝露のように、花々や木々に命を与える存在とならなければなりません。それらが、成長し花開くのを助ける存在となる必要があるのです。皆さんは、そのような朝露のような人々でしょうか?そのことを今、自分自身に問いかけていただきたいのです。

 では、雨とはなんでしょうか?

《大気中の水蒸気が高所で気温冷却により凝結し水滴となって落ちてくるもの》とされています。これが雨です。皆さん、後の雨がまさに降ろうとしています。準備が出来た人々にそれが降るのです その前に、私たちは、朝露になる必要があります。神様の純粋な御言葉が聞かれなくなっている現代に、真理を探し求め、それを集めて露となる人々が必要とされています。

 露についての別の説明では、こう書いてあります。

《露とは、空気中の水蒸気が地物の表面に凝結してできる水滴。気温の低い夜などに、地表の近くに発生するもの》。

これが露ですね。雲でも、霧でも、雨でもありません。露です。これは、神様の民を象徴するのにふさわしいとは、思いませんか?

ですから、聖書の詩篇にも神様の民が露として、出てくるのです。


朝露のような人々 第2回

2016年01月13日 | 日記

2 朝露のように

私たちが朝早く起きると、このような朝露を見ることがありますね(写真)。花々や、草の上にこのような露を見るのですが、それらは、本当に美しいものです。実際は、これは、神様の奇跡といえます。神様は、私たちに露や霧を与えてくださり、それによって花々や木々がうるおされるのです。それらが、花が美しく咲くのを助けるのです。これらは、神様の奇跡です。

ご存知でしょうか?これらの露は、大気中の僅かな水分が集まり、そして、水滴の形として、現れているんですね。露は、大気中の水分がとても少ない時に、発生するのです。

 この露から私たちは、霊的な教訓を今朝学びたいと思っています。この最終世代に生きる私たちにとって、本当に必要な教訓を学べることと思います。

ある人が、「朝露のような人々」ということを言っていたのですが、私は、最終世代の神の民は、朝露のような人々であるべきだと思っているんです。教会において、真理が多く語られない時に、神様の言葉が薄められている時に、真の神様の民は、朝露のようになるべきなのです。そして、花々や木々に命を与えるような存在となる必要があります。 

詩篇110篇3節お読みします。ここを学んでとても深い意味があることに気がつきました。 

「あなたの民は、あなたがその軍勢を/聖なる山々に導く日に/心から喜んでおのれを捧げるであろう。あなたの若者は朝の胎から出る露のように/あなたに来るであろう」。 

とても、単純な聖句に見えますが、より深く研究していきたいんです。

「あなたの若者は朝の胎から出る露のように/あなたに来るであろう」。 

最初に、露について学んで見ましょう。露とは、なんでしょうか? 少し、高校の科学の授業、もしくは、小学校のクラスのような感じですが、このように書いてあります。

《露とは、空気中の水蒸気が地物の表面に凝結してできる水滴。気温の低い夜などに、地物の表面温度が放射冷却で降下したとき発生する》。

 

露は、地表近くに発生するものですね。このことの意味をちょっと心にとめておいてください。

では、霧とはなんでしょうか? 霧も、水蒸気がかたまった形の一つですが、

《霧は地面付近に生じた雲で,空中に浮かんだ無数の微小な水滴(霧粒)からなる。微小水滴は光を散乱,吸収するので,霧の中では見通しが悪くなる》。

露と、霧の間には、違いがありますね。 今日の、テーマは露です。

 


朝露のような人々 デイビット・カン説教 第1回

2016年01月12日 | 日記

 1  主の前に安息する心

お早うございます。そして、主に感謝します。私たちの生活は、多くの責任や、やるべきことに追われていることがあります。ですから、神様は、このように主を礼拝し安息する日を与えてくださり、私たちの心も思いも、神様の御言葉に集中する機会を与えてくださったのです。これは、本当に感謝なことではないでしょうか?多くの場合私たちは、誘惑に会い、様々な悲しい出来事によって、疲れて、乾ききって礼拝に来ることがあります。すでに、疲れて、無気力な状態になってしまっているのです。もう、神様の御言葉に集中するエネルギーが残っていないことがあるのです。礼拝に出席する朝、そのように感じたことはないでしょうか?

時として、教会へ向かう車の中が、あることに最適な時間となってしまうことさえあります。それは、夫婦の口論の時間です。そういった経験はないでしょうか?安息というのもある種の経験ですが、どのように休むのかがわからないことがあるのです。世の思い煩いからどのように離れ、心を休めるのかがわからないのです。どのようにして、これらのことから心を引き離し、神様のみ前にはべり、聖霊に満たされるかがわからないのです。多くのクリスチャンにとって、それらが習慣となっていないことがあります。

ですから、今朝はそのことに心を向けていきたいのです。私たちの心を神様の言葉で満たしたいと思います。それが、聖めであります。聖化とは、キリストに似ることです。私たちをこの世的なことがらから引き離し、私たちの心と考えを、主のお心と考えのなかに没入させることです。その時私たちは、天の雰囲気を呼吸し、霊的な生命がよみがえるのです。

今朝、私たち一人ひとりの心に聖霊様が特別に働きかけてくださることを心から願います。皆さんがどのような期待をもって、この場に集われているかはわかりません。しかし、私ではなく、聖霊の神様が皆様の心を照らし、そして、皆様の考え、思想、そして、生活が創り変えられることを信じています。

まず、お祈りしましょう。

「天の父なる神様、私たちは、心から助け主なる聖霊様を感謝します。また、神様の大いなる救いの計画を感謝します。どうして、私たちは、その救いを拒むことができるでしょうか?私たちが心を開き、一心に全ての心をもって、主が言われることに従えるように助けてください。どうぞ、私たちを教えてください。そして、創り変えて下さい」。


エリコ陥落の現代的意味 最終回

2016年01月11日 | 日記

この「むさぼってはならない」と言うのは、目に見えるものではありません。心のものなのです。十戒の他のものは行為として見ることが出来るのです。ところがこのむさぼりの罪というのは、神様しか知らないのです。ですから本当に分らないのです。しかしこの罪、むさぼりの罪は、神様の教会に祝福をとざさせてしまうほど恐ろしいものなのですね。

このアカンの罪から、たった一人の罪によって、イスラエル全体は祝福を受けることができない、勝利する事ができないほどに神様の民を弱めてしまうのですね。アカンは、戦いの最初から、絶対してはならないと厳格に言われていたのですね。ところが彼は誘惑に負けてむさぼってしまいました。

皆さん、私はこのように信じているんです。私たちはやがて、神様の真のイスラエル、残りの教会として、バビロンの教会、その偽りの教えと戦わなければならない時が来るんです。その時に皆さんが、本当にこのエリコの経験を通って、神様の力によって勝利する人々、神様の側に立つ軍隊として献身していく人々であることを。このメッセージを聞かれたあなたが、その祝福された民に加わって下さる方であることを・・・。

  お祈りいたします。

天におられる父なる神様、私たちはどうすればヨシュアのように、主の前に準備された戦士となることが出来るか、どうか教えてください。また、アカンのようにむさぼりの隠れた罪がないか、どうぞ各人がその確信を持つことが出来るようにして下さい。主の聖なることを認め、靴を脱ぐ経験を与えて下さい。主の戦いをどう戦い、進めていくのか、また、主の契約に従順になることを教えて下さい。心から従順になり、あなたのみ心を行う者とならせて下さい。聖なる天のカナンに入るために、私たちの心を備えさせて下さい。イエス様、本当に早く来て下さい。私たちが、イエス様が期待されたそのような軍隊となることができるように主の民を準備して、また守って下さい。生きておられる尊いイエス様の御名によって心からお祈りいたします。アーメン