今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

雨引山 楽法寺<雨引観音>(茨城県桜川市本木)

2018年12月07日 | 神社・仏閣
楽法寺<雨引観音>
朝起きて、この数日、訪れる候補にあげていた寺院。3日目で実現した

「薬井門(黒門)」  楽法寺の表門で、麓に位置していたものを移築したもの



「磴道(とうどう)」  厄除けの石段といい、「南無観世音菩薩」と唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれている



水彩画を描いている人がいたので、同じ場所から撮ってみた



「仁王門(茨城県指定文化財)」  建長6年(1254) 宗尊親王の建立した門



扁額には山号の「雨引山」。豪壮華麗の彫刻は日光のそれと対比されるという



「手水舎」






「宿椎」  椎の木の巨木






「本堂<観音堂>(茨城県指定文化財)」  用明天皇2年(587年)法輪独守居士によって開かれた



天和2年(1682)第十七世文昭は十万人講を勧進して、現存の大本堂を建立した



扁額には「観音堂」



本堂外の彫刻は、無関堂円哲の刻んだもの















「多宝塔(茨城県指定文化財)」  730年 聖武天皇の后、光明皇后の造建が始まり



寺の歴史を読むと当初は三重塔を再建する予定だったものが、事情により多宝塔になったようである



多宝塔斜め前に立つ石仏



境内には雉やアヒルなどが放し飼いされている



近くで見たことがなかったので追い回したが大きく羽根を広げることはなかった



「鬼子母神堂」  建武2年(1335)、足利尊氏は京都に進攻するに当たり、当山にて開運を祈願した



足利尊氏を祠った堂であり、屋根には足利氏の定紋が輝いている



小さなお堂を覗いてみると小さな仏様がたくさん置かれていた









再び多宝塔へ



再び本堂へ



「地蔵堂」  建長6年(1254) 宗尊親王の御願によって建立された



絵画教室の生徒さんが、お堂の周辺で描いていたので、ローアングルから



お堂を廻ってみると、このような彫刻も



「鐘楼堂」  建長6年(1254)に建立、天和2年(1682)に再建。現在のものは、文政13年(1830)第24世元盛が再度建立したもの






絵画教室の(熟年)生徒に人気の仁王門



最近、石段を下りる際、痛みを感じるときがある。145段はきつい



撮影 平成30年10月10日
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