訪問日 令和元年6月3日
水天宮
全国にある水天宮の総本宮で、訪れてみたかった場所

狛犬


鳥居

「水天宮」と記された左横には「正二位大勲位伯爵 東郷平八郎謹書」とある

軍艦千歳慰霊碑
フィリピンレイテ湾海戦 にて沈没した航空母艦。筑後川(別名 千歳川)の名をとって命名され、艦内に水天宮を祀っていた

眞木神社


眞木和泉守保臣命をはじめ明治維新に際し国難に殉ぜられた一門及び門下生と、天王山にて共に自刃された方々を祀っている


山梔窩(くちなしのや)


久留米藩改革の際、眞木和泉守が久留米藩より水田村の弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ、付近の子弟の教育にあたり、尊皇・倒幕の 策源地ともなった

眞木和泉守の銅像
初代は大正4年建立も戦時中に供出


昭和43年に没後100年を記念して再建された

水天宮に向かって歩く。このような石柱門は珍しい

神橋を渡る



手水舎

狛犬


随神門

水天宮
安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局 伊勢は寿永4年(1185)、壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った


天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀る


水神社

秋葉神社

千代松神社
水天宮の創始者 按察使局伊勢命(あぜちのつぼねいせのみこと)が祀られている
按察使局伊勢命が後に剃髪して名を「千代」と改めたこと、逝去の後墓に松が植えられたことから、千代松神社と呼ばれている

御祭神の安徳天皇は壇ノ浦の戦で入水され、8歳の生涯をお果てになったと国史には記述されている
ところが水天宮にはここで崩御なさったのではなく、官女の按察使局伊勢に守られ、生きて筑後に潜幸したという伝承がある

筑後の豪族藤原種継は、平家の旧臣で潜幸中の天皇に仕えていた
その種継に玉江という17になる美人の娘が、天皇お付の浄厚尼の薦めにより、日夜、天皇に仕えする様になる
世を忍ぶ御座所は筑後河畔の千寿院という寺院で、その境内に清水の井桁に寄り添う美しい椿の花が咲いていた
天皇は玉江姫と契られ、安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、椿の花が御神紋となった(HPから掲載)

社務所


撮影 令和元年6月3日
水天宮
全国にある水天宮の総本宮で、訪れてみたかった場所

狛犬


鳥居

「水天宮」と記された左横には「正二位大勲位伯爵 東郷平八郎謹書」とある

軍艦千歳慰霊碑
フィリピンレイテ湾海戦 にて沈没した航空母艦。筑後川(別名 千歳川)の名をとって命名され、艦内に水天宮を祀っていた

眞木神社


眞木和泉守保臣命をはじめ明治維新に際し国難に殉ぜられた一門及び門下生と、天王山にて共に自刃された方々を祀っている


山梔窩(くちなしのや)


久留米藩改革の際、眞木和泉守が久留米藩より水田村の弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ、付近の子弟の教育にあたり、尊皇・倒幕の 策源地ともなった

眞木和泉守の銅像
初代は大正4年建立も戦時中に供出


昭和43年に没後100年を記念して再建された

水天宮に向かって歩く。このような石柱門は珍しい

神橋を渡る



手水舎

狛犬


随神門

水天宮
安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局 伊勢は寿永4年(1185)、壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った


天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀る


水神社

秋葉神社

千代松神社
水天宮の創始者 按察使局伊勢命(あぜちのつぼねいせのみこと)が祀られている
按察使局伊勢命が後に剃髪して名を「千代」と改めたこと、逝去の後墓に松が植えられたことから、千代松神社と呼ばれている

御祭神の安徳天皇は壇ノ浦の戦で入水され、8歳の生涯をお果てになったと国史には記述されている
ところが水天宮にはここで崩御なさったのではなく、官女の按察使局伊勢に守られ、生きて筑後に潜幸したという伝承がある

筑後の豪族藤原種継は、平家の旧臣で潜幸中の天皇に仕えていた
その種継に玉江という17になる美人の娘が、天皇お付の浄厚尼の薦めにより、日夜、天皇に仕えする様になる
世を忍ぶ御座所は筑後河畔の千寿院という寺院で、その境内に清水の井桁に寄り添う美しい椿の花が咲いていた
天皇は玉江姫と契られ、安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、椿の花が御神紋となった(HPから掲載)

社務所


撮影 令和元年6月3日