北海道神宮
北海道神宮周辺には毎週自家用車で3~4往復しているのだが、昨年11月末に初めて参拝した
東駐車場の奥に鳥居が見えてくる。訪れた2・3日前にまとまった雪が降っていた
第三鳥居
鳥居を進むと左と右に道が分かれる
人が多く歩いている痕跡のある左方向を無難に選択する
皇軍全勝祈祷之碑(日清戦争)
第二鳥居
正面から撮す。背後は北1条通りに面していて交通量も多い
表参道。遠くに神門が見える
表参道を左に折れると神宮の桜の木々があるが、冬ではその気配さえ感じることはできない
例年北海道の開花は5月のGW頃になる
ソメイヨシノ、ヤエザクラ、エゾヤマザクラの三種類が咲き乱れるようだが、私は見たことがない
表参道を進むと神門の姿がはっきり目に入ってくる
島義勇の像
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、「北海道」と名づけられた
同年の9月1日に、明治天皇の詔により、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神)が鎮斎された
開拓判官「島義勇」は三神の御霊代を背負って三神を鎮斎する社地を円山に定めた
銅像は往時の勇姿を再現したもの
手水舎
日本各地の神社に共通するところだが乱れがない
祓所
神門
この日は平日ではあったが、若い女性と外国人観光客が多かった
これまで各地の神社を参拝してきたが、この注連縄の形は初めてだ
私の大先輩が発行している「趣味悠々新聞」の記事を読むと、縄はねじれがなく、中央が太くなっていて、米俵が二俵載っている
重さは400Kg、太さは2.5mあるそうだ
「フラヌイ大注連縄」といい、フラヌイとはアイヌ語の富良野で、作っているのも、中富良野俵神輿同志会だそうだ
昭和34年、まだ札幌神社と呼ばれているときの90年祭大式典にあたり、神門に第1回の大注連縄を奉納
それ以来続いており4年に一度、新調されている
拝殿
参拝者が多く、人の入らないこの写真を撮るのに粘り強く待った
昭和39年10月5日、明治天皇が御増祀となり「北海道神宮」と改称された
西回廊周辺の風景。神社には巫女の姿を欠かすことができない
少し離れた場所から拝殿を臨む
神門を後にする
神門を背に表参道の風景
撮影 平成27年11月30日
北海道神宮周辺には毎週自家用車で3~4往復しているのだが、昨年11月末に初めて参拝した
東駐車場の奥に鳥居が見えてくる。訪れた2・3日前にまとまった雪が降っていた
第三鳥居
鳥居を進むと左と右に道が分かれる
人が多く歩いている痕跡のある左方向を無難に選択する
皇軍全勝祈祷之碑(日清戦争)
第二鳥居
正面から撮す。背後は北1条通りに面していて交通量も多い
表参道。遠くに神門が見える
表参道を左に折れると神宮の桜の木々があるが、冬ではその気配さえ感じることはできない
例年北海道の開花は5月のGW頃になる
ソメイヨシノ、ヤエザクラ、エゾヤマザクラの三種類が咲き乱れるようだが、私は見たことがない
表参道を進むと神門の姿がはっきり目に入ってくる
島義勇の像
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、「北海道」と名づけられた
同年の9月1日に、明治天皇の詔により、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神)が鎮斎された
開拓判官「島義勇」は三神の御霊代を背負って三神を鎮斎する社地を円山に定めた
銅像は往時の勇姿を再現したもの
手水舎
日本各地の神社に共通するところだが乱れがない
祓所
神門
この日は平日ではあったが、若い女性と外国人観光客が多かった
これまで各地の神社を参拝してきたが、この注連縄の形は初めてだ
私の大先輩が発行している「趣味悠々新聞」の記事を読むと、縄はねじれがなく、中央が太くなっていて、米俵が二俵載っている
重さは400Kg、太さは2.5mあるそうだ
「フラヌイ大注連縄」といい、フラヌイとはアイヌ語の富良野で、作っているのも、中富良野俵神輿同志会だそうだ
昭和34年、まだ札幌神社と呼ばれているときの90年祭大式典にあたり、神門に第1回の大注連縄を奉納
それ以来続いており4年に一度、新調されている
拝殿
参拝者が多く、人の入らないこの写真を撮るのに粘り強く待った
昭和39年10月5日、明治天皇が御増祀となり「北海道神宮」と改称された
西回廊周辺の風景。神社には巫女の姿を欠かすことができない
少し離れた場所から拝殿を臨む
神門を後にする
神門を背に表参道の風景
撮影 平成27年11月30日
ランキングが10位以下になっていたので、連日数回クリックしていました。今日はベスト10に入り喜んでいます。
北海道神宮は実家から10分程度(車)だと記憶しています。元旦は駐車場に入れないのでタクシーで行って参拝していました。北1条からの鳥居を通って参拝したことはありません。西野からでしたので宮の沢通りでしょうか。混雑してかなり遠くで下車させられます。どちらかというと裏から入ったという感じです。
最初に行ったのは結婚して直ぐの元旦に家族総出で行きました。「昇殿祈願」があると言うことを知りました。直ぐに終わるだろうと家族を待たせて家人と2人で昇殿祈願を受けました。混雑して待つこと…家族らは2時間くらい不平も言わず境内で待っていてくれました。その翌年からは気の毒でやめました。
子ども達が大きくなり帰省しなくなってからは「お札」を送って貰い我が家の神棚に納めていました。今は妹らに頼むのも恐縮してお札は入れていません。
11月30日の撮影。雪が随分あったのですね。初詣とお札を頂くのが目的でしたので余り方々は見ていませんでしたが、こうして写真で見ますと見落としたというか見ていないところが随分あり厳粛な気持ちになります。
「北海道神宮」と称したのは昭和39年ですか。それ以前は別な名称ではなかったかと思いますが、記憶が定かではありません。神宮の裏の丸山陸上競技場にはよく行きました。監督の先生も信仰心がなかったのか大会前に参拝することはありませんでした。
私は元旦に近くの氏神様を参拝しました。普段は目立たないのに31日から元旦までは長蛇の列です。今月中に明治神宮に参拝の予定です。
帰省せずに北海道神宮を参拝させて頂きましてありがとうございました。白い雪と緑の樹のコントラストが素晴らしいと感じました。
歴史を調べてみると「札幌神社」が北海道神宮に改称されたようです。神宮横の円山動物園、円山球場、陸上競技場には何度か訪れたことはありますが、北海道神宮参拝は今回が初めてになります。
若い女性の参拝者が多いのには驚きました。女性が手を合わせている姿は美しいですね。多くの女性はスマホで写真を撮ってはフェイスブックなどで発信しているようです。
昨年は老親の体調悪化により、車旅を控えました。今年は最低一度は何処かへ行きたいと思っています。
毎日ブログ村をクリックする度に「北海道神宮」も忘れずクリックして社殿に手を合わせています。
以前は両親から神宮のお札を送って貰い(帰省出来ない時)神棚に奉っていました。今は頼る人もいなくその習慣も失せました。
女性の参拝者が多いですか。私は明治神宮に行きますが他国の人(亜細亜系)が多いです。参拝の仕方が分からず両隣の人の参拝を真似て手を合わせています。どうして日本人じゃないと分かるのか…声が大きくて五月蠅いからです。もう少し恭しい気持ちでいてもらいたいと毎年思います。
未だ雪深い神宮でしょうか…同じ事を記してしまい失礼しました。
今月も無事に終わりそうです。明日から3月です。春は近いのでしょうか。札幌地方は猛吹雪とか。神宮の杜は大丈夫でしょうか。神のみぞ知る…ですか。
平穏無事であります事を願っています。
明日から3月、全道一斉で高校の卒業式が挙行されます。数年に一回の大荒れの地域もあるようですので、延期ということもあるかもしれません。
写真の在庫もなくなり、しばらくブログを中断しますが、今後ともよろしくお願いいたします。