今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

恵日山 観音寺 大宝院(三重県津市大門32番)

2020年10月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月15日

恵日山 観音寺 大宝院(津観音)
現在の建物は昭和・平成のものだが、その歴史は古い
創建は奈良時代の初め、和銅2年(709年)に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、これを本尊として開山したのが始まり
本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされる

「仁王門」
度重なる災害に遭った寺院だが決定的だったのは、昭和20年(1945年)7月28日の夜
アメリカ軍が投下した焼夷弾によって、市街建造物の大半と共に観音寺の堂宇も一夜にして灰となった
観音寺の山内寺院7か寺、旧国宝の観音寺本堂と大宝院本堂を含む41棟が全焼し消失、総坪数900坪に及んだ



昭和55年(1980年)本格的な再建事業が始まり仁王門が完成した



「仁王像」






「撫で石」



「横峰寺」は西日本最高峰「石鎚山」の中腹に位置し、お寺までの道のりは「遍路ころがし」と呼ばれる、伊予の國最大の難所



境内全景



「手水屋形」 昭和61年(1986年)完成



「鐘楼堂」 昭和59年(1984年)






「梵鐘」






「観音堂」



永禄8年(1565年)織田・北畠両家の合戦の際、兵火に巻き込まれ焼失、信長の弟信包が、天正8年(1580年)一山を再興した
鈴鹿市国府の阿弥陀如来、両脇侍を本尊とした。これを「国府の阿弥陀」と称し、伊勢神宮天照大神の本地仏(神仏習合)として広く庶民に開帳
お蔭参りの際には道中観音寺に立ち寄って参拝することが習いとなり「津に参らねば片参り」と言われる由縁となった









堂内に入る



「外陣」



「天井画」






「小津安二郎記念碑」
小津は三重県飯南郡(現在の松阪市飯高町)にある宮前尋常高等小学校に代用教員として赴任した
小津の教員生活はわずか1年で終わったが、山村の児童たちに強烈な印象を残した



印象に残った「木造抜苦・与楽像」






「護摩堂」



「五重塔」 



平成13年(2001年)三重県下初の木造五重塔が完成









撮影 令和2年9月15日

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