今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

風浪宮(福岡県大川市酒見)

2020年01月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月4日

風浪宮(ふうろうぐう)
家具で有名な大川市にある神社

鳥居
街中にある神社で駐車場は大川公園に隣接している



鳥居の額には「風浪神社」












手水舎






「祓所」だと思うが……



参道の正面に「神門」



祇園社
参道の右側にある



御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)






神橋・神門










拝殿
御鎮座1800年(平成13年秋)を数える由緒と「おふろうさん」の名で、広く親しまれている



神功皇后が三韓征伐の帰途(1912年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に立ち寄った時、皇后の船のあたりに白鷺が現われ、艮(東北)の方角に飛び去った



皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませた
時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命(ワダツミノミコト)を祀った



阿曇磯良丸像
現宮司は、直系の67代目を数える



拝殿内部










本殿(重要文化財)
現在の本殿は戦国時代の筑後国柳川城主の蒲池鑑盛の再建によるもの。残念ながら、保存修理中



主祭神として小童命(ワダツミノミコト)三座(表津少童命、中津少童命、底津少童命)を祀る



松風稲荷神社






月読社






五重塔(重要文化財)






正平10年(1355年)の銘記により俗に「正平塔」と呼ばれ、二重基壇の上に五層の軸部と屋根とを重ねた塔身と頂上に相輪をもつ石塔



塔の軸部各面には仏様が彫られている






かつては野ざらしになっていたらしい。現在は保存のために覆われている



この石版が何か分からず受付の女性に聞くと、その方も詳細が分からないのでと資料をコピーしてくれた






石灯籠
柵に囲まれ保護されていたので由緒あるものなのだろう



拝殿前が俄に賑やかになってきた。尋ねると、修復工事の本殿内から運んできたものだという



主祭神 小童命三座(表津少童命、中津少童命、底津少童命)が祀られている祠ということになる。



地元の歴史研究をしているという男性も初めて見たそうだ。「旅行者のあなたは運がいい」とも言われた



間もなく、別の場所に移動された



白鷲の楠(福岡県指定天然記念物)
少童命の化身である白鷺が止まったとされる大楠で樹齢約2000年



歴史研究家が「大楠」がゴジラ見えると話していた……
幹回り8m余、四方に張った枝の長さは20~30m。幹には大人2・3人は入れる程の空洞がある






塀に沿って奉納された屋久杉の彫刻が置かれている









「筑後国三社詣で」なるものがあることを知る。偶然だがすべてお詣りすることができた



現職の時、仕事で大川市に数時間滞在したことがあり、その時のことを思い出しながら駐車場に戻る



駐車場に私の車が見える



撮影 令和元年6月4日
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高良大社(福岡県久留米市御井町)

2020年01月06日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月3日

高良大社(こうらたいしゃ)
高良山にある神社で山道のドライブを楽しむ事になる
筑後国一宮と重文の社殿があるということで訪れた



三の鳥居
私が車を駐めた場所から一番近い鳥居となる
途中、車内から大きな鳥居を見かけたが、石造大鳥居(一の鳥居)は重要文化財に指定されている



いつものように読むと言うより撮る



鳥居の額には「高良玉垂宮(こうらたまたれのみや)」 古くはこう呼ばれていた



さて、果てしなく続く石段を上ろうかと思っていたら、左側に何かが見える



急な坂や石段がある有名寺社でよく見かけるものだ



小さな箱型の「スロープカー」 もう若くはなく、この車に乗るのに相応しい年齢と容貌になっている
この日は4カ所の寺社巡りを行い、ここが最後の場所。楽をさせてもらった(快適)



徒歩で登り振り返ると、このような風景が見える



階段を上がった正面はこのように社殿が広がっている



八葉石碑残欠



よく理解できなかったが大切なものらしい



手水舎






茅の輪(ちのわ)くぐり
主に6月に行われる、無病息災を願う行事



一般的に茅の輪は、「∞」の文字(「左回り→右回り→左回り→お参り」)を書くようにくぐる
周囲に参拝者がいなかったので試してみた



初めて参拝する神社で配置図が参考になる



拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)






御祭神 正殿:高良玉垂命、左殿:八幡大神、右殿:住吉大神



社殿は国の重要文化財に指定されており、神社建築としては九州最大級の大きさ



塀の外に出なければ全体像が分からない



ここが「本殿(重文)」となる



社務所



神輿庫






印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)
「武内宿禰」を祀る



宝物館
閉館していたが、受付所で申し込めば入館できるようだ



神様はお酒が好き。祭祀の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する直会
最近ではあまり聞かなくなったが、若い頃、行事が終わるごとに直会と称してよく飲んだものだ



展望台からの眺望。久留米市には現職の時、ほんの数時間、仕事で訪れたことが一度ある






撮影 令和元年6月3日
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水天宮(福岡県久留米市瀬下町)

2020年01月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月3日

水天宮
全国にある水天宮の総本宮で、訪れてみたかった場所



狛犬






鳥居



「水天宮」と記された左横には「正二位大勲位伯爵 東郷平八郎謹書」とある



軍艦千歳慰霊碑
フィリピンレイテ湾海戦 にて沈没した航空母艦。筑後川(別名 千歳川)の名をとって命名され、艦内に水天宮を祀っていた



眞木神社






眞木和泉守保臣命をはじめ明治維新に際し国難に殉ぜられた一門及び門下生と、天王山にて共に自刃された方々を祀っている






山梔窩(くちなしのや)






久留米藩改革の際、眞木和泉守が久留米藩より水田村の弟大鳥居信臣のもとに謹慎を命ぜられ、付近の子弟の教育にあたり、尊皇・倒幕の 策源地ともなった



眞木和泉守の銅像
初代は大正4年建立も戦時中に供出






昭和43年に没後100年を記念して再建された



水天宮に向かって歩く。このような石柱門は珍しい



神橋を渡る









手水舎



狛犬







随神門



水天宮
安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局 伊勢は寿永4年(1185)、壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った






天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀る






水神社



秋葉神社



千代松神社
水天宮の創始者 按察使局伊勢命(あぜちのつぼねいせのみこと)が祀られている
按察使局伊勢命が後に剃髪して名を「千代」と改めたこと、逝去の後墓に松が植えられたことから、千代松神社と呼ばれている



御祭神の安徳天皇は壇ノ浦の戦で入水され、8歳の生涯をお果てになったと国史には記述されている
ところが水天宮にはここで崩御なさったのではなく、官女の按察使局伊勢に守られ、生きて筑後に潜幸したという伝承がある



筑後の豪族藤原種継は、平家の旧臣で潜幸中の天皇に仕えていた
その種継に玉江という17になる美人の娘が、天皇お付の浄厚尼の薦めにより、日夜、天皇に仕えする様になる
世を忍ぶ御座所は筑後河畔の千寿院という寺院で、その境内に清水の井桁に寄り添う美しい椿の花が咲いていた
天皇は玉江姫と契られ、安徳天皇と玉江姫の恋物語の由縁から、椿の花が御神紋となった(HPから掲載)



社務所






撮影 令和元年6月3日
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大本山 善導寺(福岡県久留米市善導寺町飯田)

2020年01月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月3日

大本山 善導寺
浄土宗鎮西派の大本山の善導寺である



駐車場を探すのに苦労したが、この案内図を見て駐めることができた



薬師堂
街中にある寺院だけに周囲には民家や商店がある



数分後には記憶から抜けてしまうのだが、案内板にて歴史や建造物等の知識を頭に入れる



大門(重要文化財)






切妻造四脚門。慶安4年(1651年)の建立



扁額の「終南山」は終南大師(善導大師)に因んだもの
善導大師は、中国の唐時代の僧で浄土教の開祖と言われ、法然上人はこの善導大師の教えを根本として伝えている



門前町から大門を経て、三門へ続く参道は約200mある



最盛期には36もの子院があったという
「生蓮院」






「焔魔堂(不断院)」



「歓喜院」






「不断院」



鎮西上人荼毘所跡碑
鎮西上人を火葬した場所






三門
本堂脇陣に安置の二十五菩薩来迎像はもともとこの三門の楼上に安置されていた
安政6(1859)年、入母屋造り






「鎮西学園発祥の地碑」
この場所に立ち、初めて鎮西学園との関係を知った。調べてみると中学や高校だけではなく、大学もあるようだ



「鎮西聖光上人の像」



「筑紫流箏曲発祥の地」







鐘堂



梵鐘(福岡県重要文化財)
毎日、朝夕の6時に、12月31日の除夜の鐘で撞かれる



「六地蔵」






観音堂
この付近で地元の女性に「少し、早いですよね」声をかけられた。
花を撮っていると思われたらしい。建物や仏像に興味があり撮っているというと不思議な顔をされた。






釈迦堂
比叡山延暦寺根本中堂の建築様式を調査して建てられた



釈迦如来像









大楠(福岡県天然記念物)
伝鎮西聖光上人植樹。樹齢800年






菩提樹(福岡県天然記念物)



「少し、早い」と言われたのがこの菩提樹の花のようだ



「菩提樹」の下で釈迦が悟りを開いたこともあり、仏教寺院によく植えられている。奥に見えるのが本堂



「徳川家康の墓」 元和2年東照宮と称し御廟を建てたが地震で壊滅、墓石のみが残る



「善導寺歴代上人の墓碑」



御廟
廟堂は方三間、一重、宝形造、桟瓦葺。安政元年(1854)の建築



廟塔は五輪の塔石造で、空風火水地を表わしている



手水舎



本堂(重要文化財)
度々兵火の難に遭って焼失。現在の本堂は天明6年(1786年)の建築
間口17.5間、奥行17間、963㎡、入母屋造、本瓦葺



屋根の上には大きな葵紋5個が並んでいる。石高500石であった標
堂内拝観をするため、受付所に行くも不在だったようである



三祖堂
鎮西上人の発願による安産祈願所として有名だという
堂内の三祖像を観たかった、安産の文字が気になり扉を開ける勇気がなかった



高祖 善導大師像(重文)、元祖 法然上人像、二祖 聖光上人像(重文)が祀られている



調べているうちに見逃している重要な場所もあったこともわかり再訪したいと考えている



撮影 令和元年6月3日
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