ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》

2021-09-28 10:15:08 | 日記
         《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》



 今朝の最低気温は午前3時の20.5℃。  最高気温は午後2時の27.0℃。
今日は薄曇りの一日。 時折り雲を透して弱い日差しが届きます。 気温的には過ごしやすい日です。


 昨日はたまたま朝5時にオシッコに起きたので、大リーグ “オオタニさ~ん” を見ました。
103年ぶりとなる “二桁勝利、二桁ホームラン” を懸けて、この日は投手に挑戦の大谷翔平です。
前日は14点も取ったエンジェルスですが、大谷が投げたこの試合は3安打1得点 
結局…『7回10奪三振5安打1失点と好投したものの、打線の援護なく10勝目はお預けとなった』
もう少し大谷を援護してやれぇや 


 昨日は朝一でブロック注射を打ちに行きました。
10日間打ってないので身体はもうカキンコキンです。 
打った後、1~2時間もするとス~っと楽になっていきました。
しばらく家で休んだ後、冷蔵庫が空っぽという事で、スーパーへ食材の調達に。
スイカやメロンや桃が姿を消し、梨や柿やイチジク、葡萄、蜜柑… 秋の果物が出回り始めました。
ひげの朝の主食は “ヨーグルトのフルーツ盛り” です。 
定番のバナナや林檎やキウイに加えて、これらでてんこ盛り… この時期が一番豪華になります 
これに  イチゴが出て来れば完璧だ 


と、まぁここまでは爽やかそうな話?ですが… ここからは非常にお下劣、下品な話です 
やばいよ、やばいよ… 下(しも)の話が苦手な人は読まない方がいいですよ 
今回の入院中の話ですが… 手術に当り、前日の食事は抜きで、手術後2日間は絶食です。
ひげの場合は熱が出た(炎症)ので3日間(計4日間)の絶食になりました 
それでも点滴をしているので、そんなに空腹感は有りません。
それより水が飲めないのが辛いですね。 

 で、話は変わりますが、ひげは元々便秘気味という事で “新ビオフェルミンS錠” や
クリニックで処方して貰った “酸化マグネシウム錠” を飲んでいます 
当然のように “絶食中は入る物が無いんだから出る物も無い” ので(多分そうでしょう)、
便秘の薬は飲んでいませんでした。 お粥の食事が始まってから薬を飲み始めました 

そしてその翌朝、お便りの兆しを感じ、トイレに屈みましたが… 硬い! 
10分…20分…30分… ただただ硬い! 出ん 
トイレの外から(待っている人が)独り言 「まだかいな」 が聞こえます 
 力みに力んで額は玉の汗、シャツもグッショリです  
45分、やっとお便りが届き、トイレから出た姿はサウナから出てきたように汗ビッショリでした 
以上 “入院中にこんな事も有りました” という話です  
どうかひげを嫌いにならないで下さい (笑。
便秘の薬は絶食中もずっと飲み続けていなければいけなかったのかなぁ  


今日は 《和泉・岸和田だんじり彫り物・物語-2》 です。
 まずは 「大江山頼光の木渡り」… 大江山は京都府丹後半島に有る標高832mの山です。
平安中期、京の娘が次々と姿を消します。
これは大江山に住む鬼の仕業だと言う事で、天皇は、豪傑の源頼光に退治の勅命を下します。
しかし大江山には深い谷が有り、一行は立ち往生します。

そこで同行していた力自慢の一人が、傍の松の大木を根っこから引っこ抜き橋を掛け、
源頼光一行は鬼退治に行く事が出来たという…。

 その力自慢の男こそ “坂田金時” だったそうです。

♪まさかりかついで きんたろうくまにまたがり おうまのけいこ ハイシドウドウ ハイ ドウドウ…
“坂田金時”… 幼名を “金太郎” と言い、あの童謡に歌われている “金太郎” です。

  大江山の羅生門に鬼退治に行った渡辺綱ら4人。 そこへ道に迷った若い娘が現れます。



渡辺綱が送ろうと娘を馬に乗せた途端に娘は正体を現し、鬼に変身し綱に襲い掛かります。


しかし綱もさる者、鬼の腕を振りほどきその腕を切り落としてしまいます。

 「茨木童子、腕を取り返す」 鬼(茨木童子)の腕を切り落した渡辺綱でしたが、
鬼の復讐を恐れ、門を閉じて舘に籠り、綱は仁王経の読経を続けていました。
そこへ叔母が訪ねて来るが綱は鬼に怯えて会おうとしません。
叔母は 「何という薄情なことを言うのか。 お前は幼い時、夏の暑い日は扇の風で凌がせ、
厳冬の寒い夜は衾を重ねて暖めた。 あれ程 可愛がって育ててやったのに」 と情を説きます。
ついに綱は情にほだされ叔母を屋敷に招き入れます。

しかし、その叔母は鬼(茨木童子)の化けた姿だったのです。
本性を現した叔母はまんまと切り落とされた腕を奪い返した。 …と云う伝説です。
あの御婆が抱えているのは、奪い返した自分の腕です。

 次は皆さんご存じの “忠臣蔵” から 「刀傷松の廊下」 です。

元禄年間(江戸時代)に、江戸城は松の廊下で吉良上野介に斬りつけたとして、
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹に処せられた事件。
さらには、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良邸に討ち入りし、仇を討つ物語ですね。


彫り物は赤穂藩藩主浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りかかる場面です。
閑話休題… “刃傷” と書いて “にんじょう” と読むのですね。

 続いては 「箱根詫び證文」 です。 
赤穂浪士四十七士のひとり神崎与五郎が江戸へ急ぐ途中、馬子の丑五郎と馬に乗れ、
乗らない、で口論になり、丑五郎は馬に乗らないなら詫び證文を書けと迫ります。
神崎与五郎は “大事(討ち入り)の前の小事” と我慢して、詫び証文を書きました。

その後、赤穂浪士の討ち入りが有り、そのなかに神崎がいたことを知った丑五郎は
己を恥じて出家の上、神崎を弔ったそうです。

  最後は “赤穂浪士討ち入り” の時に亡くなった清水一学(しみずいちがく)です。
二刀流の名手として、吉良側で最も奮戦した剣客として描かれているそうです。

ひげたちが子供の頃のチャンバラごっこには、必ず “清水一学” が出て来たもんですが、
今の子供らは知らないだろうなぁ(笑。
“赤穂浪士討ち入り” の場面もどこかのだんじりに彫られている筈ですが、まだ出会っていません。
コメント (2)
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