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地域医療崩壊の序曲

2006-10-08 11:04:07 | Weblog
平成18年10月7日のNHKの総合テレビで、22時~23時30分まで、「なぜ医師は立ち去るのか?」”地域医療・崩壊の序曲”と題して、放映されていた。5月20日にも、「地域医療の挫折」と題した内容があり、その時にもしっかりと見たが、その内容とダブルもの、その内容のその後の状況なども含まれていた。
 「なぜ医師は立ち去るのか?」、簡単に答を言えば、行政が医師の立場を理解できていないから、と言う事だろうか。北海道瀬棚町で勤務医だった村上智彦医師、兵庫県養父市で勤務医だった馬庭芳朗医師、その二人は、市町村合併で、行政と折り合いが付かなくなって、辞めている。

 夕張総合病院副院長の松山友彦医師が、「ここでは、この病院は、困った人が最後に集まれる所としての存在感があり、医療以外の面でも、利用されている」と言った内容の発言をしていた。
 自分がタイに行って理解できたことだが、タイでの多くの寺院では、教育がなされ、物の売り買いがなされ、又、多くの人の癒しの場にもなり、正に、地域の生活の中心的な存在になっていた。田舎に行くと、病院がそんな感じにもなっていること、多いと思う。田舎にある公の病院では、未収の人が多い感じがしている。田舎では、事情を知っているので、未収でも、その徴収がし難い。

 採算が合わない病院の場合、いろんな問題がアンケートで出ていた。・医者確保が出来ないことが問題。・トップがリーダー性を発揮できていない。・事務が定着していない。・職員が、患者さんの立場に立って、真剣に考えていないなど。

 そんないろんな内容の中で、市立舞鶴市民病院のことがあげられていた。周辺に医療機関が多く、採算が合いにくくなり、多少赤字の病院であった。しかし、この病院、研修医にとっては、非常に人気があり、研修に熱心な副院長の松村理司医師の元に、14名もの研修医が集まっていた。外国からの指導者も招いたりして、全国的にも、研修医に人気のある病院であった。
 舞鶴市の○守○起市長は、大隈喜代志院長と松村理司副院長の内容が理解できなかった。副院長が辞めると同時に、沢山いた研修医も辞めてしまった。そして、誰も常勤医がいなくなって状態となり、今年10月に、4人の常勤医から、又、再出発しようとしている。

 どこに就職するか、迷っている医師は、今の時代、以前よりも多くなっていると思う。いい条件であることが理解できれば、又、院長や事務長が直にその医師と話して、お願いすれば、今以上にマッチングするケースは、多くなると思う。
 その場合、若い人であれば、先々のことを考えて、お金よりも、いい臨床経験が出来ることが必須だと思うし、いい指導者が不可欠だと思う。
 自分の様に、55歳過ぎて、もう体力がなくなっている医師であれば、お金よりも、体力に見合うだけの仕事量と生き甲斐を最優先していると思う。

 私が、今の職場に就職する時、条件はただ一つ、「自分の納得する医療をさせてもらえるかどうか」であり、お金の交渉は、しなかった。就職する前に、看護部長さんとも会い、小児科の看護師さんとも会い、自分なりに経験してきたことからの自分なりの小児救急を中心とする仕方を病院がすんなりと受け入れてくれるかどうかだった。

 平日は、20時まで、近くの調剤薬局に開けてもらえた。小児科の薬で、使いたいのは、全て、入れてもらえた。院長から、「漢方の使い方も、先生使いたい様に」と言われた(この病院では、院長も、しばしば、外来で、漢方薬を使用されていたし、産婦人科の先生も、漢方薬を使うことに熱心で、それに、中国の中医学の先生も、月に2回、来られていた)。そして、一番嬉しかった返事は、看護部長から、「点滴は、ナースに任せて下さい」と言われたことであった(前病院では、激務の為、流行性角結膜炎となり、3年経過後も完治してなく、今でも、左目の角膜に傷があり、見えにくくなっているが・・・)。

 1年間、娘の結婚式の時以外は、毎日、小児の救急をした。そして、今は、患者さんはもちろん、も一人の小児科の先生からも、漢方薬を使ってもらえるし、自分の医療を充分に理解してもらっている。それに、何よりも嬉しいことは、頭が柔軟な(スーパーローテートの一環として)小児科を研修をしている医師が、中医学の素晴らしさに気が付いてくれて、今、一生懸命に、その勉強をしてくれていることである。
 
 全て、

 

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