日本の心・さいき

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どこまでおかしのか、日本の教育!

2006-10-27 07:35:30 | Weblog
 高校での履修必須科目(世界史が大半)がしていないくて、2万人以上の高校生が卒業できない?!
 どこまでおかしいのか、って言いたい。
 大学入試自体が、競争で、どんなに頑張っても、入れる器は、決まっているので、誰かが落ちることになる。そんな中で、土台、いい教育なんてありっこない。
 年金未納問題と一緒で、ある高校が、履修してないと発覚すると、あちこち、全国で、出てくる。これが、今の教育現場の実態なのである。厳密に追求していけば、どの高校も、受験生の為と言う名目で、履修必須科目以外の問題でも、多くの矛盾を抱えた問題が出てくると思う。
 そんなこと、ずっとずっと昔からあること。もう、日本国民も、いっかげん、目を覚ました方がいい。
 いい進学率を上げる為に、美術や音楽など、全くしてない私立の高校、現実にある?!

  昭和61年(今から20年前の記事)2月18日の大分合同新聞の記事内容には、
・・・
 「補習」の言葉は、32,33年頃から目立っている。34年は、冬休みの補習として、大分上野丘3年生の進学組では、大晦日と正月三が日を除いて、 計8時間、毎日、6時間が、組まれていた。同11月には、「入学試験や就職試験に追われる中学生や高校生が、生徒会役員を敬遠している」と言う話題も。こうし受験体制の疲労によるのか、同年の県調査で、高校生の結核患者が中学生の倍以上という実態も報告されている。
・・・・
 県教育百年史第二巻通史編によると、昭和40年当時の主な普通科高校10校の授業時間数の平均は、正課、補習合わせて1年生で週42.4時間、2年生で44.6時間、3年生で45.6時間。春、夏、冬の休み中でも全学年にわたって補習が実施され、特に夏休みは、20~25日間というすさまじさ。 40年7月には、大分舞鶴3年生の国立大コースで夏休みのうち27日間が補習、「生徒も先生もクタクタ。夏休みという名の新学期」という記事もあった。 (原文のまま)  


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