日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

続・熊本めぐり

2007-05-16 22:06:58 | Weblog
 平成19年5月16日、ホテルを出て、まず、「徳富記念館」に行った。
 館長さんが、丁寧に解説してくれた。5歳違いの徳富蘇峰と徳富蘆花が、兄弟で、とっても仲が悪かったことを知った(私の知識は、いいかげんなもので、それまでは、親子と思っていた)。最後の15年間もの長い間、二人は絶交状態にあって、蘆花が60歳で亡くなる時に、やっと和解している。兄の蘇峰は、95歳まで長生きしている(とてもハンサム)。
 どうして仲が悪かったかであるが、館長さんによれが、蘇峰は、いつも、蘆花に対して、常に年下で見る感じで、指導的立場で接していたからとのこと。蘆花の言うことなすことにいちいち口を出し、いつまでも兄貴面をして、自分を対等の人間として認めていないと弟の蘆花は感じていたらしく、それが非常に苦痛であったらしい。
 蘆花は、敬虔なるクリスチャンで、極めて真面目な人間で、几帳面で、自分を律し、曲がったことが大嫌いな人間だったらしい。そんな蘆花にとって、蘇峰は、したいことをし、少し世間ずれを起こした人間に思えて、蘆花にとっては、そんな兄が、どうしても我慢出来なかったらしい。
 蘆花は、憧れのトルストイに会いに行って実際に逢い、トルストイの平和主義に強く影響を受ける。蘆花は、一人での農作業がとても好きで、絵を描くのも上手であった。
 不如帰(ほととぎす)の作品は、当時、50万部も売れて、その中の主人公を浪子とし、女性に文学の上で初めて「子」を付けたことで、それ以後、皇族にしか付けなかった子を、多くの女性の名前に子が付けられる様になったとのこと。
 それから、少し、雨が降って来たが、タクシ一で「熊本国際民芸館」に行った。グァテマラ展があっていた。そこで、39歳で日本を出て、スペインに20年間も住んでいる男性に会った。彼の話は、実に面白かった。
 「田舎は、世界中、どこでも同じですよ。皆さん、世界中、とこに行っても優しいです。顔の色と言葉が違うだけです。スペインでは、バルセロナとマドリードが危ないです。バルセロナの日本大使館だけで、この半年で、300件ものパスポート略奪があっていますから。日本人のパスポートが、一番高く売れますから。ツアーで行っても、やられています。別にスペインだけでなく、ヨーロッパあちこちでそんな感じになっています。今、ヨーロッパは、すごいインフレです。取る人は、そこの人でなく、南米やアフリカやジプシーが多い様です。彼等は、仕事がちゃんとないですから。・・・今すんでいる所、スペインの南にある田舎町ですが、最高にいい所です。日本も、私は、大好きです。・・・」などと言われた。
 向こうの人と結婚し、時々、日本に変える様で、画家で生計を立てているとのこと。
 それから、「熊本市動植物園」に行った。昔から、何故か、私は動物が好きだ。いろんな動物がいたが、私は、象を見て、涙が自然に出てきた。こんなこと、生まれて初めてだった。歳のせいかなあ。
 16時から、象を調教している所が見れるとのことで、雨が降る中、その時間に合わせて見に行った。調教する人が5人ほどいて、2頭の像を、それぞれ一人ずつが中に入って、調教していた。合図で大きな象が横になり、それから合図で立ち上がり、前足後足を上げたりして、芸をしていた。その後、りんごやにんじんやパンや草を沢山もらって、中の人間は、いなくなって、外には、ガラス越しに見る自分だけとなった。
 象が食べているのに、鳩が10匹近く来て、パンを鳩同士でつつき合いながら競争して食べている。鳩は、象の足元で、うろうろし、鼻先でもうろうろしている。しかし、そんな鳩を象は鼻であしらうことは、全くしなく、もちろん、踏まない様に細心の注意を払っている。それが見ていて、よく理解できた。それを見て、自然に涙が出て来た。
 人の世界も、象の生き方をお手本にして、冨を独り占めせずに、ましてや、奪う会うことなどせずに、分け与えればいいのに。
 ヒトを除けば、動物の世界では、一番強いと百獣の王であるライオンでさえ認めている象、そんな気は優しくて力持ちである象みたいな国も人間も、少ないなあ。 

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熊本めぐり

2007-05-16 08:44:09 | Weblog
 グルグルと熊本城の周りを歩いたって感じの1日であった。 まず、「小泉八雲熊本旧居」に行った。そこで、八雲と漱石の講義の仕方が全く対照的だったことを初めて知った。二人とも、第五高等学校と東京帝国大学で英語を教え、八雲の後を漱石が教えている。
 八雲は、時間にパンクチュアルな人間で、チャイムが鳴ると直ぐに始め、終わりのチャイムが鳴ると、直ぐに止めていた。教科書は一切使わず、いろんな本も持って行くことなく、出欠を取ると、黒板の左上から右下まで、空で休みなくどんどん、それもびっちりと書いて行った。書くスピードも、生徒がちゃんと書ける様に考えて書いていた。英語の文法についての板書されたもののノートの写しを後で見ると、無駄がなく、ほぼ完璧に近い感じのものであった。しかも、八雲が講義中に話すその一言一言までが、文学的な表現だったらしい。しかも、毎年、その教える内容を変えていたとのこと。学生の受けは、極めて良かったが、その準備の為に、八雲は、かなりの時間をさいていたと思われる。
 一方、八雲の後に教えることになった漱石の講義は、極めて雑な感じに学生には思えたらしく、八雲と全く対照的で、生徒の反応を確かめることなく、超スポードでどんどん進み、あっと言う間に1冊の本の解読が終わり、付いて行くのが大変だったらしい。で、当初、案の定クレームが付いていたが、何冊もの英語の本がそんな感じで読破される内に、漱石だからこそそれができたと言う評価に変わったらしい。
 そんな話を、そこの館長さんと延々と1時間以上話していた。
 八雲は、左の眼は、友達のボールが当たって失明していて(そのことに関しては、本人は、自分の口から語ることは全くなかったとのこと)、右の眼も、あまりよく見えなかったらしい(それで、彼の顔写真は、いつも、右から撮られている)。しかし、自分の小さい時は、家族に恵まれなかったのに、家族をとても大切にし、元ジャーナリストの経歴を生かして、多くの作品を残している。
 次に、「大名屋敷・旧細川刑部邸」に行った。凄い広さだった。掃除が大変だろうなどと思った。
 それから、熊本博物館に行ったが、プラネタリウムが15時と知って、又、テクテクと暑い中を歩いて引き返し、「熊本県立美術館」に行って、偶然に、横山大観の作品を見ることが出来た。又、前、少し、佐伯で教わっていた水墨画がしたくなった。その隣の建物で、子どもの版画展も同時に開催されていた。作品が沢山並べられていて、金賞や銀賞や銅賞など、賞が付けられていたが、その賞を付けるのも、大変な労力だったろうなあと思って、受付の人に言ったら、飾るのも大変だったらしい。
 その後、「熊本城」に行き(今回で2回目)、きび団子でお腹を満たした後に、天守閣まで一気に上がって写真を撮った。きび団子を食べた所の店員さんに聞くと、韓国の人がどんどん多くなっていて、中国の人の倍ほどあり、日本人は、少ないと言われる。で、簡単な韓国語の単語を覚えているのだが、韓国語で何も書かれていないので、書いた方がいいですよと余計なアドバイスをしてしまった。
 その後、再び、又暑い中をテクテクと歩いて、「熊本博物館」に行って、自分の好きなプラネタリウムを見た。係りの人に、終わってから、おとめ座のと「スピカ」としし座の「デネボラ」と「レグルス」は、何語ですか?と個人的に質問したが、その場で本を見て調べていたが、よく答えてもらえなかった。質問が悪かったかな・・・(アラビア語じゃないかなと思って質問したのだが、・・・)
 その後、もう、疲れてしまって足が痛くなり、歩く元気がなくなって、タクシーでホテルまで帰った。
 ちょっと休んで、風呂に入って、夕食を摂って、やきいもを買って、部屋で食べて、直ぐに寝てしまった。
 ホテルは、5000円ちょっとであったが、前日のホテルよりもずっと広く、いいホテルであるが、昨日のホテルの方が、朝食が豪華だったなあ。

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為になるかも知れない本(その88)

2007-05-16 08:42:29 | Weblog
○専門4年、11月18日(火)雨。
 佐藤と言う大分県出身が、ホルモン作用部位について講演をした。とても詳しく勉強されている人だなあと思った。理学部出身者の方が、基礎医学的な研究に関しては、医学部出身者よりも、プロって感じだ。又、県医師会館で、石橋薬剤部長さんの病態生理からみた薬理学の話があった。先生は、自分なりに体系を組み立てられている。そして、何よりもあのカラフルな絵が素晴らしいなあ。
○専門4年、11月19日(木)晴。
 春の国家試験の選択科目は、精神科と整形外科となっていた。今回の秋の国家試験は、鹿大は、24名中16名合格していた。国立大学では、5番目の成績で、しかも、落ちた人も50点未満は、わずか1人となっていた。しかし、合格した人も、7割を切っている人が16名中15名となっていた。皆、すれすれに合格しているなあ。秋の方が難しいのだけは確かだ(気まぐれ厚生省は、秋は60%で線を引き、春は55%で腺を引くらしいが・・・?!)
○専門4年、11月20日(木)晴。
 今日で、人体発生学を終えよう。もし、まだ時間があれば、残りの病理か水と電解質をしよう。病態生理の強い医者になりたい。
○専門4年、11月26日(水)曇。
 教授の回診があった。(整形外科の)ポリクリで、しっちゃかめっちゃかに言われた(どのグループも同じだが)。整形外科外来は、患者さんが多い。産婦人科と整形外科が頑張ると、病院は経済的に潤うみたいだ。小児科が一番お金が入らないらしい(未熟児や小児外科は、更に)。でも、いいのだ。自分にとっては、一番やり甲斐のある科と思っているから。
○専門4年、11月30日(日)曇。
 11月も今日で終わりか。風邪を引いて(多分アレルギ一性鼻炎)、抗ヒスタミン剤を飲んだせいか、少し良くなった感じ。恵ちゃんが買ってくれた足温器がいい。ポリクリも、次の二外科で、とうとう最後になってしまった。学生生活も、これで本当に終わりになる。6年間の小学校+3年間の中学校+3年間の高等学校+2年間の予備校+6年間の大学で、20年間。長き年月の最後だなあ。

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