日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

医者の奥さん

2007-05-19 19:34:57 | Weblog
  時代とともに結婚相手に望む条件は変わっても、年収もステータスも充分な「お医者様」は別格だ。gooランキング「コンパしたい男性の職業ランキング」でも1位は医者系。コンパで知り合って、できれば結婚につなげたいと思う女性も多いだろう。

 ○恵(34歳 主婦)もそんな1人。昨年の春、「医者の妻の座」を射止め、「これで人生、勝ち組よ!」と公言していたのだが…。このところ表情がさえない。話を聞いてみた。

 「タカシさん(仮名 35歳 総合病院勤務)が忙し過ぎるのよ。同僚が辞めてから宿直も増えたし、休日だって、まず病院に行って患者さんの様態を確認してから予定が決まるの。患者さんの様態が悪いと病院に残ることも多くて…」と愚痴が続く。新婚の頃2人で行ったコンサートでは、始まる直前に携帯が鳴り、彼だけ病院に戻ってしまったとか。そんな出来事も1回や2回ではないという。

 タカシさんの年収は同年代会社員の1.5倍はあるが、結婚と同時に購入したマンションのローンや奨学金の返済、実家への仕送りや開業のための貯金などで、彼女が考えていた“セレブな生活”からは程遠い。

 同じ医者だが、病院に勤務する「勤務医」と自分の城を持つ「開業医」では、生活のサイクルも責任も、もちろん収入だって異なる。“開業医の妻”はリッチな生活ができるのか?首都圏でクリニックを開業する医者の妻、聖○(42歳)さんに話を伺った。

 「勤務医時代に比べると、夫が家族と過ごす時間は増えたけど…。開業のための借金は半端じゃないし、スタッフへの支払いだって大変。切り詰められるところは切り詰めて生活しているわ」。聖○さんとご主人が知り合ったのは学生時代のテニスサークル。ご主人30歳、聖○さん28歳のときに結婚したそうだ。「夫がインターンのときは、年に4回しか会えなかったの。別れなかったのが不思議なくらい(笑)」。いつ誰に会ってもいいように、派手でなく、地味でなく、上質な服装を心がけているのも開業医の妻の心遣いだとか。
 聖○さんの友人には“医者の妻”も多い。「嫁ぎ先が“代々医者”の家系だと、ご両親や一族のプライドの高さに悩まされることも多いみたい。“医者にさえなればいい”って甘やかされて育ったせいで、結婚しても収入を全部自分のために使ってしまう人もいたわよ」(聖○さん)。

 勤務医、開業医にかかわらず、安易な憧れで医者と結婚してしまうと、理想と現実のギャップに悩むことになりそうだ。“医者の妻”をお気楽に考えている○恵の将来も心配になってくる。それでも、聖○さんから「独身のお医者さんを紹介しましょうか?」なんて言われると“セレブな生活”を想像する自分が…。


 以上は、あるサイトにあった内容。かなり、現実味の内容かなとも思う。医師は、自分のしたい仕事が出来ているので、それなりに満足し、家に帰れば、リラックス出来るパートナーがいれば、最高。これ、医者の奥さんが勝ち組でなく、いい奥さんと一緒になれた医者が勝ち組かも知れない。
 よく、医師の家庭は、母子家庭と言われる。こんなはずでなかったと医者の奥さんの多くは、思っているに違いない。子どもの問題も、沢山抱えているケースが多い。しかし、一番の危機は、次のケースだと常々思っている。
 男と言うのは、医師免許取得後、卒後10年近くして、順調に行ける様になると、自分の力でここまで来れたと思いたいもの。そして、それを誰かに認めてもらいたいもの。理想的には、それを賢い奥さんが充分に認めてあげれば、事の多くは、無事におさまる。
 しかし、元々家がリッチな奥さんで、いろんな時に奥さんの家から援助してもらっていたり、又は、苦しい時に収入の多い奥さんから援助してもらっていると、どうしても、奥さんの方が、自分の力でこの人がこれだけ世の中から認められる医者になったのだと思いたいもの。で、それをついつい口に出してしまったり、態度に出すと、最悪となる。いつも女性から囲まれている医者は、ついつい、自分に同情してくれる女性と意気投合してしまう。このケース、私は、沢山見てきている。自分の医学部の同級生で、それで離婚に走ってしまって、彼が再婚の時に披露宴で出席した経験も、私はしている。
 多くの男性は、子育てにしても、家のことにしても、奥さんに大変感謝しているもの。しかし、それを面として言えないのが日本男性。内助の功の力をモロに口に出すケースの多くは、バリバリ稼ぐ女性である。だから、もしも、結婚する時に、複数で迷っている医師がいるとしたら、自分との相性も価値観も納得しているとしたら、断トツ、私は、貧乏の家の出の人で、経済的に自分に頼れないと生きて行けそうにない女性の方を選ぶ。とても忙しい男性にとっては、そんな女性と一緒になった方が、幸せになれると思っている。忙しい日本の医師には、安住の場所が絶対に必要である。家には、戦士は、二人も必要ない、これが、私の持論です。
 女性の収入に頼れないと結婚できない男性は、結婚する前に、役割分担をはっきりと決めて、それを両者が充分に納得してから、結婚すべきだと思います。新婚旅行や、バラ色の生活を夢見て結婚生活をイメージするよりも、現実に起きる問題をどう解決するかを、じっくりと話し合ってから結婚するべきでしょう。エッ、出来ちゃった結婚だったらって、そしたら、生まれるまでに、じっくりと考えて下さい。当然ですが、子どもが出来ると、親としての責任が伴いますから!
 夫の方が収入が少なくて、妻の方が仕事で忙しい場合は、当然、主夫って感じで、掃除洗濯子育て、妻以上の頑張らないといけないのは、当たり前でしょう。
 女性の産科医や小児科医が、子育ての為に、仕事を辞めるケースがある。これは、最も当然なことをしていると思っている。後は、それ等の有能な女性医師が、家庭と両立して仕事が出来るシステムを出来るだけ早く公の機関で確立することであろう。医師を増やすよりも、まず、それを急ぐべきである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある脳外科医との会話

2007-05-19 11:22:58 | Weblog
  このままで行くと、後10年後には、曲線をそのまま延長して見ると、外科の入局者は、日本では0になるらしい。その中でも、心臓外科や脳外科などの特殊な外科は、尚更、少なくなるらしい。
 脳外科だと、一人前になるまでに、10年を要するとのこと。それ以後、手が振えなくて、ちゃんと油に乗った感じで出来るのは、10年ぐらいで、後は、その延長。腕があっても、体力的に長時間の手術に耐えられなくなり、スピ一ドも落ちてくるとのこと。内科だと、50歳過ぎても充分に出来るけど、外科系は、きつくなっているとのこと(もちろん、個人差は、大きいと思われるが)。
 外国だと、脳外科医や心臓外科医の給料、他の科の数倍あるとのこと。このままだと、日本人の優秀な外科医は、外国に行ってしまうだろうとのこと。何せ、日本では、他の科と給料が同じだし、それに、脳外科医だと、アメリカの手取りの10分の1でしかない。
 なり手は、いない。いても、日本にはいない。これから先、外科系の医師確保で、日本中が、騒ぎ出すかも知れないなあ。
 田舎の病院は、数は少ないが、それなりに大変だ。当病院でも、外科医が、一人になっている。副院長なのに、当直もしている。産科も整形も眼科も、一人で頑張っている。


  欧米では、新生児医療は、若いドクタ一が中心になってしている。日本の様に、小児科医が60歳近くになっても、お産で異常児が生まれた場合、深夜でも起きて新生児を診ている先進国、あるのかなあ。(数が年に数例しかないので、それが可能なのですが・・・)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その90)

2007-05-19 05:41:25 | Weblog
(今から、31年余前の日記です。私の著書、続・為になるかも知れない本(上)からの内容です)
○専門4年、12月20日(土)晴。
 一外科の口頭試問があった。阿久根、相良、大熊、西の4名の先生からそれぞれ質問があり、バッチリ答えられた。二外科のレポ一トは、「学生から見た医学教育」について書こう。
○専門4年、12月23日(火)曇。
 国試の為の問題集がやっと来た。学校は、国試の為の勉強など、コの字もしない。真面目に勉強してきているので、落ちるはずはないとは思うが、何となく不安。
○専門4年、1月1日(木)晴。
 年頭の所感は、1、急がず休まず一歩一歩確実に、2、病態生理の強い小児科医になる、3、この1年間が最も大切、4、実力者であれ、5、恵ちゃんを大切に。
○専門4年、1月4日(日)晴。
 規則正しい生活をすることが大切だ。毎朝4時から勉強すれば、試験までに、8時間近くも勉強できるなあ。時々休んで、無理をしないことだなあ。風邪を引かないことだなあ。
○専門4年、1月9日(金)晴。
 一内の発表があった。59人、合格していた。嬉しかった。
○専門4年、1月12日(月)晴。
 皮膚科の臨床講義を下の学年と一緒に聴いた。とても為になった。講義の価値が今になってやっと分かる。(卒業試験中に、私の場合、下の学生に混じってしばしば自主的に講義を聴いた)
○専門4年、1月20日(火)曇。
 産婦人科、バッチリして行ったのに、問題、変なのが多かった。70点台だなあ。放射線科が合格していた。高ゲタを履かせたのか、16人落ちていた。松果体腫瘍についての脳外科の臨床講義を聴いた。
○専門4年、1月21日(水)晴。
 (専門1年生と一緒に)南嶋先生のさえた講義(ウイルス学総論)を聴いた。
○専門4年、1月22日(木)雪。
 昼の一時まで勉強して、午後、川先生の免疫についての講義を聴いた。
○専門4年、1月23日(金)晴。
 皮膚科の試験問題、1、湿疹と皮膚炎、2、SLEの検査と所見、3、黒色をきたす腫瘍、4、乳・幼児の紅皮症をきたす疾患について書けの4問で、西洋紙4枚だった。70点は取れただろう。
○専門4年、1月29日(木)晴。
 田中先生の弁膜症の講義を13:30~16:00までバッチリ聴いた。とてもいい講義だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする