日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その97)

2007-05-26 07:09:32 | Weblog
○専門4年、(昭和51年)3月20日(土)晴。
 結納があった。父・母・次兄が来て、長井宅であった。私の父は、上機嫌だった。その後、鶴丸という料亭に行った。恵(けい)ちゃんのお父さんもお母さんも泣き、自分の母も泣いていた。自分をここまで苦労して育ててくれた両親と向こうの両親に、著作「為になるかも知れない本」を差し上げた。
○専門4年、3月24日(水)曇。
 鼻血が出た。規則正しい生活をすることが一番大切だ。夜10時に寝て、朝6時に起きることにした。○○○大学の模擬試験をもらった。私大って、受験勉強、バッチリとこんな感じでしてきているのだろうなあ。その点、特に自分の大学、伸び伸びしていて(し過ぎて)、自分にとっては、かえって良かったかな。国家試験なんて、合格しさえすればいいのだ。6割以上取っておけば、落ちることはないだろう。
○専門4年、3月28日(日)晴。
 国家試験は、資格試験、自分との闘いだ(今考えれば、実際は、多少、気まぐれ厚生省との闘いでもあったが)。多分受かるとは思うが。俺って、苦しい時には、直ぐに書く癖がある。書いて安心するみたいだ。こんな時、否応なしにかっての大学受験の時が思い出される。詩人ヘルウッヒは言う、「不幸そのものには多くの益はないが、それには三人の健気な子どもを持つ、その名を、「力」「忍耐」「同情」と呼ぶ」と。
○昭和51年4月8日(水)晴。
 午後2時12分の西鹿児島発の汽車で熊本に行った。○○○○○部員で同じ部屋をとった。○○がすごく本を持ってきていた。○○も、○○も、本で重たそうだった。自分は、まとめたファイル二冊だけを持って行った。○夏、○原と一緒の宿になった。
○昭和51年4月9日(金)晴。
 夕べは、自分だけのんびりしたが(6割さえ取れれば、絶対に合格するんだと自分に言い聞かせながら)、残り5人が行く時も、必死になって勉強していた。熊本国立病院で受験票をもらった。受験場(熊大教養部)も見学して、一人熊大の周りをうろついて、それから水前寺公園に行き、宿まで歩いて帰り、ベンザリンを夕方7時30分に飲んで8時過ぎには、床についてグッスリと寝た。徹夜(同然)で勉強している同じ部屋の三人の声で、深夜に1回ほど目を覚ましたが。(今しても、せっかく記憶したのが壊れてしまって、かえって良くないと言うと、まだ、頭に何も入れていないので、入れる段階と言う。何せ、卒業試験は、論文式が大半で、それに反して、国家試験は、全て○×式。卒業試験から国試まで、ちょっとの期間しかなかったので、卒業試験で難儀していた人は、国家試験の勉強どころではなかった。)
○昭和51年4月10日(土)晴。
 旅館にまで、変な情報が来て、「一番初めの解答は、eだと言ってくる。国試に関しては、東大が一番必死になって頑張っているとの情報があった。その東大からの情報にのっとって、午前中、勉強した。嘘の情報が試験前に氾濫し、それに振り回されている人もいた。午後の本番では、時間の使い方がまずく、最後に書き直したのもだいぶあった(問題用紙を持って帰れた)。どう実際に解答して出したのか、ちゃんと書いておくべきだった。○夏、○原と答え合わせをして、7割は取れていいた様なので、一応、ホッとした。しかし、出来る問題も、かなり落としていた。

A問題 14時15分~16時25分(1~100)
1~30  産婦人科
31~80 内科
81~100 公衆衛生

内科の第1問
31、成人のジギトキシンの維持量は、通常どれか。(解答はd)
a 100mg/日 b 10mg/日 c 1mg/日 d o.1mg/日 e 0.01mg/日

内科の一番最後の問題
80、次のうち誤っているのはどれか。(解答は、e)
(1)食道裂孔ヘルニアは旁裂孔型(paraesophageal type)よりも滑出型(sliding type)が多い。
(2)漠状胃の原因は鼓腸より胃体上部潰瘍の瘢痕によるものが多い。
(3)胃憩室の発生部位は噴門部よりも胃体部大弯側が多い。
a(1)のみ b(2)のみ c(1),(3)のみ d(2),(3)のみ、e上記a~d以外

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の旅行者のマナ一は、世界一?

2007-05-25 09:56:24 | Weblog
 ヨーロッパのホテル経営者15.000人に対するある調査で、日本人は旅行者として総合ランクで最高得点だったとのこと。

 順位から、上位から、日本人、アメリカ人、スイス人、そして、下位は悪い方から順にフランス人、インド人、中国人、ロシア人、イギリス人という。あくまでもヨーロッパを旅行するという観点からの調査ではあるが。

 おとなしくて物静か、支払いはきちんとする、チップは気前よく払う、出発後の部屋がきれい、きちんとした服装をしている等が理由だろうか?

 韓国の釜山で3週間近くいた時、安いホテルに3週間程、同じ所で宿泊して、そこのホテルの従業員とかなりつっこんだ話までした。それによると、・・・「(あくまでも、ここの従業員一人の意見でしかないが、彼は、そのホテルに10年以上勤務していた)・・・日本人、大歓迎。○国人の場合、帰る時に、お金を払わずに帰ることがよくある。それをいつも警戒しておかないといけない。日本人の場合は、そんなことは、絶対にない。礼儀正しいし、謙虚だし、時間は守るし、部屋はきれいだし、お金の払いは極めていい。○国人の場合、まず、ねぎろうとする。日本人の場合、まず、それはない。日本人は、嘘をつかないし、人の物を盗むことはないし、真面目だ。」と。
 そう言われれば、カナダやイタリアでの語学学校では、授業が始まる前に、ちゃんと時間を守って座っていたのは、殆ど日本人だったなあ。釜山では、電車に乗る時に、下をくぐって、切符を払わずに乗っている人を数回見てしまった。フィレンツェでは、もっとひどく、大衆の乗り物では、現地の人の多くは、切符を買うことなく、乗り降りしている様だった。チェックの人が乗って来て、もしも不正が発覚した場合、100倍近くのすごいお金を払わされて、大変なことになるらしいのだが、チェックの人がどの人か、いつも乗り降りする人達は知っていて、その人が乗って来ると、直ぐに降りるらしい。私の知っている日本人は、お金に困って、1年間ただ乗りをしていた。(実に、けしからん!!)
 バングラデシュの人やイランの人や台湾の人による日本人の評価は、想像以上に高い。その高さに驚かされる。
 隣の韓国の人、どの人に尋ねても、日本の物は、すごくいいと言う。韓国の人は、ものは、日本、韓国、中国の順にいいと思っているし、又、買う時の値段もその順になっていた。
 実際に、いろんな国行ってみると、以上のことがよく理解できる。今の緊迫した世界情勢を上手にコントロ一ルできるのは、日本でしかないのではと私は常々思っているし、そうであって欲しい。何せ、日本人は、戦争は大嫌いで、人と争うのが大嫌いで、平和が大好きだから。
 しかし、今の日本、少し右翼がかった感じになってきている気がしますが・・・?!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その96)

2007-05-25 08:11:16 | Weblog
休憩室


その16、
 私の失敗談・・・「目を開けて下さい」 患者さん「先生、目を開けています」 肥満のうら若き目の細い女性であった。悪いことしたなあ。

その17、
 結核の人は、血痰が初症状であると予後がいい。いろいろその理由を調べた結果・・・血を見て患者さんはびっくりし、それ以来、極力安静に努めるからだそうな。

その18、
 乳ガンの5年生存率が、欧米人に比べて日本人はいい。どうしてか、いろいろ研究した結果、・・・日本人は、オッパイが小さいので、早期発見がし易い為とのこと。

その19、
 某教授曰く、「癌になった時、ちゃんと言ってあげた方がいい。どうしてかというと、その人が生きている内にしておかなければいけないことがあるから」と。その教授が癌になったので、弟子は先生の教えの通りに、忠実に、「先生ガンです!」と言ってしまった。先生、それから急に容体が悪くなって、死ぬ前に言ったそうな、「癌と言っては、いけない場合もあるよ」と。

その20、
 ある(九大の名誉)教授が癌であることを弟子は最後まで言わなかった。で、教授が亡くなってわかった。先生、自分が癌であるのを知っていたが、弟子が心配するといけないので、知らない振りをしていたとのこと。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前が似ている国名

2007-05-24 12:22:22 | Weblog
 世界の国名で、似ているのがある。

・アイスランドとアイルランド、この覚え方は、アイスの氷が冷たいので、北にある方がアイスランドと覚える。
・スロバキアとスロベニア、この覚え方は、アイウエオ順に、バがベの前にあるので、スロバキアの方が北にあると覚える。
・ウガンダとルワンダ、この覚え方も、ウの方がルよりも前にあるので、ウガンダの方が北にある。
・パラグアイとウルグアイ、この覚え方は、パラグアイを腹ぐあいと覚えて、南アメリカの中央の腹の部分の陸地に、パラグアイがあると覚える。

 紛らわしい名前は、他にまだ沢山あるが、いい覚え方が思いつかないまま、今日に至っている。(そのまま覚えるのがいいのかな?)
・エストニア(バルト海沿岸)とエルトリア(アフリカ)
・モルドバ(ウクライナとル一マニアの間)とモルジブ(インドの西隣)
・アルバニア(ヨ一ロッパ)とアルメニア(トルコの東隣)
・アンドラ(ヨ一ロッパ)とアンゴラ(アフリカ)
・ガンビア(アフリカ)とガイアナ(南アメリカ)
・ブルネイ(東南アジア)とブルンジ(アフリカ)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その95)

2007-05-24 08:07:29 | Weblog
休憩室

その11、
  専門3年生のポリクリ(5人で1グル一プになって、全ての臨床の科を研修して行く)では、患者さんに接する。
○○君、「わからんなあ、何かなあ、こまったなあ」と小さな声で言いながら、首をひねりながらの問診。
○○君、「ええっと、これは、聞いたと、・・・最近のどがかわくことはありませんか?」「ない」「・・・ええっとこれも聞いたと、・・・最近やせてきたことはありませんか?」「ない」「・・・まだ質問で落としていることはないかなあ・・・、できものができやすいと思ったことはありませんか?・・・」一つ一つ念を押して首を一回一回そりかえしながらの問診である。
○○君、「実はですねえ、僕も今もそうですが、よく頭が痛くなることが多くて、・・・。家は、佐多岬、そうですか、あそこには、僕も行ったことがあるんですけど、いい所ですねえ・・・」と、患者さんと一体となっての問診である。
○○君、「油っこいものを食べるとお腹が痛くなる感じがしませんか?」「別に」「そうですか、そんなことないはずですが、よく考えて下さいよ・・・」と、確信を持っての問診である。

その12、ある薬剤部長の話。
 いろんな人がいますねえ。座薬を飲み薬と間違って飲んでしまう人が時にいます。「よく振って飲ませて下さい」と言って水薬を渡すと、幼児をゆすって飲ませる母親がいる。信じられない感じですが。又、カプセルを開けて飲む人がいるので、「開けないで、飲んで下さい」と言うと、あの硬い入れ物ごと飲んで、「先生、うんこと一緒になって出て来ました」と言う。痛くはなかったですかねえ、あんな硬いのを。我々が想像できない様なことが起きるんですよ。

その13、ある歯科口腔外科医の話。
 「3、3、3」と言う言葉がある。1日3回、食後3分以内に、少なくとも、3分間、歯を磨くことだが、これを看護学校の試験に出したら、面白いのがあった。・・・・・・・「週3回、3時間待って、3分診療」

その14、
 専門1年(医学部3年)での解剖学の第一日目の骨学の講義の前に、借用書を書いた。骨の借用書を(骨学で自分が実習する骨の)。・・・助教授曰く、「もしもなくしたら、諸君のものをもらいます」と。
 講義の時のジョ一クは、毎年、同じ所で同じ内容が繰り返されているとか?!又、学生の間でも、上の学年から下の学年へ、試験問題だけでなく、いろんな申し送りがあり、時に、スライドの内容までもが。
 細菌学の講義で、上の学年の場合、最後のスライドが一枚足りなかった。で、教官へ、ある学生から、「先生、一枚、忘れていませんか?」との鋭い指摘があった。で、教官も要望に応じて、昨年度と違って、今回は(私達の学年の講義では)、しっかりと、最後にその一枚のスライドを入れていた。
 そのスライド、その先生が外国で研究していた時に、手伝ってもらっていた女性の研究員のビキニ姿の写真で、それも、金髪でスラッとしたスタイルの超美人で、学生の眠気も完全に吹っ飛んでしまう様な貴重な一枚でした。

その15、
 整形外科のポリクリの時、大学病院に来た患者さんが、骨のレントゲン写真を指して、・・・
「先生、ここの所がちょっとおかしいんじゃないんですか?」と言う。我々医者の卵一同、「患者さんも、あちこち医者をまわってると、実力がついてるなあ・・・」と。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その94)

2007-05-23 06:40:34 | Weblog
休憩室
その6、肺癌に付いての総合講義で、いかにタバコと肺ガンが緊密な関係にあるかを○○学の助教授が説明した。その直後の休憩時間に何とその助教授がタバコをスパスパと吸っているではないか!学生が、「先生、肺ガンに・・・」と言うと、助教授曰く、「もう、あきらめとる。もしも、肺ガンになったとしても、タバコの場合は、予後のいい扁平上皮癌が多くて、早期に発見してもらえば助かるんじゃ」と。この肺癌の5年生存率、内科の先生の話では、内科中心に治療したのが一番良くて、外科の先生の話では、外科的に、放射線科の先生の話では、放射線科的に治療したのが、治療成績が一番良いとの話であった。一体、どうなっているのだろうか?
その7、大学病院の泌尿器科で、インジゴカルミンを注射した後に、膀胱鏡で見ようとしている医師に、「先生、既往歴として、Lues(梅毒)とGono(淋病)があります。」と私が言うと、「エッ!」と大声で言って真っ青になり、急いで手を洗っている。外科の手洗いの実習の時以上に何回も。看護師さんも。最近、ペニシリン耐性の性病、多いもんね。
その8、医学部では、すごい統計にお目にかかる。2例中1例そうだったので、50%とか、3例中1例そうだったので、33.3%とか言う。では、1例そうであれば、100%で、そうでなければ0%ですか?
その9、学校に行く途中、見ると向こうから来るのは○君でないか。いつもはもっと遅いのに、今日はいやに早く学校に行ったなあ、休講かなと思って、「休講?」と聞くと、「馬鹿言え、ネコ捕りよ、朝からさがしよるけどどこにもおらんもんね。おったと思うたら首輪がついとるもんね」と言う。生理学の実験で、ネコを使って脳の働きを調べる頃になると南日本新聞のスミに、「ネコがいなくなりました。色は、・・・」と載る。宮崎まで行って、4匹も捕ってきた人がいた。1匹2.000円で第2生理学教室が買ってくれる。1匹で実験で失敗すると、あとは自分で捕りに行くしかない。エ一テルの麻酔のかけ過ぎで失敗してしまうのだが、30分間もネコに人工呼吸をして、助かった学生(!!」もいた。
その10、細菌学実験の時、ひどい下痢をした人がいた。この時、実習で使っていた脹チフス菌や赤痢菌が原因だろうと思って、細菌学教室で調べたところ、実習に使った病原体ではなく、天文館(飲食街がたくさんある)辺りの病原体とのこと。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

語学研修について

2007-05-22 18:13:14 | Weblog
 どうしたら、英会話が上手く出来る様になれるのか?多くの人は、いろんな方法で試みていると思う。今では、入試にもあるので、それなりに、学校側もしていると思われるが、どうも、している割には、能率が上がっていない様である。最悪な場合には、英語嫌いを増やし、更には、外国語アレルギ一の日本人をどんどん増やしている。ある英語パパを持った息子が言っていた、「あまり父親から、小さい時から、英語を強制されたので、今では、英語と聞いただけで頭が痛くなる」と。
 語学の勉強の場合、まず、4つの要素がある。聞く、話す、読む、書くである。この中で、学校では、主に、読むことと書くことに重点が置かれている。多くの日本の中高学校で、英語の発音が良くて、外国の人とナチュラルに話せる人、極めて少ない。そんな日本人から教わるものは、読むことと書くことが主体であり、聞くことと話すことまでも要求する方がおかしい。
 確かに、日本人の読んだり書いたりする力は、素晴らしい。アメリカ人でも、スペルは、簡単な単語でも、しばしば間違えている。私の長兄は、進学高校の英語の先生だったが、私の長女が言うのに、私の兄の英語(英語で書いた文章)は、完璧な英語だと絶賛し、アメリカ人でも、あんな立派な文章を書ける人は、まずいないと言う。
 秀才が集まった(らしい、受験秀才もいるのだが)医学部でも、我がクラスに、英語の発音のいいって感じの人、わずか一人しかいなかった。
 実際に、外国に行って、まず、困るのは、聞く力と話す力である。これ、子どもだと、直ぐに習得できるのだが、大人だとそれも、歳が行っていればいる程、難しくなる。それでも、現地に3年いれば、何とか、困らない程度にはなれるし、5年もいれば、話すことにも、あまり不自由しなくなる様である。
 もちろん、個人的な能力の差も大きい(一番肝心な問題は、意欲がどれだけあるかだと思われるが)。一番いいのは、周りに日本人が誰もいないこと、現地の言葉で話すしかなく、それで、難儀することである。それを繰り返していると、その内に、自然と現地の言葉が出てくる様になるから、これ又不思議である。
 日本で予約して、海外での語学研修なるもので、高いお金を出して、短期間、寮やホ一ムステイをして、頑張っている人が多くなっている。無駄とは言わないが、高いお金を出した割には、あまり能率が上がっていない。語学は、積み重ねであるからして、短期間では、身に付かないし、付いても、直ぐに消えてしまう(全てが消える訳ではないが)。日本での最もお金が安くて、最も確実に能力が付いて行く方法とは、やはり、NHKの語学講座をずっと続けて行くことであろう(しかし、これにも、限界がある)。
 日本ほど、いろんな言語を勉強する上で、日本語で解説された本が沢山出版されている国は、世界広しと言えども、実に少ない。今では、立派なCDまであり、ベンガル語でもスワヒリ語でもトルコ語でも、現地の発音が学べる感じになっている。エキスプレスなどの会社では、かなり多くの国の言語が紹介されている。そのCDで何回も聞けば、その本を何回も最後まで読んでおれば、それなりにものになってはいるが、残念なるかな、又、直ぐに忘れてしまう。どうも、語学に関しては、人間の頭は、人を介さないとしっかりと覚えられない様に出来ている様である。
 で、やはり、実際に、その国の人と話すと、それも、難儀しながら話すことを何度も経験すると、確実にものになっていけると、私は思っている。それを私は、タイやインドネシアやイタリアやバングラデシュや韓国で、身を持って経験した。グル一プレッスンでは、ものになりにくい。マンツ一マンで、後がないと言う状況に自分を追い込める人は、自分の上達を、日毎に感じながら、有意義に海外生活が出来ると思われる。
 日本人ばかりに囲まれた所で、英会話の勉強をしようと思えば、いっそのこと、英語圏に夏休みにでも一人で行って、英語のシャワ一を沢山浴びることであろう。
 大人であれば、行って一人で、語学学校と交渉したり、ホ一ムステイを決めたり、コンドミニアムを決めたりする、困った時は、紙に書く。これで、確実に、苦労するが、身に付く。その時、こちらの下手な英語が笑われることは、心配しなくても絶対にない。
 海外で語学の勉強をしようする時、日本の会社を通じて、ホームステイ先を予約したり、学校を決めたりするよりも、自分一人で、いろいろ難儀しながら試行錯誤しながら行動していった方が、はるかにお金が安いし、自分に合った場所も確実に選べる。(と、私は、思っている。実際に、外国に行ってみると、需要と供給の関係で、それなりに、それに応じる様な感じになっていること、多い。但し、最低限の現地の言葉は、絶対に必要だが、幸いなことに、今では、電子辞書もあるし、声が出るのさえあるので、難儀することは、益々少なくなっている。もう一度言います、語学の上達法は、難儀すること、そして、続けることです!!自分が使う下手な現地の言葉で通じた時の喜びは、苦しんだ人しか味わえない素晴らしいものです。その経験も、若い時であればあるほど、ベタ一だと思っています。)

何故、語学研修を海外でするのか?
 何故、語学研修をしようとしているのか?これが問題である。フィレンツェでのイタリア語の語学学校に行った時に、参加者の期間を聞いて驚いた。自分の様に、1カ月の人、誰もいなかった。夏休みだと、時々いるとのこと。日本からその学校に行っている人は、少なくとも3カ月(そんな人も少なかった)、大半は、半年以上か1年以上で、遊びの人はまずいなく、そこで、料理や絵画の勉強をする為に、まず、語学をと頑張っていた。で、1年経っている人は、日常会話には、まず、苦労していない様であった。皆、日本でそれなりにイタリア語を教える語学学校に通っていたのに、日本では、あまりものになっていなかった様である。
 日本人は、立派な英語を話そうと、一生懸命である。しかし、肝心のそれを聞いている外国人は、日本人の英語よりも、日本人の話す内容に興味を抱いている。そのことに、我が娘は、高校2年の夏休みに、アメリカに留学して、気が付き、突如、「お茶教えて!お願い!」と言われた。But、趣味も、1年そこらで出来るものではない!1年間みっちりと教えたのだが、・・・(当たり前だが、ものにならなかった)。
 私の場合は、和太鼓があり、篠笛があり、そして、下手な書道がある。茶道や謡曲に付いて、実際にしてきているので、何もそれをしてない人よりは、ちゃんと説明が出来る。行く前には、折り紙の勉強もやって行って、そこにいる日本人にまで、教えてきた。
 チェンマイの人やフィレンツェの人や、カナダの語学学校に来ているメキシコ人やイラン人やサウジアラビア人などと英語で話して、実際のその人達の国の現状を教えてもらったり、又、日本人とその人達との価値観の相違を知って、驚いた。
 語学の学習の醍醐味は、正に、そんな所にあると思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その93)

2007-05-22 07:10:53 | Weblog
休憩室
その1、大学の先生というのは、ホントにいろんな人がいる。特に医学部では、群を抜いている様に思える。スイッチの入っていないマイクを持ってベルが鳴るまで喋った教授もいた。この先生、とても熱心な先生で、熱中すると、自分の話すこと以外は、何も目に入らなくなる。又、別の先生で、社会の窓が開いたまま、気が付かないで講義が終わった先生もいた。それに付いて学生も何も言わないから、又、面白い。
その2、○○学の実験中、シャ一レ一の底が上になっているのに先生は酢酸をどんどん入れる。当然、机一面にこぼれて行く。とうとう私は先生の自尊心を傷つけることを言ってしまった。「先生、こぼれています!」と。その後、その先生の網膜の活動電位の有無を疑った。医学部転移前の実験室は暗く、おまけに先生は学生時代、猛勉強した為にど近眼。この2つのファクタ一がたまたま重なった結果でしょう。
その3、基礎医学のある教授曰く、「私が○○学に入ったのは、結核して体が丈夫でなかったので。ここなら休養できるだろうと思って入りました。入って、まず、○○学は、何をする所ですかと聞いてみた。何も知らないで入ったもんですから。ドクタ一(博士号)を取るのに、昔ノミの○ン○マを研究して取った人がいるというのを聞いて馬鹿な奴がいるなあと思っていたら、私がそれをすることになりまして。蚊の研究をしていた頃、毎日試験管の中のボウフラを見ていて、一句できました。・・・ボウフラや、大きくなるまで、浮き沈み・・・。この科、ある時、近々教授が外国に行く予定と言う噂が立った(それで、単位が簡単にもらえるのではないかと、学生達は、期待した)。で、出された問題は、何と、「自問自答せよ」であった。
その4、ある精神科の医師曰く、「初めの一年間、自分が正常かどうかということで非常に悩んだよ」と。
その5、ある外科医曰く、「内科はどうでもいいような事をあれやこれやと何時間もディスカッションしよる。我々に言わせるとどうでもいい。朝来て昨日の患者さんが生きとるか死んどるかを聞いて、生きとったとすると、そりゃあ良かったとホッとする」と。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その92)

2007-05-21 10:52:24 | Weblog
○専門4年、3月11日(木)曇。 
 加地先生(カゼ博士)のカゼの講義を聴いた。とても立派な先生だ。いつもニコニコされて、頭が実に低い。「為になるかも知れない本」を(二学年下の)太田君(外科医、現在、大学教授)が読んで、「田原さんに会いたかった」と言ってくれた。生物の岡本先生も、面白い本だと母に言ってくれたとのこと。嬉しい。(お世話になった人、20名余に、差し上げた。手書きしたのを、生協で、コピ一して)
○専門4年、3月18日(木)曇。
 卒業式があった。学長が、「ゆとりが大切、自分を見失わないこと、広い視野に立つこと」などを力説していた。医学部の総代は、○岡(同じアパ一トに住んでいて、隣の部屋にいた)で、次が、2点差で、いつも親しくしていた○だったとのこと。
 
 ○岡○(現役、大分県立舞鶴高校出身)
 彼は、スゴイ秀才であり、努力家でもあった。自分と同じ佐伯の出身で、中学の時は、断トツ県南で一番で、高校に行っても、英数国の三科目で、二番との差が30点近くあったとのこと。専門書は、全て英語でそれもぶ厚い本で(彼に言わせると、日本語の本は嘘を書いている気がして、読む気がしないとのこと)、明日試験と言う時でも、ぶ厚い英語の本を読んでいて、その本では、1ペ一ジ1ペ一ジが丹念に線が彼により最後まで引かれ、それをノ一トにきれいに英語で整理してまとめられていた。専門4年になって、自分の隣に引っ越して来た。私が朝3時過ぎに起きて勉強を始めようとする時、彼はそれまで勉強していることがよくあった。ポリクリでは、教授が考えられる疾患を言ってみたまえと言おうものなら、教授の知らない病名がいつも2~3あった。国試後、皆で答え合わせをしてた時、国試の問題で、適切な解答がない感じの問題があった。○岡に、皆は、聞いた、「○岡、どれにマルした?」で、彼は、言った、「選択枝に正解なかったので、その問題には、どれにもマルしなかった」と。これには、皆、脱帽。
 (彼は、その後、就職先も、私の勤務していた救急病院に就職し、今は、そこの副院長をしている。今でも、彼は、その地方の病院に就職してから、そこで英語の論文を50以上書き、その9割が外国雑誌に採用され、又、洋書の心電図の教科書の引用に、彼の名前がしばしば見出される。私の父の主治医でもあったし、今は、私の母の主治医でもある。)

 ○○佐男(現役、鹿児島県立鶴丸高校出身)
 彼ほどユニ一クな人間を今だかって私は知らない。高校の時は、「暗記の○」とまで言われていた程、その暗記力は有名で、英語の辞書の単語を全て覚えていたとのことで、私の家内も、高校の時に、そんな人が卒業生の中にいたことを知っていた。教養部の時には、親からの仕送りはなく、奨学金と家庭教師で生活し、反対に、お年玉を親にあげていた。生理学実習の時に、彼の脳波を調べた時に、きれいな徐波が出て、皆が納得。暗記のスゴサは、自他共に認めるところで、専門4年の初めに受けたECFMGの試験では、全国2番で、国試も9割以上取っていた(国試が終わって、自己採点の結果を、科別にハガキで私の所まで、わざわざ知らせてきた)。産婦人科の問題を上の学年と一緒にした時に、上の学年の1番よりも出来ていて、産婦人科の教授が絶賛した程。病気に付いて教官が質問すると、その病気の歴史(初めに報告したのは誰かとか)から話し出し、臨床講義の時、多くの人はビックリを通り過ぎて、「又、始まったか」とその超人的な暗記に、ため息をついていた。入学した時、「金儲けの為に医学部に入った」と言って皆から笑われたが、6カ年後、価値観は一変し、一時、医療制度を変えると言って、金とは無縁の厚生省の役人になったが、今は、産婦人科医となって、関東の方で活躍している。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定年後の過ごし方

2007-05-21 08:58:28 | Weblog
 先に述べた「遊びの哲学」の考え方と内容にダブルかも知れませんが、・・・定年後、何をするかの準備を、定年前から充分に考えておくべきだと思います。
 国家公務員に、一番認知症が多いことは、よく知られていることです。経済的に満足して、心配が全くなくなってしまうのも、良くないです。
 心理学者のユングは、幸せの5条件の最後に、「朝起きてその日やらねばならぬことがあること」をあげています。
 ゲ一テも晩年、「結局、私の生活は、苦労と仕事より他の何ものでもなかった」と語っています。どうも、生き甲斐や幸福感は、楽しみでなく仕事ややるべきこと、果たすべき役割(存在感)があることの中にあると言えそうです。
 定年後、どの程度その後も働くのか、何に楽しむのか、何に打ち込むのか、早くからそれなりに決めておくべきでしょう。人は、遊びだけでは、満足できません。定年後の醍醐味は、ゆとりのない現役時代と違って、仕事以外のやるべきことや遊び(趣味)とのニ足のわらじ、三足のわらじをが履けることだと思います。
 それと忘れてならないのは、パ一トナ一の存在です。夫が打ち込むことに妻の理解と協力がどうしても必要です。
 私ですか、もう、10年程前から、着実に、準備をしていますが。今は、月の内、完全に休みは、3日しかありませんが、その内まとめて長期休暇がもらえることになっているし、それに、先々、いろんな夢が持てているので、殆ど毎日仕事をしていても、楽しく仕事が出来ていますが(19床の開業医時代を考えれば、今は、天国でしょうか)。

(遊びの哲学)(再掲)
 遊んでばかりいると言うよりも、趣味に凝っていると言うと、聞こえはいいが、実際は、遊びと趣味も同じ様なものだと思う。

 人間は、遊ぶ為に生きているのか、仕事をする為に生きているのか、そんな難しい話は、私には、分からない。
 世の中には、仕事人がいて、自分は仕事をする為に生きていると言う人がいるが、その人に少しでも遊び心があるならば、又は、仕事をある所で半ば遊びみたいにしてしまえば、今以上に、能率良く仕事が出来るだろう。

 本当の遊びには、厳しい束縛があってはいけない。いつ辞めてもいい状態にあり、それでいて、したくてしたくて仕方がないと言った、楽しいものでなければならない。

 明日、どうしても、付き合い上、ゴルフ(マ-ジャン・飲み)をしないといけないとなると、もう、遊びとは言えない。遊びには、苦しさがあってはいけない。常に、ゆとりがないといけない。変更がいつでも出来るのが(更には、先にも述べた様に、永久に止めることさえも簡単に出来るのが)本当の遊びと言えよう。


 遊ぶ為には、まず、金力がいる。しかし、考え方によっては、必ずしも、大金の必要はない。家族で自転車に乗って、弁当を持って、女島(めじま)の川縁に添って行くのも、立派な遊びだし、大入島を自転車で一周するのも、立派な遊びだと思う。城山に登るのも、汲心亭(茶室、きゅうしんてい)に行って、一人300円のお金を出して、お茶を飲むのも、立派な遊びだと思う。
 遠くに行かないから、お金を掛けてないからと言って、いい遊びが出来ないことは絶対にない。
 父親だけが、ゴルフやマ-ジャン狂いをしても、奥さんと子どもにとっては、ちっとも面白くない。

 
 遊ぶ為には、時間力がないといけない。忙し過ぎて遊ぶ暇がないと言う人がいるが、そんな余裕のないことでは、人間関係もギスギスして、本当のいい仕事は、出来てないのかも知れない。

 遊べる時間が、沢山あったらどんなにいいだろかと思う人がいるかも知れない。本当にそうだろうか?。

 あるスナックに行った時(かなり昔の話だが)、些細な事で仕事を辞めて、1年近くパチンコばかりしている人と知り合いになった。40歳前後の男性で、働き盛りであるのに、奥さんも子どもさんもいるのに、ちゃんとした仕事に就いていない。奥さんは、真剣に働いている。本人は、パチンコばかり、している。その人が、私に、次の様に言ってくれた。

 ・・・初めの3カ月だけは、良かった。ああ、これで、しばらくは、解放される。今からは、あのいやな奴の顔を見なくていいし、誰にも気を使わなくていいし、好きなパチンコも、いつでも出来る。万歳!。
 そう思って、毎日、パチンコに行った。初めの1カ月は、本当に楽しかった。3カ月を過ぎても、思った様に職がなく、遊んでばかりいた。
 あんなにパチンコが好きだったのに、いつでも出来るとなると、行く気が全然しなくなる。むしろ、朝になると、嗚呼、パチンコに今日も行かないといけないのかって感じになって、だんだんと苦痛になってきた。
 家にいても、何もすることがなくて、しかたなく、パチンコに行っていた。
 それから、だんだんむなしくなり、このままでは、自分は馬鹿になるのではないだろかと、思う様になってきた。
 そうこうしている内に、1年も経ち、今は、兎に角、仕事がしたい。何でもいい。
あれば、明日からでも。選ぶ段階ではないもんな(現在は、ちゃんとした仕事に就いておられて、妻子の為に頑張っておられる)。
 
 つまり、遊びと言うのは、楽しいのであるが、その楽しさは、苦しい時を背中合わせにしているからこそ、楽しいのであって、いつも時間を持て余している人にとっては、本当の遊びの楽しさは、享受出来ないのではと、思われる。
 
 トルストイの小説の中にもある。乞食が何でも美味しそうに食べるのを見て、王様は、何故、そんなに美味しく食べれるのかと、不思議がる場面がある。いつも、ごちそうばかり食べている王様にとっては、その理由が分からないのである。

 忙しければ、忙しい程、遊べます。暇な人は、何もしません。これが終わってからしようと思う人も、同じです。する人は、もう、始めています。

 忙し過ぎて(24時間、365日、拘束されて、全く遊べないと言う人は、いないはず)、遊ぶ暇がないと言う人が多いが、そんなに忙しいのなら、他人のせいにしなくて、忙しくない様に、自分なりに工夫すればいいのである。
 
 忙しくても、好きなゴルフの為ならば、朝、3時過ぎに、起きている人もいる。仕事で徹夜すると、ひどく疲れるのに、好きな徹夜マ-ジャンだと(勝った時は、特に)、疲れていない。
 
 毎日、寝る前に、15分間でも、自分の好きなことをしていれば、1年間経ち、2年間経ち、3年間も経てば、継続は力也で、何かが出来ているはず。出来ると、又、面白くなってくる。何もしなければ、いつまで経っても、0である(0にどんなに大きな数字を掛けても、0である)。
 忙しくて、いろいろ手を付けている人は、仕事も遊びも、集中的にせざるを得ない。そうしないと、遊べないものだから、仕事以外も、何もかもが、一生懸命って感じになって来らざるを得なくなる。
 同じ時間を与えられながら、10年経った時には、忙しかった人の方が、遙かに物事を達成していることだって、あり得る。

 賢人の教えに、”どうしてもしてもらいたい事を頼む時は、暇な人でなく、忙しい人に頼め”、との言い方がある。


 遊ぶ為には、体力がいる。旅行や山登りやサイクリングやマリンスポ-ツは、もちろん、囲碁、将棋、マ-ジャン、パチンコに至るまで、ある程度の体力がいる。
 遊んだ後の後遺症が仕事に差し支える様では、いい遊びをしていることにならない。
 本当のいい遊びをしている人間には、遊びでの疲れはないし、仕事にも、それがプラスされているはず。昔から、よく遊べ、よく学べ、と言われ来ている。

 
 そして、最後に、最も大切な事は、それを楽しいと感じ取れる感性力だと思う。

 海外旅行に行っても、スケジュ-ルに追われて、充分にその楽しみが味わえなかったとしたら、反省すべきである。実際、自分の職場の看護師さんが、新婚旅行で、外国から帰って来ての初めの言葉が、「ああ、疲れて、気を使って、英語が出来ないもんだから、怖くて、神経をすり減らして、ゆっくり、楽しむどころでなかった。最後に別府の白菊に泊まったけど、ここが一番良かった」であった。

 目的を持って、自分なりの、納得する楽しみ方をするべきである。外国に行くのなら、歴史や地理を前もって勉強しておいて、現地の言葉でも、ちょっとだけ話せるぐらいの楽しみ方があっていいと思う。外国のいい景色を見ても、その素晴らしさを理解出来る度合いは、人によって、かなりの差があると思う。地学や考古学や天文学を勉強している人であれば、それ相応の楽しみ方があると思う。
 要は、その人個人の感性のキャパスィティ-の問題であり、それを小さい時から常に磨いておくべきだと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする