給食のとき、ある子から質問。
「先生、このおかず、ご飯にかけていいですか?」
この日のおかずは、麻婆豆腐でした。
「どうぞ~おいしそうだね」
私は答えました。
特に何も考えず。
すると、それを聞いていた別の子が、
「え、でも先生、献立にはご飯にかけるとはなってませんよ」
と。
毎回献立にはそういうことまで丁寧にかいていて、その子は感心にそれをチェックしているのです。
私は
「はぁ」
と、ばかみたいな顔で気の抜けた声が漏れました。
内心、
(細かいこと言うね~かけたきゃかければいいじゃん)
と思っていました。
結局、この場ではそれ以上もめることはなく、かけたい子はかける、かけない拒かけないと、自然となっていました。
私はそれでいいと思いました。
が…
これでよかったんでしょうか。
意外にあとから色々と気になってきました。
「かけていいですか?」と聞いてきたあの子。
そんなことは自分で判断してほしいとも思うし、いや、でもきちんと先生に聞くところがえらいとおもうべきなのか…
「かけるものじゃないですよ」と言ってきたあの子。
献立の「ルール」をまもろうとしてることがえらいのか、それとももっと柔軟性を持つべきなのか…
そして「どうぞ」って何も考えずに答えた私。
食に関する指導観がゆがんでる?
ゆるすぎる?
そこら辺がしっかりした別の先生だったら
「だめです!ご飯に書けるべきメニューは決まっています!麻婆豆腐はかけるものじゃありません!」
と答えるのでしょうか。
でも、これが指導として適切なのか…
間をとって
「自分で考えなさい」
でしょうか?
ちょっと無責任かな?
…などなど、あれこれ考えてしまいました。
先生の食に関するマナー指導というのは、その先生の食事に対するスタンスというか、生い立ちというか、そういうものによるところが大きいと思います。
私の場合、そこがきっと緩かったのでしょう…
「先生、このおかず、ご飯にかけていいですか?」
この日のおかずは、麻婆豆腐でした。
「どうぞ~おいしそうだね」
私は答えました。
特に何も考えず。
すると、それを聞いていた別の子が、
「え、でも先生、献立にはご飯にかけるとはなってませんよ」
と。
毎回献立にはそういうことまで丁寧にかいていて、その子は感心にそれをチェックしているのです。
私は
「はぁ」
と、ばかみたいな顔で気の抜けた声が漏れました。
内心、
(細かいこと言うね~かけたきゃかければいいじゃん)
と思っていました。
結局、この場ではそれ以上もめることはなく、かけたい子はかける、かけない拒かけないと、自然となっていました。
私はそれでいいと思いました。
が…
これでよかったんでしょうか。
意外にあとから色々と気になってきました。
「かけていいですか?」と聞いてきたあの子。
そんなことは自分で判断してほしいとも思うし、いや、でもきちんと先生に聞くところがえらいとおもうべきなのか…
「かけるものじゃないですよ」と言ってきたあの子。
献立の「ルール」をまもろうとしてることがえらいのか、それとももっと柔軟性を持つべきなのか…
そして「どうぞ」って何も考えずに答えた私。
食に関する指導観がゆがんでる?
ゆるすぎる?
そこら辺がしっかりした別の先生だったら
「だめです!ご飯に書けるべきメニューは決まっています!麻婆豆腐はかけるものじゃありません!」
と答えるのでしょうか。
でも、これが指導として適切なのか…
間をとって
「自分で考えなさい」
でしょうか?
ちょっと無責任かな?
…などなど、あれこれ考えてしまいました。
先生の食に関するマナー指導というのは、その先生の食事に対するスタンスというか、生い立ちというか、そういうものによるところが大きいと思います。
私の場合、そこがきっと緩かったのでしょう…