何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

同じ方向を見つめ伴に歩く

2015-12-14 19:12:09 | 
「真面目・誠実・真摯の根っこは 夢」 「悪妻の夫、良妻の夫」からのつづき。

「悪妻をもつと夫は優れた哲学者になれる」と言ったのはソクラテスだが、良妻を娶らば優れた科学者が誕生するのか。
このエピソードで思い出したのが、子供の頃に読んだ伝記「豊田佐吉」
集英社からでていた「母と子の世界の伝記」シリーズを読むのが好きだったが、その中でも特に印象に残っていた「豊田佐吉」を、子供の本箱から探し出し、週末読み返してみた。

豊田佐吉とは、自動機織り機の発明家にして、云わずと知れたあのトヨタグループの創始者である。
今から150年ほど前の時代のこと。
大工の長男だった佐吉は小学校を終えると、父親について真面目に修行するが、不景気になると仕事がないことや、外国から次々と新しいものが入って来ることに危機感を覚え『これからの世の中は、外国との競争だ。その競争に勝たなければ、日本はいつまでたっても貧乏な国から抜け出せないよ』と、夜の勉強会を始める。そこで読んだ「西国立志篇」(中村正直)に触発され発明家の道を志し、動力を使った機織り機を発明しようと決意する。それは母の仕事を楽にしたいという優しい願いでもあったが、妻子も顧みず発明の為におなごと一緒に機織りに夢中になり、発明の為に借金を重ねる佐吉は村中の笑い者になっていく。
一度目の結婚生活は短期間に終わったが、 二度目の妻浅子は佐吉の発明にかける情熱を理解し一番の応援者となる。浅子は店の経理を佐吉以上に上手くまわし資金面で佐吉を支えただけでなく、機械についても明るく佐吉は妻浅子だけを助手にして発明に取り組んだほどだった。その甲斐あって7年の年月をかけた木製動力織機が完成するのだ。それからは、佐吉の機械を見込んだ三井物産から提携を申し入れられたり、大隈重信が視察に来たりとトントン拍子に事は進み、肝心の発明でも、日本の小規模な工場にも対応できるような動力の小型化が必要だと知るや新たに石油エンジンの研究に取り掛かり、それを二か月で完成させるなど絶頂を極めたかに思えた。
が、利潤をあげることばかり追及する親方三井物産は研究費を出し惜しむようになる。それに業を煮やした佐吉は「お金のために研究しているのではない」と妻と弟と共に完全自前の会社を設立し、発明の研究に打ち込むようになる、これがトヨタの前進『豊田商会』だ。
この後も三井物産とは付かず離れず一悶着もふた悶着もありながらも発明を続け、息子には「次代は自動車だ」と新たな発明の道筋をつける先見の明の確かさを描いたところで、子供向け伝記「豊田佐吉」は物語を終えている。

ノーベル賞を受賞された大村博士が、亡き妻文子さんの写真を胸に授賞式の臨まれるというニュースで、子供の頃に読んだ「豊田佐吉」を思い出すほどに、伝記を読んだ当時の私には佐吉の妻の印象が強かった。それは、我が家がサラリーマン家庭で、夫の仕事を妻が直接支えるという場面に出くわしたことがなかったからかもしれないし、佐吉の研究を妻が手伝うだけでなく、トヨタの前進企業の設立に妻である女性が大きく関与していたことを公に認めていることにも意外性を感じたからかもしれない、そして、それを意外に感じるほどに、子供時代の私は保守的な思考をしていたのだろう。

が、長ずるに従い、器の大きな人間ほど、男尊女卑のうえに胡坐をかかず堂々と女性の能力を認める傾向があることを知ることとなった。あまり卑近な例や立志伝中の人物ばかり例にあげても仕方がないので、最近話題となった例で考えると、佐吉と同時代を描く「あさが来た」の加野屋の大旦那は、嫁いできたばかりの若嫁の商才を見込めば店の者に「あさちゃんの言うとおりにせぇ」と命じる度量があり、この見込みの確かさと度量の大きさゆえに、大阪の両替商が軒並み潰れたなかにあって、加野屋は発展していくのだと思われる。(参照、「チェスト行け!朝がくる」

ソクラテスは「悪妻をもてば夫は哲学者になれる」と云っているが、「良妻をもてば幸せになる」とも云っている。
が、妻はひとりで悪妻になったり良妻になったりするのではない、はずだ。家風や夫との関係性のなかで悪妻にも良妻にもなり得るのであり、妻を尊重する度量がお家と夫にあってこそ良妻が生まれるのかもしれない、などと妻への感謝を素直に語られる大村博士の姿勢に思うノーベル賞授賞式であった。

ところで良い夫婦といえば、真っ先に皇太子ご夫妻を思い浮かべる。
御成婚から間もない頃は、お見合い結婚独特のぎこちなさが感じられないでもなかったが、年を追うごとに御夫妻の信頼関係が深まっているのは、よく伝わってくる。
結婚生活22年のうちの12年もの間、雅子妃殿下が病にふせっておられ又それ故の多くのバッシングを以て「悪妻」とみる人もいるだろうが、俗人の誤ったその見方すら昇華させ、皇太子様が御人格を更に高めておられると拝察されるし、皇太子御一家の明るく温かな御姿を拝見すれば、答えは出ている。
皇太子様は、御病気の雅子妃殿下が出来る範囲で懸命に務めを果たそうとされていることを認めたうえで公に感謝の言葉を述べておられる。その具体例を御自身であげられることはなかったが、先頃皇太子様は国連で英語で御講演されるにあたり雅子妃殿下から語学だけでなく英語でのスピーチのコツなどを学ばれたと伝えられていた。
自分にないものを持つ人間から素直に学び感謝を示すという姿勢は、何かを知っているという以上に素晴らしいく、真に強く懐の深い人間だけが出来る事だと思われる。
素晴らしい皇太子様のもと雅子妃殿下は良妻であり、互いに人格を認め合う素晴らしい御夫妻が築かれる皇太子御一家は、俗人の俗物的価値観がなんと言おうと、お幸せなのだと思っている。

傍らで病む者や苦しむ者の人格を尊重される皇太子様の強さと優しさを尊敬している。
皇太子様の歩まれる道を、信じている。