何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

人もワンコも、あぁ二度童

2015-12-17 00:07:08 | ひとりごと
最近またワンコの夜鳴きコーラスが凄まじい。

以前は膝だっこをすれば、多少はおとなしくなったのだが、これはこれで抱く者は股関節を痛めるのだが、ともかく膝だっこをすれば静かに寝息をたてることが多かったので、痛みと眠気をこらえて抱いていた。
が、最近ではどうにもこうにも鳴き止まない。
抱きさえすれば鳴き止むのなら、「夜通し抱き係」の当番を決めて他の者は寝るのだが、どうにもこうにも鳴き止まないので結局家族皆が眠れない。

膝や股関節痛を抱え、その疲労から歯の不調でダウンする者、膀胱炎になる者、腱鞘炎を悪化させる者、そして家族皆が慢性的寝不足でフラフラになってきている。
当然のこと年齢の高い順に、愚痴を口にすることが多くなる。
そんな時、職場でワンコ介護の夜鳴きを愚痴ったらしい家人が「自分の家は、夜は裏山につないでましたよ」という同僚のトンデモない話を聞いてきた。
連日連夜の夜鳴きに同僚家族は疲れ果て、ご近所の白い目もあり、裏山のシイタケ栽培のための小屋に夜だけつなぐ(外泊させる)ことにしたらしい。
そこは同僚ワンコの若き日の遊び場であったため、勝手知ったる何とやらでワンコは数週間は平気な顔をしていたらしいが、ある早朝いつものように迎えに行くと、そこにはもうワンコの姿はなかったそうだ。同僚家族は「飼い主に忠実な犬は、最期の姿を飼い主に見せないというから・・・」と思うことで、何とか自分達を納得させようとしているそうだ・・・・・。

だが、それでは、ワンコ版「姨捨山」(大和物語156段)ではないか。

わが心 慰めかねつ更級や 姨捨山に照る月を見て

月を見る度、ワンコを悲しく思い出すなど考えたくもない。
昨夜のふたご座流星群こそ曇り空で見ることはできなかったが、ワンコの丑三つチッチのおかげで美しい月も星も見ることが出来たというのに、それはない。(参照、「星は、朝づつ、犬星」

それはあり得ないが、皆疲労困憊しているのも確かではある。
そんななか、御大にゼミの同窓会の案内があった。
ワンコ介護のローテーションを気にして御大は出席を渋っていたが、「気分転換も必要」という皆の勧めに従い出席した、これが結果的に家族皆に良かった。
少なくとも、一番愚痴の数が増えていた御大の心持には良かった。

御大の親友にしてゼミ一番の出世頭が、90歳をこえる実の母の介護をしている話に始まり、どの旧友も介護にまつわる問題を抱えていたそうだ。
痴呆による徘徊や暴言・暴力、リアル「母に襁褓をあてるとき」(桝添要一)
舅姑の介護に疲れ果てた妻に先立たれ、残され一人で実母の介護をしている友人。
矍鑠と厳し過ぎた姑のために妻は家を出、残され一人で実母の介護をしている友人。
介護には一切タッチしなかった兄弟が財産分与だけは平等に請求する様に、幻滅している友人。

認知症の介護は、体力的にキツイだけでなく、威厳のあった父や優しかった母との思い出を根こそぎ奪われるという精神的な苦しもまた大きい。
同窓会で束の間の休息を得た旧友たちは、会が終われば、疲れた体を引きずって、又それぞれ介護生活に戻っていく。
そんな旧友に、ワンコ介護の愚痴など言えようはずもない。
帰宅した御大の口から久々に「ワンコは鳴くのが仕事だもんな」と穏やかな声。

医療は進み寿命は延びたが、若き日のまま健やかな時間が延びるわけではない。
どんな医療も、老いにともなう心の葛藤を解決してはくれない。
それは個々人が、人生観をかけて向き合っていくことだとは分かっていても、難しい。
四人に一人が高齢者という超高齢化社会、逃れることの出来ない難問にぶち当たっている。